苦難の先に 自分たちはどこまでやれるのか――。清原秀介(商4=東京・早実)が早大ハンドボール部を後にする。部の伝統と先輩たちが残した偉業が重くのしかかった一年。個性豊かな多くの部員を率い、突き進んだ清原であったが、集大成である全日本学生選手…

苦難の先に

 自分たちはどこまでやれるのか――。清原秀介(商4=東京・早実)が早大ハンドボール部を後にする。部の伝統と先輩たちが残した偉業が重くのしかかった一年。個性豊かな多くの部員を率い、突き進んだ清原であったが、集大成である全日本学生選手権大会(インカレ)までの道のりは容易なものではなかった。早大ハンドボール部で過ごした4年間と、主将として先頭に立ち続けた1年間を清原はいかに振り返るのか。

 清原がハンドボールを始めたきっかけは二つある。一つ目は小学生のころからボールを投げることが好きだったこと。二つ目はハンドボールが盛んであった名古屋の中学校に進んだことだ。引っ越しが多かった中で、清原自身がやりたいスポーツ、入りたい部活に合わせて家族が住む場所を考えてくれたためであった。ハンドボールになじみがある環境の中で、高校を含め6年間ハンドボールを継続した清原。大学進学の際、他のスポーツも視野に入れたが、やはり選んだのはハンドボールだった。高校で満足のいく結果を収められなかったことや、モチベーションビデオに惹かれたことも理由に入るが、「6年間やってきたハンドボールをやめるのはもったいない」という気持ちが清原にとって大きかった。今までとは異なるトップレベルの環境下に身を投じ、さらなる高みを目指したのだ。


全日本学生選手権大会、日体大戦でシュートを狙う清原

  清原にとって大学レベルのハンドボールは衝撃的だった。今まで自身が築き上げたプレースタイルが通用しないほどのフィジカルの強さを目の当たりにしたのだ。自分のフィジカルを鍛えてみんなについていかなければ――。そんな気持ちでいっぱいだった清原だったが、中でも一番刺激を受けたのは三輪颯馬(平31スポ卒)の存在と、そのプレースタイルだった。「自分より小さいのに、あんなにも上手い人がいるんだと衝撃を受けた」と清原は語る。「オンリーワンのプレーヤーになりたい」。自分だけの武器を身に着けることを目標に据え、ストイックにハンドボールに取り組み続けた。そして3年時終盤、チームメートや先輩との話し合いの末に清原は主将を任されることとなる。伝統ある早大ハンド部の主将。やるしかないという覚悟と主将としての誇らしさを感じたと同時に、大きなプレッシャーを感じたという。先輩たちが積み重ねてきた伝統の重みや、主力だった当時の4年生の引退。しかし、主将という立場に立った清原はそれらの重圧も含め、目標に向かって一歩を踏み出すしかなかった。

 

 ついにスタートを切った新生早大ハンドボール部。自分の未来のビジョンを考える力を持ち、ストイックに努力を積み重ねることのできるチームメートに『伸びしろ』と、出場経験の少なさゆえの『自信のなさ』を清原は感じていた。自分たちがどこまでやれるか、その上で見つかった課題をどこまで克服できるのかが、勝利への鍵となっていた。そんな中、迎えた関東学生春季リーグ(春季リーグ)。初戦で白星を飾るものの、奮闘虚しく9位まで転落し、25年ぶりに入れ替え戦を迎えることとなってしまった。入れ替え戦では何とか勝利を収めたが、様々な課題がチームの中で浮き彫りになった。経験不足から来るプレーヤーの不安定さや、ちょっとしたミスの数々などによって、接戦を制することができなかったのだ。反省を踏まえた早大は定期戦や東日本学生選手権大会などで経験を積み重ねていく。自分たちの勝つためのプレースタイルの確立や、ミスの軽減、そしてチームがより一つになることが求められた。しかし、関東学生秋季リーグ(秋季リーグ)でも上位に浮上することができずに、春季リーグと同様に9位。再び入れ替え戦に臨む形になった。課題にあがっていた『接戦をモノにできない』という点は克服できなかったものの、プレーの質は確実に向上していた。そして迎えた大舞台、全日本学生選手権(インカレ)。清原が一番印象的だったとあげるのが2回戦の対日体大戦だ。下馬評では日体大が圧倒的に優勢とされ、メンバーの脳裏にマイナスな考えがよぎっていた。しかし、試合が始まると、下馬評とは反対に早大が試合の流れをつかみ、秋季リーグ王者相手に早大が接戦を繰り広げたのだった。この一戦は、終盤にかけて相手に逆転を許し敗北を喫したため、『接戦をモノにできない』、『1点の重みの意識』という課題が最後の最後まで出てしまった「一番悔しい試合」であると同時に「一年間で一番実力を発揮できた試合」であったと清原は語った。

 「苦しくてつらい経験もたくさんした」。早大で過ごした四年間を振り返りこう語る清原であったが、そのなかでも、やはり「楽しかった」という気持ちは何よりも一番であった。「成長することができた。ハンドボール部に入って良かった」。中高と違い学生が主体となって自分たちのハンドボールを築き上げることのできる環境は、競技を続けていく中で自分が様々な人たちに支えられていることへの気づきなど、多くの刺激を清原に与えたのだった。「この経験を無駄にはしたくない」。その思いを胸に、清原は自身の未来に向かって一歩踏み出すのだ。

(記事、写真 栗林真子)