東京オリンピックで輝け!最注目のヒーロー&ヒロイン テニス 錦織圭 編2019年に右ひじの手術を行なった錦織圭は、力強いプレーを取り戻せるか 錦織圭は、「いろいろありましたね」というひと言から2019年シーズンを振り返り始めた。「出だし…

東京オリンピックで輝け!
最注目のヒーロー&ヒロイン 
テニス 錦織圭 編



2019年に右ひじの手術を行なった錦織圭は、力強いプレーを取り戻せるか

 錦織圭は、「いろいろありましたね」というひと言から2019年シーズンを振り返り始めた。

「出だしはすごくよかった。オーストラリアでベスト8、ほか(のグランドスラム)もベスト8に入ったりして安定した1年ではありました」

 シーズン開幕の1月に、錦織は、ATPブリスベン大会で優勝してキャリア通算12勝目を挙げると幸先のいいスターを切った。グランドスラムでは、オーストラリアンオープン、ローランギャロス(全仏)、ウインブルドンでベスト8に進出して、トップ10プレーヤーとして安定した好成績を収めた。

「最後はちょっとケガだったので、悔しいというか、残念な1年でした」

 シーズン後半にかけて錦織は、右ひじの断続的な痛みに悩まされ、テーピングをしてプレーをすることも多く、グランドスラムでは何とか結果を残した一方で、心の中では、対戦相手とは別の敵とも戦っていたことを吐露する。

「ウインブルドンの時はよかったはよかったけれど、やっぱりどこかに(右ひじの痛みが)頭にあるので、今考えると、イラつきは早かったですね。なんか集中できないというか、(自分の右)腕とも戦わないといけないので」

 USオープン以降、9月から戦線を離脱した錦織は、トップ10から陥落して2019年シーズンを13位で終えた。そして、10月22日に日本で右ひじの内視鏡手術を受けて2本の骨棘を除去した。手術に至るまでの心境を次のように振り返る。

「(5月下旬の)フレンチ(オープン)から痛みがあって、それをがまんしながらやっていた。(7月上旬の)ウインブルドンのあとに、2~3週間休んで、ちょっとよくはなっていたんですけど、(8月の)シンシナティ(大会)やUSオープンでプレーしてから、また悪化した。そもそもの(痛みの)もとを治さないといけないなと、そこらへんから感じ始めていた。それで、USオープンのあとに診てもらった時に、手術しないといけないと言われた。もちろん悩みましたけど、(手術を)やんなきゃいけないだろうなと思えた。ちょっと時間はかかりましたけど、決断までは。でも、決断してから、手術は早かったですね」

 12月初めの時点では、手術の傷口に痛みが残っていたが、錦織はようやくゆっくりラケットを振れるようになったという。普段使っているものより軽いラケットで、スポンジボールを打ってリハビリに努め、12月後半ぐらいから、通常のテニスボールを打てればいいと語った。

 リハビリは順調だとしながらも、復帰のタイミングに関してはまだ明言されていない。

 錦織のコメントのニュアンスからすると、グランドスラムの初戦・オーストラリアンオープン(1月20日~)のエントリーリストの中には、錦織の名前は入っていたものの、結局、出場は見送ることになった。

「(全豪は)出られたらという感じですね」と話していた錦織が慎重な姿勢を崩さなかったのは、彼にとって右ひじの手術は2009年以来2回目であり、復帰までの過程で苦労した経験があるからだ。前回は20歳でのリスタートだったが、今回はそれから10年が経過した手術からの再起であり、若い頃の回復スピードとは異なることも懸念される。

 懸命にリハビリに励む錦織は、復帰への道を模索する中、ツアーコーチを、2011年より帯同していたダンテ・ボッティーニからマックス・ミルニーへ変更することを決断した。

「新しい声を入れてもいいんじゃないか」と思い始めた錦織は、2019年夏頃に新しいコーチとしてミルニーに白羽の矢を立てた。

 もともとミルニーは、IMGアカデミーを拠点にしていた元選手で、いわば錦織の先輩。13歳の錦織が渡米した2003年には、すでにミルニーはツアーで活躍していたトッププロで、ジュニア時代に一緒に練習をしたこともあったという。

