早大への強い思いを持ち、1年間の浪人生活を経て入学した山本修平(平27スポ卒=現トヨタ自動車)。入学後すぐにその実力をいかんなく発揮し、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)にも出場。山上りの5区に3度出走し、1・2年時には区間3位の好走を見せる…

 早大への強い思いを持ち、1年間の浪人生活を経て入学した山本修平(平27スポ卒=現トヨタ自動車)。入学後すぐにその実力をいかんなく発揮し、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)にも出場。山上りの5区に3度出走し、1・2年時には区間3位の好走を見せるなど、チームの主軸としての活躍を見せる。また、4年時には創部100周年となる節目の年に駅伝主将を務め、エースかつ主将として競走部を率いた。卒業後、現在もトヨタ自動車で競技を続けている山本選手は、大学時代を振り返り、何を思うのか――。

※この取材は10月22日に行われたものです。

「練習や私生活で見本となるように」

――早大での競技生活を振り返ると、どのような4年間でしたか

 箱根をまず第一の目標として4年間やってきて、箱根を3回走ったのですが、その中で自分の目標をかなえることができたのはありますし、仲間と競技を4年間やっていろいろ経験することができました。大学4年間の中でいろいろな人に支えてもらったり、励ましてもらったりして、大変なことを乗り越えてきましたが、その中で家族の支えだったり友達との絆だったり、いろいろなことが経験できる4年間だったかなと思いますね。

――4年時に駅伝主将を務められていました。どんな1年でしたか

 4年生のときは駅伝主将をやらせていただいたのですが、全体を見ていかなければいけない中で、故障やけがもときどきありました。その中でチームメートがいろいろ協力してくれたり、支えてくれたりしました。チームをまとめていくのにすごく大変なこともいっぱいあったんですが、やっぱり特に4年生、同級生ですね。同級生にはいっぱい世話になったというか、いろいろ頑張ってきたというか、内容の濃い1年間だったなと思います。

――その当時掲げていたチームの目標や、山本選手自身の目標は何でしたか

 早稲田のチームの目標としては、まず箱根優勝というのを目標に掲げていました。優勝することはできませんでしたが。僕としても、箱根で優勝するために自分の走る区間で区間賞を取るということを目標には掲げていましたが、その結果は成し遂げることができませんでした。自分の走りは箱根ではあまり良くなかったですが、その中でも最後のくくりとして、全力を出し切ることはできたのではないかなと思いますし、みんなで箱根を目標にやってきたので、それは全員で納得して力を出し切ることができたのではないかと思います。

――その目標を達成するために、何か主将として意識していたことや、役割として求められていたことはありましたか

 主将として常に先頭に立ってやっていかなければいけないですし、周りを見て行動していかなければいけないので、まず自分がしっかりしないといけないと感じていました。そういったところで、練習や、普段の私生活でも、見本となるではないですが、前に立ってやっていけるように、小さな事でもミスは許されない、しっかりみんなを引っ張っていけるよう行動していくということを心がけてやっていました。

――チームをまとめる上で苦労したことや転換点などはありますか

 やっぱり早稲田大学の競走部は常にトップを目指してやっていかなければいけないチームなので、結果が出ないと部にもいさせてもらえないといった厳しい状況があります。その中で問題が起きたときにいろいろ対処していくということはありました。僕が4年生でやっている時も、1年生の新入部員が入ったときは当時20人から30人ほどいたのですが、全員がずっと競技できるわけではなくて、ある程度持ちタイムなどで力を見られるところはあって、結果が出ていないと退部といったかたちになってしまう選手も中にはいました。やっぱり早稲田で頑張りたいと思って入ってきているので、そこはすごくつらかったですね。でも逆にそういったところも、競技を退かないといけない選手がいた分も頑張ろうと、みんなも背負ってやっていけたのではないかと思いますね。

――当時の山本選手に大きな影響を与えていた人はいらっしゃいますか

 やっぱり家族でしたね。常に連絡は取っていたんですが、まず大学に行くだけの環境をつくってくれた人でもありますし、ずっと応援してくれていましたし、いろいろな大会や駅伝でももちろんずっと応援に来てくれていました。僕がけがしていたときも励ましてくれて、そういったところで頑張って、結果で、走っている姿で、恩返しをしようという気持ちになれたのではないかなと思います。

