2007年から、UNICEF(国連児童基金)の一員として様々な国に赴任している井本直歩子氏。1996年アトランタ五輪に競泳で出場するなど様々な実績を残し、引退後はインストラクターやスポーツライターを経て、紛争・自然災害下の発展途上国における教育支援の道を歩んでいます。
現在はギリシャで難民の子どもたちの教育に従事。2019年12月には、これまでの功績が認められ「HEROs AWARD」を受賞しました。
競泳の第一線で活躍していた彼女は、なぜ現役中から途上国支援に関心を抱いたのでしょうか?その理由と緊急支援の実態に迫ると、スポーツの持つ大きな力が露わになりました。
競泳の国際大会を通じて、様々な国に触れる
途上国支援に興味を持ち始めたのは、競泳選手として国際大会に出場する機会がきっかけでした。
私は中学2年生から国際大会に毎年出ていましたが、自分のレースがない日は、予選を泳ぐチームメイトを応援しながら、何気なくレースを見続けていました。そこで途上国の選手も見て、「こういう国があるんだな」と覚えたり、国旗を覚えたり、国がどこにあるのか調べたりしていました。
そして遅い選手を見ては、「環境が整っていないのではないか」と考えを巡らせていました。ある国を指導していた知り合いのコーチから、練習するプールが使えなかったという話を聞き、驚いていました。また選手村では、お菓子を沢山食べている選手たちを見て、いつもは食べ物がないのかな、とか、レースに備える栄養の知識がないのかなと考えたり。
そんな選手たちに触れ、自分はどんなに恵まれた環境にいるのかとひしひしと感じました。大会に出るたびに水着やジャージ、靴、スーツケースなどの試供品を毎回いただいていました。ただ、大会後にはお土産を買って帰るので、スーツケースに入りきらなくて、せっかく頂いたものを置いていったことがありました。「捨てるくらいなら途上国の選手たちに」と思っていましたし、「なんでこんなに国によって違いがあるのか」と感じることが増えて、貧困問題に興味を持つようになりました。
基本的に日本人の選手は、アメリカやオーストラリアなど強豪国の選手と試合後にジャージを交換していました。私もそういった国の選手とも交換していましたが、加えて、パプアニューギニアやマカオなど、強豪とはいえない国の選手と交換していて。それを周りの選手に「いいでしょ」と自慢げに言っていましたね(笑)。
競泳メディアに憧れの人を聞かれると、だいたいの選手は競泳のスター選手の名前を挙げていましたが、私は「マザー・テレサ」とか答えていましたね。本当に変わっていたと思います。
紛争に興味を持ち始めたのは、1994年、高校3年時のルワンダ大虐殺の影響が大きかったです。当時、ルワンダ大虐殺のことは毎日、新聞でチェックしていました。残虐極まりない行為がものとても大きな規模で行なわれていて、「どうして私たちと同じ人間が、こんなことをできるのだろうか」と、信じられない気持ちでいっぱいでした。自分が平和な日本で新聞を読んでいる間にも、世界のどこかでそのような殺戮が起こっていることが信じられませんでした。同じ頃、旧ユーゴスラビアの紛争も起きていて、競泳の大先輩である長崎宏子さんから、当時のボスニア・ヘルツェゴヴィナに絡んだ活動のお話を聞き、興味が深まりました。
スポーツが難民に与える様々な影響
中学で英語を習い始めてから、英語はずっと大好きな科目で、国際大会で海外のコーチの方とお話する機会もありました。高校3年時には、大学の願書に「ルワンダの紛争に興味を持ち、将来は紛争の仲裁をしたい」と書いていて。そのことを面接でも話して、慶應義塾大学に合格しました。
慶大在学中に、子どもの頃からの夢だったオリンピック(1996年アトランタ大会)に出場することができました。残念ながら800mリレーは4位で、あと少しのところでメダル獲得を逃しました。個人種目も納得のいく成績ではなかったため、現役生活を続行することに決め、慶大を休学して、米国のサザンメソジスト大学にアスリート奨学金をもらって留学しました。
サザンメソジスト大学卒業後、シドニー五輪の選考会があり、選考に漏れましたが、出し切ったと思いが強く、悔いはありませんでした。日本に帰国し、慶大を卒業してから、イギリスのマンチェスター大学大学院に留学しました。イギリスへの留学を決めた経緯は、もちろん紛争復興を勉強するためでしたが、裏の理由にはサッカーが好きだったこともありました(笑)。マンチェスター・ユナイテッドのファンで、勉強は適当にしながら、よくオールド・トラフォードでの試合を観に行っていましたし、スポーツライターとして(※)ボビー・チャールトンの取材をしたこともあります。
※ボビー・チャールトン・・・サッカー元イングランド代表。マンチェスター・ユナイテッドで約20年間にわたってプレーし、同クラブのレジェンドとして知られている
大学院を卒業後は国際協力機構(JICA)のインターンとして、ガーナに赴任し、そのあとJICAの企画調査員というポストを頂いて、シエラレオネ、ケニア、ルワンダとアフリカの国を回りました。シエラレオネにいた時、国内の内戦を描いた「ブラッド・ダイヤモンド」という映画がちょうど公開されて。「ホテル・ルワンダ」などもそうでしたが、このような作品をきっかけに国際事情がもっと知られれば良いなと思います。
