パラ陸上の100メートル走と走り幅跳びで、東京2020パラリンピックを目指している小須田潤太さん。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上を開始。現在は、不動産会社のオープンハウス・ディベロ…

パラ陸上の100メートル走と走り幅跳びで、東京2020パラリンピックを目指している小須田潤太さん。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上を開始。現在は、不動産会社のオープンハウス・ディベロップメント法人事業部大阪法人部に勤めながら、大阪体育大学陸上競技部の練習に参加し、トレーニングを行う日々を過ごす。陸上との出会い、今後の目標などについて話を聞きました。

取材・文/斎藤寿子

小学校と中学校で、サッカーをしていた小須田さん。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上の世界に飛び込んだ。アンプティサッカーなどのチームスポーツではなく、個人競技である陸上を選んだ理由は何だったのだろうか。

「手術をして義足を作るまでに9カ月間ほど入院していたのですが、その間に理学療法士の方からスポーツをすることを薦められました。それでアンプティサッカーや車いすバスケットボール、車いすラグビーなど、いろいろとやってみたのですが、どれも自分の中でしっくりきませんでした。2、3年間は特に何もやっていなかったのですが、24歳の時にパラ陸上のクリニックに誘われ参加。その時に、初めて競技用義足を履いたところ、日常用義足とはまったく違う感覚がありました。何より久々に自分の体を動かして、汗をかいたのが気持ち良かったんです」

そのクリニックには、北京から3大会連続でパラリンピックに出場し、走り幅跳びでは北京とリオで銀メダルを獲得した戦歴を持つ世界トップのパラアスリート山本篤さん、そして現在は現役を引退し、日本パラ陸上競技連盟のテクニカルアドバイザーを務めているハインリッヒ・ポポフさんが講師として3日間、小須田さんたちの指導にあたった。

通称“板バネ”ともいわれる競技用義足は、アルファベットの「J」のような形をし、地面からの反発力を受けて走力やジャンプ力に代える。だが素材は硬く、しかも「L」ではなく「J」の形をした義足は、通常のスパイクよりも接地面が小さく、履きこなすのはそう簡単なことではない。

そのためクリニックでは3日間、ほとんど義足を履いて走るための体の使い方や体幹トレーニングなどが行われた。入院前65キロあった体重が当時は40キロ台にまで落ち、体力が戻り切っていなかった小須田さんにとって、予想以上に過酷なものだったが、それ以上に得るものがあった。

「トレーニングはとてもきつく、体がバキバキでした(笑)。最終日の最後の方には走ることができたのですが、トランポリンで跳んでいるような感じがして、純粋に楽しいと思えたんです」

そして、自然とわいてきたのが“速くなりたい”という向上心だった。 だが、競技用義足のすべてのパーツを揃えるとなると数十万円かかるため、簡単に購入することはできない。走りたい気持ちはあっても、実際には始めることができずにいた。しかし、クリニックから2~3カ月が経ったころ、突然講師を務めてくれた山本さんから連絡があり“一緒に練習しよう”と誘われた。

「おそらく僕が競技用義足を持っていないので、練習できていないことは分かっていたんでしょうね。山本さんからは『これ、使って』と以前使っていた義足を貸してくれ、それで練習するようになりました」

2015年からは国内大会に出場。だが、この時の小須田さんの頭には『世界』はなかったという。純粋に走ることが気持ちよく、楽しかったのだ。ところが大会に出るたびに、隣にはいつも世界で活躍する山本さんの姿があり“自分ももっと速く走れるはず、本格的にやってみたい”という感情が芽生えてきた。

とはいえ、2016年にリオデジャネイロパラリンピックが開催されても、小須田さんはまだ果てしなく遠い場所だと感じ、自分自身が目指す場所とは思えていなかったのだ。しかし、走り幅跳びで銀メダルを獲得した山本さんをテレビで観て鳥肌が立ったという。

『いつもあれだけ近くで一緒に試合に出ている人が、大舞台で活躍している。自分もあの舞台に立ちたい』

その気持ちが“スイッチ”を入れた大きなきっかけとなった。(前編終わり)

(プロフィール)
小須田潤太(こすだ・じゅんた)さん
1990年10月生まれ、埼玉県出身。21歳の時に交通事故に遭い、右脚の大腿部を切断したことがきっかけで、24歳の時にパラ陸上を開始。天皇陛下御即位記念2019ジャパンパラ陸上競技大会100メートル2位(13.65 秒/自己ベスト)・走り幅跳び 2位(5.64メートル/自己ベスト)。現在オープンハウスの社員として働きながら、2020年東京パラリンピックを目指す。更に、パラスノーボード強化指定選手にも選ばれ、2022年北京冬季パラリンピック出場も目標としている。