その人物はチーム内で、「プロフェッサー」と呼ばれているという。 今季から新たに大坂なおみのコーチに就任したウィム・フィセッテ。コーチキャリアはまだ10年ほどながら、キム・クライシュテルス(ベルギー)やビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)、…

 その人物はチーム内で、「プロフェッサー」と呼ばれているという。

 今季から新たに大坂なおみのコーチに就任したウィム・フィセッテ。コーチキャリアはまだ10年ほどながら、キム・クライシュテルス(ベルギー)やビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)、そして直近ではアンジェリック・ケルバー(ドイツ)らを頂点に引き上げた、経験豊富な若き知将である。



2020年シーズンの初戦を白星で飾った大坂なおみ

 テニス選手のオフシーズンはただでさえ短いが、昨年末の大坂は例年にも増して短い新シーズンへの準備期間を強いられた。

 理由のひとつには、昨年末に痛めた肩のケガがある。さらには、今や「時代のアイコン」と呼ばれるほどの著名人として、コート外でも多くの「仕事」をこなす必要があった。

 結果として、新コーチと過ごした1カ月にも満たないトレーニングセッションを、大坂は「今の自分に欠けている要素に絞って費やした」と言う。その最優先事項は、「フィットネス」。そして技術面においては、とても「効率的な練習をした」と振り返る。

 何事においても、効率がいい。常にやるべきことが整理されていて、前日に持ち帰った課題を翌日にはこなしていく——。それこそが、フィセッテが「プロフェッサー」と呼ばれる所以だ。

 ブリスベン国際で迎えた新シーズンの開幕戦で、大坂は苦しみながらも、それらオフシーズンの取り組みと師の教えを十分に体現したと言えるだろう。対戦相手のマリア・サッカリ(ギリシャ)は、ここ2年ほどで急成長した24歳の世界23位。鋼のフィジカルとメンタリティを持つ、ツアーきってのファイターとして有名だ。

 いずれの選手にとっても、手探りのなかで迎えるシーズン最初の試合では、立ち上がりこそがカギになる。そしてそれを熟知する大坂は、理想的なスタートを切った。

 最初のサービスゲームでは、いきなり連続サービスエースの好発進。相手のバックサイドを得意のフォアの逆クロスで攻め、長いストローク戦でも優位に立つ局面が増えていく。第5ゲームでブレークに成功すると、以降も主導権を握った大坂が第1セットを奪い去った。

 第2セットも大坂のサーブは安定し、危なげなく自身のゲームをキープしていく。だが、彼女のなかではこの頃、かすかに変わりゆく趨勢(すうせい)への懸念が、徐々に積み重なっていたようだ。

「第2セットでは、相手は私の攻撃が読めるようになっていたみたい。どんなに強く打っても動じることなく打ち返してきた」

 そうして積もった焦燥は、第2セット終盤での「緊張で固くなり、不満を漏らすようになった」という負のスパイラルへと彼女を巻き込む。第2セットをタイブレークの末に落とし、第3セットも最初のゲームでブレークを許した時には、大坂の典型的な負けパターンかのように見えた。

 だが、この不利な状況にありながらも、大坂には支えになっていた思いがあったという。それは「私のほうが、相手より疲れていない」ということ。

 たしかに第2セットは失ったが、相手のほうが自分より走り回っていたと分析。そして大坂には、このオフシーズンに集中的に取り組んできたフィジカルへの自信がある。その自信と見立てを確信に変えるべく、彼女は長い打ち合いでも焦れずに踏ん張り、時にはパワー勝負に挑むかのように、フォアの強打で真っ向から打ち合った。

 第4ゲームを「カモン!」の叫びとともに奪い返すと、第8ゲームもフォアで攻め立てブレーク奪取。2時間7分の熱闘の最後を締めくくったのは、この日16本目のサービスエースだった。

 試合後の大坂は、この日の「自己評価」として、「サーブには満足。16本のエースは悪くない」とまずは安堵の笑みをこぼし、即座に「リターンは、もう少しよくできた」と続けた。

 実はこれらの大坂のビジョンは、新コーチのフィセッテが描く青写真と完全に対を成すものだ。

 フィセッテはコーチに就任した当初から、大坂の最大の武器として「サーブ」を挙げ、彼女が向かうべき方向性とは、「サーブからの2〜3本のショットで、打ち合いを支配すること」だと明言していた。さらには、「このレベルの戦いでは、数パーセントの差や上達が勝敗を決する」と定義したうえで、「相手のセカンドサーブでの獲得率を数ポイント上げることができる」と課題にも言及する。

 データ分析に長けることでも知られる彼は、「データは決して嘘をつかない。分析こそが、いい選手になるために必要なものだ」とも言った。それらのプロフェッサーの流儀は、短期間ながら大坂の心身にも浸透し始めているようだ。

 かつて大坂は、あまりに完璧主義である性向が「できないこと」ばかりに目を向かせ、それがネガティブな思考に陥る主因となっていた。

 だが、自らが重ねてきた経験と、確固たる事実に依拠し「効率よく」指導する新コーチとの融合により、今の彼女は「試合を重ねるなかで改善できれば」と、いい意味で悠然と構えられるようになっている。

 今の時点で、何かを評価するのは時期尚早だろう。それでも、今季はまた新たな大坂なおみが見られるのでは……そんな期待を抱かせられる、2020年シーズンのスタートである。