オリックス・バファローズは「THE ORIGIN of Bs ~蒼き勇者の閃光~」と題し、今月3日、4日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)、同11日の千葉ロッテ戦(京セラドーム大阪)で球団創設80周年の復刻イベントを開催した。■球団…

オリックス・バファローズは「THE ORIGIN of Bs ~蒼き勇者の閃光~」と題し、今月3日、4日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)、同11日の千葉ロッテ戦(京セラドーム大阪)で球団創設80周年の復刻イベントを開催した。

■球団創設80周年を迎えたオリックス・バファローズ、球団の歴史を彩った名手と秘話

 オリックス・バファローズは「THE ORIGIN of Bs ~蒼き勇者の閃光~」と題し、今月3日、4日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)、同11日の千葉ロッテ戦(京セラドーム大阪)で球団創設80周年の復刻イベントを開催した。当日は、中沢伸二氏、山田久志氏、福本豊氏、山沖之彦氏ら球団OBもゲストとして登場。トークショーや特別始球式でイベントを盛り上げた。

 1936年の阪急創設から80年。その間、1988年に阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスへ、そして2004年には近鉄と合併してオリックス・バファローズへとチームは変わり、波乱の歴史を辿ってきた。阪急黄金期を支えた山田久志氏、福本豊氏に、球団創設80年を迎えた気持ちを聞いた。

 サブマリン投法で知られ、通算284勝、歴代勝利数7位の記録を持つ山田氏は、80年という長い歴史を持つ球団に身を置けたことを、とても感慨深いと話す。

「いろいろな思いが交錯します。入団したとき、引退したとき、球団が消滅したとき。それぞれに思い出があります。歳を重ねると、昔のことが鮮明になってくるんです。年々、歴史というものは重くなっている。『いい球団だったなぁ』と思うんです。若い時は『お世話になったなぁ』くらいにしか思わなかったんですけどね」

 1975年~1977年には3年連続日本一を達成。しかし、一番印象に残っているのはこの日本一ではなく、V9時代の巨人と対戦して敗れた1969、71、72年の日本シリーズだという。

■福本氏が振り返る世界記録達成の瞬間、「面白くなかったことはよう覚えている」

「やってもやってもたたかれる。何度挑戦してもたたかれるんですよ。勝った時は『よかった』と思うんですが、負けた時の悔しさはずっと続きます。この悔しさが、自分の野球のバックボーンになっている。阪急ブレーブスの選手は、みんなそうだったと思います。だから、最終的にああいうチームが出来上がり、3年連続日本一を達成できた。本当にいいチームでした」

 1983年6月、当時の盗塁世界記録を塗り替える939盗塁を記録し“世界の福本”の異名を持つ福本氏。これまでに一番記憶に残っている試合を聞いてみると「いやいや世界記録を達成したときだね」と、福本氏らしい答えが返ってきた。

「試合がぼろ負けだったんですよ。だから、939盗塁は翌日に取っておこうと思っていたんですけど、大差がついているのにしつこく牽制されてね。『それなら、走りましょか』って走ったんですわ。面白くなかったことはよう覚えてますよ。世界記録だったから、大事にいきたかったんですけどね」

 通算盗塁数は1065。引退から4年後の1992年に世界記録は破られたものの、日本記録は28年間破られていない。福本氏の記録を塗り替える選手は、今後出てくるのだろうか。

「今の野球は、走らせないし、走らない。足の速い人はたくさんいるけど、レギュラーを獲れないということもある。まず塁に出ないといけないから選球眼も必要だし、ヒットを打てる技術も大事になってくる。足が速いだけではだめなんです。でも、元気な人が出てきたら、できないことはないと思いますよ」

■山田氏の一番の思い出、「涙が出た。あの時は本当にうれしかった」

 イベント当日、スタンドには阪急時代のユニフォームに身を包んだファンの姿もあった。「チームがちょっと弱いのが残念ですけどね、本当にありがとうという気持ちです。『阪急』というチームがなくなっているから、余計に嬉しい」と、福本氏は感謝の気持ちを表した。

 山田氏に1988年の引退後で一番印象に残っていることを聞いてみると、阪急ブレーブスの消滅でも、近鉄との合併でもなく、オリックス・ブルーウェーブの投手コーチを務めていた1995年、阪神淡路大震災の年のリーグ優勝だと振り返った。

「95年の優勝は強烈に記憶に残っています。ユニフォームを着て『うるっ』とくるほうではないんですが、優勝が決まったときは涙が出ました。あの時は本当にうれしかった。ユニフォームを着て、神戸にいるということが嬉しかった。阪急ブレーブスの優勝とはまた違う優勝でした」

 4日の特別始球式。マウンドには山田氏が上がり、打席には福本氏が立った。往年のサブマリン投法と“世界の福本”のスイングに、スタンドからは大きな拍手と歓声が巻き起こった。山田氏は話す。「歴史は進んでいきます。でも、昔のことが鮮明に思い出されるんです。当時を懐かしく思う人がいっぱいいる。チーム名が変わっても、歴史が消えるわけではないんです」。

 阪急ブレーブスの黄金時代、オリックス・ブルーウェーブの優勝、日本一。人々に勇気を与えたプレーの数々は、神戸、そして大阪の人々の心に、これからも生き続ける。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki