大会第11日に女子の女王が二人、メルボルンを去った。女子シングルス第1シードのアシュリー・バーティ(オーストラリア)、第4シードで元世界ランキング1位のシモナ・ハレプ(ルーマニア)だ。バーティ…

大会第11日に女子の女王が二人、メルボルンを去った。女子シングルス第1シードのアシュリー・バーティ(オーストラリア)、第4シードで元世界ランキング1位のシモナ・ハレプ(ルーマニア)だ。バーティは第14シードのソフィア・ケニン(アメリカ)に敗れ、ハレプはノーシードのガルビネ・ムグルッサ(スペイン)に苦杯を喫した。

どちらの準決勝もランキング下位の選手が上位を倒す結果となった。しかも、奇妙なことに、スコアはともに7-6、7-5だった。

総獲得ポイントでは、ケニン-バーティが81/78、ムグルッサ-ハレプが90/87、3ポイントの僅差であったことも2試合に共通している。

ウィナー/アンフォーストエラーの数字で見ると、2試合は対照的だ。ミスの少なかったケニンが、2倍以上のウィナーをマークしたバーティを破ったのが準決勝第1試合。もう一方の準決勝は、逆にウィナーが圧倒的に多かったムグルッサがミスの少ないハレプを倒した。勝つのは堅実な選手、だとか、攻めなければ大勝負には勝てない、というような言葉はナンセンスだ。4人の選手がそれぞれ持ち味を出し、僅差で決着したのがこの2試合だった。

バーティは第1セットのタイブレークを6-4とし、2本のセットポイントを握ったが、取りきれなかった。第2セットは5-3と先行し、5-4からのサービスゲームでは2本のセットポイントがあったが、これも逃してしまう。ケニンの思い切りのいいプレーと、あと少しで優位に立てる場面でのバーティのほんの少しの逡巡が、この結果につながった。

ハレプは第2セット5-4でサービスゲームを迎えた。ムグルッサにはミスが目立ち、決着は最終セットにもつれるか、というのがおおかたの観測だったのではないか。しかし、ハレプはサービスを取りきれず、逆転を許した。

ハレプは試合後、「こういう負け方は余計にこたえる」と振り返った。

「今でも心が痛みます。私はこの結果を受け止めなくてはなりません。人生は続くのだから。私は大事なポイントでもう少し勇敢にプレーできていたはずです。でも、できませんでした。守りに入ってしまい、ポイントを支配できませんでした。二人ともいいプレーをしたけれど、彼女の方が少し強かった。大事なポイントで勇敢にプレーしました」

ハレプのこの言葉がすべて言い表している。大事な場面で、ほんの少し、守りに入ってしまう。気持ちが引けて、相手のミスを期待する。「勇敢さ」を欠く。ほかの局面では互角以上に戦っていたとしても、本当に大事な数ポイントでそういうプレーをしてしまえば、勝ち星は掌中から逃げていく。それがテニスの競技性だ。

1m50㎝のパットを外して勝ちを逃すゴルファー。好投を続けながら9回に逆転を許すピッチャー。これと似た場面は他の競技でも少なくないが、1対1の対戦であるテニスは、結末の残酷さが際立つ。

茫然自失の姿から様々な感情が読み取れる。悔い。時間を巻き戻せたら、という、やるせなさ。自分に対する怒り。これは当人にしか分からない感情なので、想像するしかないが、おびえてしまった、弱さを露呈してしまったという、裸の自分を見られたような恥ずかしさもいくらか交雑するのではないか。

しかし、ハレプの言うように「人生は続く」のだ。

バーティは、幼い姪を胸に抱いて試合後の記者会見にあらわれた。「これが人生。(思い通りに行かないこともあれば)いいこともある」。幼子を抱く彼女の笑顔とこの言葉から、バーティがこの敗戦をどう乗り切ろうとしているのか、見てとれた。

ハレプもバーティも「人生」という言葉を持ち出したのは興味深い。彼女たちが置かれた地位、すなわち、ツアーのリーダーとして挑戦を受ける立場がこんな言葉を口にさせるのかもしれない。今この瞬間の悔しさを、人生という長い時間の中に置き、俯瞰しようとする。それこそ二人がツアーで身につけた知恵なのだと思う。

悄然とした敗者の姿は、試合の大切な一部だ。試合後のコメントも同様。いい敗者がいるから勝負はより奥深いものとなる。

苦しい勝利をものにした選手は、よく「この瞬間のためにテニスをしている」と口にする。それをもじって言うなら、われわれは、敗れた選手のこういう表情を見るため、その言葉を聞くためにテニスを見るというところが少なからずある。

(秋山英宏)

※写真は「全豪オープン」でのバーティ(左)とハレプ(右)

(©Getty Images)