DeNAの三浦大輔投手が、今季限りでの現役引退を20日に表明した。1991年のドラフト6位で大洋(当時)に入団し、横浜一筋で25年間の現役生活を送ってきた“ハマの番長”。■愛された右腕が今季限りでの引退を決断 DeNAの三浦大輔投手が、今季…

DeNAの三浦大輔投手が、今季限りでの現役引退を20日に表明した。1991年のドラフト6位で大洋(当時)に入団し、横浜一筋で25年間の現役生活を送ってきた“ハマの番長”。

■愛された右腕が今季限りでの引退を決断

 DeNAの三浦大輔投手が、今季限りでの現役引退を20日に表明した。1991年のドラフト6位で大洋(当時)に入団し、横浜一筋で25年間の現役生活を送ってきた“ハマの番長”。プロ通算534試合に登板し、172勝183敗、防御率3.58。23年連続勝利は工藤公康、山本昌に並ぶ日本プロ野球タイ記録で、現役最後の登板となる29日の本拠地最終戦・ヤクルト戦(横浜)で、新記録の24年連続勝利を目指す。

 多くの人々から尊敬され、愛された右腕は、どんな選手であり、人物なのか。ヤクルト、日本ハム、阪神でプレーし、現役最後の2年間(09、10年)は横浜で三浦とチームメートだった野球解説者の野口寿浩氏は「野球に対して妥協することはなかった」と当時のことを振り返る。

 印象的だったのは、三浦独自の調整法だという。

「調整方法が独特でした。キャンプ初日の2月1日にブルペンに入ると、軽く投げるのですが、ちゃんとキャッチャーを座らせて、100球以上投げる。その後も毎日、100球以上投げるんです。徐々に、少しずつ力が入っていって、球がいき出して、となっていく。中には200球、300球投げる日も作って、100球いかないくらいの時もありましたけど、投げて作っていくタイプでしたね。

 2月1日の投球練習を見たら、『えっ、これが三浦大輔か?』と思うくらいの球なんです。でも、このクラスのピッチャーですから(気にならなかった)。その代わり、しっかりしたフォームで『ビュッ!』と投げる。それで、110キロくらいの球がスーッといくんですよ。それが彼の(肩を)作るスタイル。ブレずにやっていました。練習とかを見ていても、野球に対して妥協することはなかった。ちゃんと自分がやるべきものを分かっていて、一生懸命やっていました」

■“阪神キラー”の右腕の強力な武器、「フォークは待っていないと打てない」

 三浦の投手としての特長と言えば、コントロールの良さ。剛速球があるわけではないが、丁寧な投球で打者を抑えていくスタイルで低迷期の横浜を支え、172勝を積み上げた。阪神時代などに敵としても対戦経験のある野口氏は、“阪神キラー”として知られた右腕の強力な武器についても振り返る。

「決して球は速くないけど、コントロールとキレで勝負するタイプ。阪神の選手は共通して『三浦大輔のフォークは待っていないと打てない』と言っていました。打てそうなところに投げてきて、そこからいい角度で落とす。真っ直ぐ待ちでは、フォークは打てない。

 ただ、(三浦が)『フォークを狙っているな』と感じると、今度はカットボールみたいなスライダーを投げられたり。本当にバッターをよく観察して投げてくるいいピッチャーでした。総合力で打者を抑えていました」

 野口氏は、三浦が今季2敗目を喫した9月16日の阪神戦(甲子園)を放送席から見ていた。4回1/3を6安打2失点と粘りながら、1点ビハインドの5回1死二、三塁で降板。三浦がマウンドから降りる際、2番手の砂田に語りかける姿を見て「直感」があったという。

■今季2敗目を喫した阪神戦で見えた“変化”

「次のピッチャーの砂田が出てきた時に、他のピッチャーに対して何か言う時の姿と、その日に砂田に何か言った時の姿が何か違う感じに見えて『ああ、大輔これで終わっちゃうのかな』という直感がしたんです。何となくで、根拠はないんですけど。『どうなるんだろう』って。あの日のピッチングを見ていたら、まだできそうだなと思ったんですけどね……」

 三浦はこの試合の後、宿舎のホテルで池田社長、高田GM、ラミレス監督と会談し、自ら引退を申し出たという。引退会見では、ユニホームを脱ぐ理由を「勝てなくなったからです」と明かした三浦。阪神戦のマウンドから降りる時点で、すでに現役から退く決断をしていたのかもしれない。

 29日のヤクルト戦では、プロ野球新記録の24年連続勝利がかかる。2位でのクライマックスシリーズ進出を目指すDeNAにとって重要な一戦となる可能性もある。

 三浦は会見で「勝ちたいです。それだけです」と現役最終登板にかける強い気持ちをシンプルなフレーズで表現した。野口氏も「1つ勝ってほしいですね」と話す。多くの人が望む「有終の美」を飾るべく、“ハマの番長”は最後のマウンドに上がることになる。