2019年12月21日、東京・ダイドードリンコアイスアリーナ。ハリデー慈英(平31スポ卒=現王子イーグルス)が、胸に「Oji」の文字、イーグルレッドのユニフォームをまとい、東伏見の氷上に帰ってきた。『東京シリーズ』と題されたアジアリーグ・…

 2019年12月21日、東京・ダイドードリンコアイスアリーナ。ハリデー慈英(平31スポ卒=現王子イーグルス)が、胸に「Oji」の文字、イーグルレッドのユニフォームをまとい、東伏見の氷上に帰ってきた。『東京シリーズ』と題されたアジアリーグ・王子イーグルス対東北フリーブレイズ戦。第1ピリオド(P)に王子が先制し、1ー0で迎えた第3P終盤、ダメ押しのエンプティゴールを決め2-0で王子イーグルスが勝利した。ハリデーが本格的にチームに合流したのは9月。合流してまだ3ヶ月ほどだが、この日も王子の第4セットとして、早稲田の時と同じ29番を背負い、堂々とプロの舞台に立っていた。エンジのユニフォームが似合う早稲田のハリデーは今、『王子イーグルスのハリデー』だ。


東北フリーブレイズ戦で、第4セットのDFとして出場するハリデー

 カナダ人の父の影響を受け、地元宇都宮の少年アイスホッケーチーム・宇都宮ブルーインズに入ったハリデー。中学1、2年時は父の転勤でカナダで過ごし、本場カナダの熱気あるホッケーも経験。高校は関東の名門・埼玉栄高に進学し、3年時の全国高等学校アイスホッケー競技選手権(インターハイ)では主将としてチームを準優勝に導いた。高校卒業時、プロからも声を掛けられたというハリデーだが、「早稲田大学という素晴らしい大学に行けるチャンスもあったので、そこで4年間頑張ってしっかりと社会に出る準備をしてから頑張りたいなと思いました」と、早大への進学を決めた。早大を選んだ意外なもうひとつの理由は、アイスホッケーの競技環境だ。「寮がすごくいい位置で、練習にも歩いていけますし試合の時も防具を担いで(ダイドードリンコアイスアリーナの)リンクに行けるというのはすごくアドバンテージだと思いました」。他大学の多くはリンクまで移動が必要で、リーグ戦が行われるダイドードリンコアイスアリーナまでは基本的に電車移動。他大学と比べ、早稲田の競技環境は非常に魅力的だった。

 1年時から主力セットのDFとして出場していたが、2年時に転機が訪れる。北米のジュニアリーグ(NAHL)への誘いだ。「たまたま北米のエージェントに話をいただいて。行かなかったら後悔するかもしれないなと思ったので、思い切って挑戦しました」。約半年大学を休学し、アメリカのジュニアプロチーム「ビスマルクボブキャッツ」でプレーすることを決めた。アメリカのホッケーの常識は、日本のそれとはまるで違う。日本の大学リーグ戦は15試合ほどだが、NAHLはリーグ戦だけで年間60試合。10月から3月までの間、ほぼ毎週試合を行う。アメリカは広いが、NHLのように飛行機で移動することはできず、基本的にはバスを使う。時には8時間、長距離のバスに揺られることもあったという。「圧倒的に日本人に足りないなと思ったのが、テナシティ(tenacity、執念・粘り強さ)だと本当に思いました。それは技術とかじゃなくて、気持ちの部分で負けているというか。本当にアメリカ人は泥臭いというか、ゴール前もガンガン入ってきますし、自分の顔がどんなにやられても気にしないです」。ハリデーがハイレベルで厳しい環境の北米のアイスホッケーに教えられたことは、技術的なことよりも執念や泥臭さといったメンタル面の重要性だった。部員がよく口にしていた『早稲田のホッケー』という言葉。泥臭く相手のパックに向かい、泥臭くパックを守るホッケーを意味する。ハリデーのアメリカでの経験が自身だけでなく部に還元され、早稲田のホッケーはより泥臭く、そして確実に強くなった。


明大に敗れ、早大は関東大学リーグ戦を2位で終えた。鈴木ロイ元主将(平31教卒=現東北フリーブレイズ)(左)とハリデー(右)

 迎えた4年目。チームは春、思うような結果を出すことができずにいた。関東大学選手権では4位、早慶戦では42大会ぶりの歴史的敗北。秋の関東大学リーグ戦を迎えるにあたって、早稲田の下馬評は決して高くなかった。しかし、敗北をバネに早稲田は強くなっていた。明大、東洋大、中大などの強豪に対し5勝1敗の好成績で予選リーグを首位で通過。決勝リーグ初戦に勝利し、悲願のリーグ戦優勝に王手をかけた。だが、東洋大に敗北、最終戦の明大戦でも5点差を付けられ完敗し、胴上げを目の前で見届けた。5年ぶりのリーグ戦2位ではあったが、あと1つどこかで勝っていれば――。試合後ハリデーは「血がにじみ出るほど悔しい」と強い言葉で悔しさを吐き出した。敗北から約1ヶ月、日本学生氷上競技選手権(インカレ)。苫小牧の白鳥王子アイスアリーナで再び、早稲田と明治が対峙(たいじ)した。4年生らの執念、『早稲田のホッケー』で試合はGWSまでもつれ込む。しかし、軍配が上がったのはまたも明大だった。リーグ戦優勝、インカレ優勝というハリデーの目標は、早稲田の4年間で叶えることはできなかった。


今年度の春の関東大学選手権に出場したハリデー。アメリカへのホッケー留学で卒業が半年遅れたため、引退試合は春の早慶戦だった

 リーグに所属するチームが離脱するなど、アジアリーグは現在存続の危機を迎えているとも言われ、先行きが明るいとは言いがたい。卒業生の進路を見ても一般企業等に就職する部員が大半。しかし「やっぱりアイスホッケーが好きだから、簡単に諦めがつかない」とハリデーは迷わずプロの道を選んだ。「どんな自分でも素のありのままの自分を受け入れてくれて、どんな話でも聞いてくれる」。ハリデーにとって早稲田のスケート部は「家族同然の場所」だった。「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光」――。早稲田を飛び立ったハリデーは今、『王子イーグルスのハリデー』。その挑戦を、誰もが応援している。

(記事、写真 細井万里男)