横浜DeNAベイスターズの18番、三浦大輔選手が今シーズン限りでの引退を表明した。9月20日、横浜にて引退発表会見が開催され、三浦選手が登壇した。会見では終始和やかな、時にリーゼントの話題になると笑いも起こる会ではあったが、唯一、ファンの声…

横浜DeNAベイスターズの18番、三浦大輔選手が今シーズン限りでの引退を表明した。

9月20日、横浜にて引退発表会見が開催され、三浦選手が登壇した。会見では終始和やかな、時にリーゼントの話題になると笑いも起こる会ではあったが、唯一、ファンの声を元にした質問に対する三浦選手は、目頭を熱くさせる場面があった。

(質問):ファンからの寂しいという声に対して

三浦選手:いつかは誰でも現役を引退しないといけないので…そこは、僕も辛いです。でも…なんて言っていいかよくわかりませんが、あのー、本当になんて言っていいかわかりませんが…。

辛い時いっぱいありました。今年だけじゃなく、もう引退なのかな、やめなきゃいけないのかなと思う時がいっぱいありましたけど、もうダメかなと思って、二軍で、一軍の試合をテレビで見ている時でも……18番のユニホームを着て…、スタンドで応援してくれているファンの姿をテレビで見たら…、絶対もう一度、あのマウンドに戻るんだと思って…がんばれました。

それだけファンの皆さんには、三浦大輔に力を与えていただきましたし、あの応援があったから、ここまでやってこれたのだと思います。

でも…、まあ辛いですけども、また、三浦大輔を応援してもらえたらなと思います。

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小誌でも、三浦大輔選手には単独インタビューを行った経緯がある。

http://cyclestyle.net/article/2015/01/16/18279.html

この時、インタビューの行われる個室で待つと、三浦選手が登場。スーツの上からでも堂々としたハリのある体つきがわかり、存在感が感じられた。小誌に対しても真摯に答えていただいたことが印象に残る。

メディアが作る三浦選手のイメージは、リーゼントの「番長」であるが、引退会見でみる等身大の三浦選手は、25年という現役生活を続けてこられた野球に対する真摯な姿勢と、周囲に対する繊細なコミュニケーションが際立っていたように思う。

1994年には、疲労蓄積からくる肝機能障害をにより、1ヶ月近く入院。その後も隔年で肝機能障害を発症し、日本一に輝いた98年も8月22日に中日戦に登板後、10日間入院している。1991年のドラフトで指名されてから間もない出来事であり、プロになってからの過酷な環境を物語っている。

また、ブログは2007年から2016年9月20日まで、こまめに投稿されている。9月20日の投稿は、タイトルが「18」内容は

三浦大輔・・・
今シーズン限りで・・・
引退します!
ヨ・ロ・シ・ク!!

となっており、自撮りの写真もいつも通り添付。ブログの更新を9年ほど継続している事実が、三浦選手の性格や、意識を象徴している。

なにより、ファンに対する意識が極めて高いことが、三浦選手の特徴であり、強さといえる。メディアとのリレーションやブログでの自己表現、引退会見で唯一言葉を詰まらせたのが、ファンに対しての想いだったことも、これを裏付けるものだろう。

25年の間に、チームは浮き沈みし、その環境からさまざまな影響を三浦選手自身が受けてきたことだろう。環境から受ける影響は常に良いものではなく、心が折れるような厳しい状況も少なくなく、むしろ栄光よりそうした苦難の時間が多かったかもしない。

それでも、ファンを第一に考え、応援を自身の力に変え、歴代9位の奪三振数2473個や、勝ち星172勝(2016年9月21日現在)を積み上げてきた。

三浦選手はどんな環境でも、ファンと野球を愛し続けてきた。今後もこの姿勢は変わらない。三浦選手とは、ファンと野球への愛情を、空気を通じて感じられる選手だ。25年間積み上げ、通してきた筋、そして哲学は、今後もさまざまな形で体現されるだろう。

三浦大輔、引退決断は「勝てなくなったから」

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