【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】サッカー選手はどんな家に住んでいるのか(前編) 想像してみてほしい。あなたは20代の若者。もちろん、家など持ったことがない。女友達はたくさんいるが、結婚はしていない。 そんなあなたが突然、知ら…
【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
サッカー選手はどんな家に住んでいるのか(前編)
想像してみてほしい。あなたは20代の若者。もちろん、家など持ったことがない。女友達はたくさんいるが、結婚はしていない。
そんなあなたが突然、知らない町に引っ越すことになる。あなたには引っ越し先で家を(あるいは数軒の家を)買うだけの金がある。その家に9カ月しかいないのか、あるいは一生住むことになるのか見当もつかない。家のゲートを車で通り抜けて外出するたびに、あなたは近くに集まっている人々から憧れと好奇の視線を向けられる──。
移籍市場がオープンしているこの1月、こんな経験をしているフットボール選手がたくさんいる。彼らは住宅の問題にどう対応しているのだろう。世界のトップクラスの選手たちは、どうやって家を選び、どんなところに住んでいるのか。
1月の移籍でミランに復帰したズラタン・イブラヒモビッチ photo by AFLO
フットボール選手の住居費の推移を長期にわたって見てみると、ちょうどスポーツのテレビ放映権の高騰を示すグラフと重なる。僕は1970年代に中流層の住む地域で育ったが、すぐ近所に有名なフットボール選手が住んでいた。彼の家はわが家より小さなテラスハウスだった。
90年代になると、テレビ放映権による金がフットボール界に流れ込みはじめ、選手たちの住居費は上がった。それでも最初は限度があった。僕は2001年に、チェルシーと契約したばかりのある選手と話をしたことがある。彼はチェルシーの本拠地に近いロンドンの高級住宅地に、賃貸マンションを探していた。
「家賃、いくらだと思う? きっと見当もつかないよ」と、彼はあきれ顔で言った。ロンドンっ子は家賃の話題にはいつも真剣になるから、僕はちょっと考えて言った。
「週に1000ポンド(当時のレートで約17万円)とか?」
フットボール選手は驚いたようだった。
「そうなんだ、本当に週1000ポンドもするんだ!」
その時、僕は、チェルシーの選手にとっても、ロンドンは住むのに高い場所なのだとわかり、自分のことを考えるべきだと思った。いま僕がパリに住んでいるのは、この選手のおかげでもある。
フットボール選手は初めての家を、故郷に買うことが多い。ズラタン・イブラヒモビッチは2007年に、スウェーデンの故郷の町マルメでいちばんいい家を473万ドル(当時のレートで約5億5000万円)で買った。イタリアネート様式の豪邸で、ジョギングをしていた時か、バスで通りかかった時に目をつけたものだった。
イブラヒモビッチは家の壁に、自分の大きな足の大きな写真を飾った。家の代金をすべて払ってくれたのが、この足だった。
初めての町への引っ越しは、もっと面倒だ。とくにそれが突然の場合には。
『ザ・シークレット・フットボーラー』という名でプレミアリーグの裏側を本に書いて話題を呼んだ選手(本の邦訳は東邦出版刊)の妻は、彼と一緒に住んだ最初の家にチームメイトが突然やって来た時のことを覚えている。
「あいつから連絡があったか?」と、チームメイトは尋ねた。連絡は来ていなかった。
「そのとき、フットボール選手はほかの職業とは違うのだとわかった」と、彼女は書いている。「彼は遠い町に行っていて、チャンピオンズリーグに出るようなクラブと契約を結んでいるところだという。『転職』するというのに、電話の一本もテキストメッセージもよこさないのだから」
独身で10代の選手が外国に移籍する時には、もっと過酷な状況が待っている。10年ほど前まで、フットボールクラブは選手たちを大変な金額で獲得しながら、彼らを新しい環境に落ち着かせるためにまったく金を使わなかった。
2001年、イブラヒモビッチが19歳でアヤックスに入ったとき、彼はオランダの郊外の町でひとりぼっちになった。部屋にあったのは、自分で持ち込んだスウェーデン製のベッドと60インチのテレビ、それにプレイステーションだけ。イブラヒモビッチは寂しさに耐えかねて、ブラジル人のチームメイトのマクスウェルに電話し、彼の家のマットレスで3週間寝た。
国内での移籍でも厄介なことがある。ウェイン・ルーニーは18歳だった2004年、それまでプレーしたエバートンから50キロほどしか離れていないマンチェスター・ユナイテッドへ移った。ユナイテッドは2600万ポンド(当時のレートで約50億円)で獲得した選手に、ホテルの部屋をあてがった。
「ああいう部屋に長く住むのはつらかった」と、ルーニーは後に語っている。彼が新しい家を見つけるのに手を貸してくれたのは、ひとりのチームメイトだけだった。
「ガリー・ネビルが、自分の持っている家のうちの1軒を買えと言ってきた」と、ルーニーは言う。「彼が家を何軒持っているのか知らない。自慢したかったのか、僕をからかおうとしていたのかもわからない。でも、『俺の家を買え』とずっと言っていた」
リバプールで活躍したロビー・ファウラーも、不動産投資家さながらだった。ファウラー夫妻はリバプール周辺に、賃貸に出すための物件をたくさん所有していた。リバプールのファンはビートルズの『イエロー・サブマリン』のサビのメロディーにのせて、「We all live in a Robbie Fowler home.(僕らはみんなロビー・ファウラーの家に住んでいる)」と歌ったものだ。
だが、住宅市場のことがまったくわからない選手たちも、もちろんたくさんいる。幸運なことに、最近ではそんな選手も事情通からアドバイスをもらっている。たいていは代理人や、大半のビッグクラブが雇うようになった「選手ケア担当スタッフ」などだ。
多くの有名選手をクライアントに持つ著名な代理人のミノ・ライオラは、クライアントである若い選手が家の内見に行ったときの様子を面白そうにまねる。スマホのテレビ電話アプリで家の中を映しながら、「この家、どう思う?」とライオラに相談してくるのだという。住宅市場のことがわからない若い選手に条件のよくない物件を押しつけたがる悪徳業者もいるなかで、選手たちはそれなりに慎重になってきている。
(つづく)