映画だけでなく、スポーツにも大きな力があります。子どもはスポーツをやりたくてしかたないので、教育プログラムにも必ずスポーツを入れています。学校の休み時間を多くして、心のケアの一環としてスポーツを楽しんでもらう。今までそういった機会を奪われてきた子どもたちなので、尚更なくてはならないですね。
2019年8月には長谷部誠さん(サッカー元日本代表)が、私たちが教育プログラムを展開しているギリシャの難民キャンプに来て下さいました。プロの選手とサッカーができて、子どもたちは大はしゃぎしていましたね。私も競泳を教えることがありますが、そこから国際大会に出るようになった子もいますし、子どもたちに夢を見せることもできるんです。
マリで平和コンクールを開催した時には、子どもたちに歌やダンス、劇などを通して平和へのメッセージを表現してもらったのですが、そこにスポーツも入れました。対立している民族同士でバスケットボールや陸上競技を楽しんでいる姿を見て、すごく感動しましたね。今までは憎しみあって、話もしなかった子どもたちが、スポーツを通して繋がり合えたんです。
選手時代の苦しい経験が大きな糧に
私は現在ギリシャで活動していますが、国内には9万人くらいの難民がいて、そのうち子どもは3万5,000人。シリア、アフガニスタン、イラクなどから、エーゲ海をボートで渡って、もしくはトルコから陸路で、ギリシャに辿り着きます。その子どもたちに、教育の機会を取り戻させるのが私の役割です。
ユニセフでは、ユニセフの教育チーフとして、心のケアを含めた、難民キャンプでの教室の展開、さらにギリシャ政府と手を組み、子どもたちがギリシャの公立学校に入れるよう活動しています。当然ギリシャ語がわからない子ばかりなので、通訳を入れたり、先生が難民の子どもたちにギリシャ語を一から教育できるようにしなければいけません。そういった就学環境を整える活動をしています。
大変なことは多いですが、辛いと思ったことは一度もないですし、危険なところにいても怖くないんです。今まで競泳をやってきて、たくさん苦しい思いをしてきたからだと思います。あとはもともと上手くいかないことばかりだからこそ、かえって割り切れているのかなと。
私は、教育を与えることしかできません。子どもが路頭に迷ったり、両親に職がなかったりしても、それに対しては何もできません。教育だけを、ひたすらやり続けるしかないんです。やればやるほど子どもたちに教育が与えられていくので、ポジティブな要素ばかりなんですよ。
やれることは少ないかもしれないですが、やればやるほど子供たちに“教育が与えられていく”ので、ポジティブに捉えています。
HEROs AWARD受賞が意味すること
2019年12月にHEROs AWARDを受賞できたことは、信じられない気持ちでいっぱいです。16年くらい日本を離れて活動していますし、あまり人に知られていない分野なので。私は日本社会から逸脱している人間だと思っていて。賞をいただけたことで、社会から認められたような気持ちになれました。
途上国支援をするにあたっては、「貧しいから助けなきゃ」と思う人もいれば、私のように「自分がやらずして誰がやるんだ」という人もいます。人それぞれ入口は違います。私のようにスポーツを通して、途上国に興味を持つこともあるかもしれません。
私のような元アスリートが行動することには、大きな意味があるのかなと。アスリートの中でもやりたいと思う人はたくさんいる一方、やり方が分からないという人も結構いて。そういう方に対しては、私から何かしら提案ができれば良いなと思っています。
東京五輪は「様々な国のことを知るチャンス」
海外のアスリートでいえば、ベッカム選手(サッカー元イングランド代表)などはユニセフの親善大使として、積極的に途上国の子どもを支援していますね。一方で、日本人のアスリートは自然災害に対する支援のイメージが強いですね。どちらが良いという話ではないですが、プロスポーツ選手が増えてきたこともあって、そういった支援に力を入れる人は良く見るようになりました。
日本に帰った時には、自分の経験を伝えるために高校や大学で講演をしています。若い人たちがどれだけ興味を持ってくれるかはわからないですが、一人でも多くの人が感化されてくれれば嬉しいですね。
2020年には東京五輪があるので、開催に向けて、多くの交流があります。南スーダンの選手たちは、紛争の影響で練習環境が整っていないので、大会の約8カ月前から群馬でキャンプを始めました。その事実を通してスーダンがどういう国なのかを知ることができますし、そういった経験が東京五輪でたくさん生まれれば良いなと思います。2002年の日韓W杯や、2019年のラグビーW杯もそうでしたが、様々な国のことを知るチャンスですから。
個人的な目標としては、今やっていることを死ぬまでやっていきたいと思っています。教育がなければ、子どもたちは思考能力も育たず、知識を得る方法も、話し合いで解決する方法も分からない。結果として社会は発展せず、紛争は増えてしまいます。できるだけ多くの子どもに教育を届けていきたい。そして、その教育を受けた子どもたちに、紛争のない平和な社会を作っていってほしいです。