<写真・会見を行う鳥内監督> 1月8日、関西学院大学上ヶ原キャンパス内にて、アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督が退任記者会見を行った。昨年の2月に2019年シーズン限りでの退任を表明。最後のシーズンは、チームを学生日本一に導き、ライスボ…


<写真・会見を行う鳥内監督>

 1月8日、関西学院大学上ヶ原キャンパス内にて、アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督が退任記者会見を行った。昨年の2月に2019年シーズン限りでの退任を表明。最後のシーズンは、チームを学生日本一に導き、ライスボウルに出場した。28年間の監督生活で、甲子園ボウルの優勝は12回、02年にはライスボウルも制覇。ファイターズの一時代を築いた。

記者会見での一問一答

-率直な今のお気持ちを教えてください。

 「正直ほっとしている。例年はもうこの時期に4年生と個人面談をしているから」

-このタイミングで退任を決められた理由を教えてください。

 「ファイターズがこれから永遠に日本のフットボール界を引っ張ってほしいと思う中で、若い子に引き継いでいかなあかん。自分自身、少し長すぎたいうのもある。まあまあ下も育ってきたし、そろそろええんちゃうかなと」

-28年間の監督生活はどのようなものでしたか。

 「忙しいで。シーズン終わった瞬間から来季のこと考えている。家業のこともあるので、休んでる暇はないですわ」

-監督生活で一番うれしかったことを教えてください。

 「ファイターズがなかなかライスボウルで勝てなかったので、1回勝てたことは良かった」

-長くやってこられた中で、指導法は変化してきましたか。

 「最初はプレー毎に教えたりして押し付けるみたいにやっていた。でも、自分で考える力が大事だと思い、学生の力を引き出したり促すことを重視するようになった」

-男としてこうなりたいという人物像はありますか。

 「特にないけど、学生には自分が言ったことに責任を持ってほしくて、一人一人と面談をした。彼らが自分で選んだらいいけど、口だけの男になるんかと。それは自分も心掛けていた」

-アメリカンフットボールの魅力を教えてください。

 「この競技は準備で決まる。学生と考えて危機管理をしてシュミレーションしてきた。それに誰でも参加できる。試合に出られなくてもチームに貢献できるのが一番面白んちゃいますか」

-監督にとってファイターズとは何ですか。

 「78年に入学してから40年間ずっとファイターズにいる。人生の3分の2を過ごしてますからね。ここまでやる予定はなかった。結構長なりましたね」

-ライスボウルが学生にとって危険という話が出ていますが、ライスボウルについてどうお考えですか。

 「もともとライスボウルは東西学生のオールスターで、社会人チームが発展してきたということで、社会人チャンピオンと学生チャンピオンの戦いになった。最初は学生の方が強かったが、今は圧倒的に社会人が強い。普及、発展に十分貢献したんちゃうかなと思う。まあそろそろ違う方法でもいいんちゃうかな」

-今後アメフトに携わる情熱は失われていませんか。

 「現場の指導より、いろんな競技において指導の仕方を啓蒙したいゆうのはあります。自分の可能性を分からないまま大学に来てる子がようさんいてる。得意な分野の得意技ができたら得なのにね。そこをもっとうまいことできないかなと思いますけどね。そういうところで力になりたいなと思います。(今後の他大学の指導について)こんだけファイターズやっとってよその大学はね。意見言え言われたら言いますけど。べったりくっついてっていうのは考えていない」

-後任の監督、コーチ陣へ向けてメッセージをお願いします。

 「自分のやり方を真似するのではなく、学生の人間的成長を手伝ったらええ。スーパーアスリートの集団にはなれない。ハートの部分も含めてしっかり勝っていけたらいい。そこを忘れんとやってほしい」

◆鳥内秀晃(とりうち・ひであき)1958年11月26日、大阪府生まれ。大阪府・摂津高出身。高校時はサッカー部に所属し、全国高校選手権に出場。78年に関西学院大学文学部に入学し、フットボールを始めた。1年時からDB、Kとして活躍。大学卒業と同時にアメリカにコーチ留学し、86年からファイターズで指導。92年に監督に就任し、甲子園ボウルの優勝は12回、02年にはライスボウルも制覇した。秋季公式戦の通算戦績は238戦197勝38敗3分、勝率83%。