 1996年にプロへ転向したベラルーシ出身のミルニーは、2002年USオープンでベスト8に進出し、2003年8月にはシングルスで自己最高のATPランキング18位を記録した。単複で活躍する選手だったが、2009年からはダブルススペシャリストに移行して活躍し、息の長い選手となった。

 ダブルスでは、USオープンで2回、ローランギャロスで4回、さらにミックスダブルスで4回、合計10回グランドスラムで優勝を果たした。ツアー最終戦では2回優勝して、ATPダブルスランキング1位にもなった。さらに、2012年ロンドンオリンピックでは、ミックスダブルスで金メダルを獲得。ツアー優勝は、シングルスで1回、ダブルスで52回だったが、2018年に41歳で22年間の現役生活を終えた。

 現役時には、身長196cmの大柄で恐れを知らないプレーぶりから、プロテニス選手だったアレックス・レイチェルから”ビースト(野獣)”というニックネームを付けられたこともある。ただ、錦織が昔から知るミルニーの姿は少し異なる。



2019年JTAアワードで、優秀選手賞を受賞した錦織圭

「すごくまじめで、情熱があって、テニスでは前だけ見て戦うようなイメージがある。何にも動じない強さがあるのかなと思います。すごく熱心に練習に取り組みますし、そういうところを見て(自分は)育ってきたので、理想とする先輩という感じ」

 現在ミルニーは、IMGアカデミーで、ジュニア世界1位になった望月慎太郎の練習を見ることもあるという。望月を見ている山中夏雄コーチからもミルニーの情報を収集して、錦織はミルニーに自分のツアーコーチになってほしいと打診したところ、好感触が得られた。

「結構スムーズに受け入れてくれました。すごく話を聞いてくれて、選手に合わせられる人なのかなと感じています。自分の考えを押しつけるのではなくて、コミュニケーションはうまいかな。一緒に考えてくれる」

 現役時代には、長身から繰り出されるビッグサーブでネットにつく攻撃的なプレースタイルで、サーブ&ボレーを得意としていたミルニーだったが、錦織は彼のような攻撃的なテニスを身につけたいと考えている。

「プレースタイルについて、ちょっとだけ自分に似ているというか、自分も彼みたいなプレーをしたいというのもあった。いろんなところが重なって、彼にお願いしました」

 もちろん錦織はビッグサーバーではないから、おそらくネットプレーをもっとミックスしていきたいという狙いがあり、メンタル面も含めた攻撃的なテニスの習得を目指すということだろう。

 錦織がリハビリ中のため、ミルニーコーチとの本格的な練習はまだ始まっていないが、「いろんなことを吸収できたらと思っています」と錦織は貪欲で、新コーチとの取り組みがどんな結果に結びついていくのか楽しみだ。

 2019年12月29日で30歳になった錦織圭は、2020年シーズンにどのようなスタートを切ることができるだろうか。最近は年齢に関する質問も多いが、錦織本人は、大きな変化として捉えていない。

「あんまり変わらないですね。体の衰えとかテニスとか、(変化は)体感としてあまり感じていない」

 2020年は、東京オリンピックがあるため、そこに注目が集まってしまうが、まずはいつ復帰できるかである。手術した部位が、テニスでは必ず使う右ひじであることを踏まえると復帰は慎重に行なうべきだろう。だからこそ長い目で、2020年シーズンの後半、8月の東京オリンピックやUSオープンあたりで、錦織がベストコンディションに戻れれば上出来ぐらいのイメージでいいのではないか。

「また強くなって戻って来られたらいい。ケガからしっかり復帰して、決して焦らず、夏頃には体もいい状態で、自信もしっかりつけて臨めるようにしたいです」

 現在は、トレーニングや体のケアが進化して、30代でも世界のトップレベルで活躍できる時代になっている。錦織も「オリンピックというより、長くやるため」というビジョンを持って、今後もケガをしにくい体づくりに取り組んでいきたいと考えている。

 手術後の錦織の表情は明るく、双眸の輝きも失っておらず、未来をしっかり見据えているようだ。そして、ジュニア時代から夢として掲げ、さらにプロテニスプレーヤーになった時からの大いなる目標である、グランドスラムの頂を再び目指す。もちろん30歳でのグランドスラム初優勝は簡単なことではないが、錦織は決してあきらめたりはしない。