――箱根では5区に3度出走されています。山上りの5区に対してどのような思いを持っていらっしゃいますか

 最初は山上りにすごく苦手な意識があって、特に最初の1年目などは、監督やコーチとも僕が走れないんじゃないかと相談し合うこともありました。その中でも誰かが走らないといけないですし、僕が走ればチームにとっては大きな力となるというふうに監督も考えていたと思うので、そういったところで苦手意識を克服するように考えました。合宿などでも山や上りに対しての意識を得意と思えるように、練習を心がけてやっていました。最後はすごく楽しい山上りの区間と思えるようになっていましたね。

競走部は一人一人の意識がとても高い

――浪人して早大に入学されていますが、浪人してまで入りたかった理由というのは

 シンプルなんですが、まずはエンジがすごくかっこいいと思っていたことですね。やっぱり早稲田ってかっこいいなと思っていたのが第一印象でした。小さい頃から瀬古(利彦)さんや渡辺康幸さん(平8人卒)、竹澤健介さん(平21スポ卒)など、世界で活躍する選手もたくさんいて、そういう姿を見てずっと憧れていたので、やっぱり早稲田に行きたいなっていうのを思っていましたね。

――山本選手が思う早稲田の競走部の良いところはどこでしょうか

 伝統あるチームなので、結果も求められますし、いろいろなところからさまざまな見方をされると思うんですが、そういった上で結果に対してのプレッシャーや、責任感というのは強く持たないといけないチームではあります。だからこそ一人一人の競技に対する意識というのはすごく高いです。そういったところから切磋琢磨して素晴らしい記録が生まれるなど、本当にみんなの意識が高いからこそ強いチームが生まれているといったところが競走部の良いところかなと思いますね。

――競走部での経験が実業団の競技生活に生きていると感じる部分はありますか

 やっぱり実業団になると練習量も増えるので、自分自身でシビアなことをやっていかないといけないです。競走部でもそういったところは自分で高い意識を持ってやっていたので、今実業団で競技をやっている中でもくじけそうになるときがたくさんあるのですが、そこで大学時代を振り返って、苦しいところを乗り越えたところを、強さを自信に持って、乗り越えられているのではないかなと思いますね。

――最近の早大について、後輩たちの活躍をどうご覧になっていますか

 箱根の優勝からは少し遠のいてはいますが、その中で後輩たちはエンジの重みを一人一人がしっかり感じていると思います。いろいろな見方をされるとは思いますし、今年は箱根の予選会があると思いますが、そういったところで逃げずに、強い気持ちを持って闘っているなというのは思うところがいっぱいあります。やっぱりみんな頑張っているなと思いますし、その姿で僕も元気もらってやれているなと思います。

――後輩たちに向けてメッセージをお願いします

 早稲田の競走部なので高い目標を掲げてやっていかなければいけないと思うのですが、やっぱり自分自身の目標というものを決めてやっていってもらいたいなと思います。僕も後輩を見て、あきらめずにめげずに頑張っている姿をすごく感じているので、自分たちの努力も信じてこれからも頑張ってほしいと思います。

――山本選手ご自身の今後の目標はありますか

 まずは年明けにニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)がありますので、そこでメンバーに入って、打倒旭化成ということで優勝奪還を目指してやっていきたいです。まだ東京オリンピックも一応チャンスはありますが、今後どこかでそういった、日の丸を背負えるように頑張っていきたいなと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 朝岡里奈)


現在はトヨタ自動車で活躍を続ける山本選手

◆山本修平(やまもと・しゅうへい)

2015(平27)年スポーツ科学部卒業。愛知・時習館高出身。卒業時の自己記録:5000メートル13分42秒17。1万メートル28分14秒49。ハーフマラソン1時間2分14秒。箱根成績:2012年5区1時間19分52秒(区間3位)。13年5区1時間22分52秒(区間3位)。15年5区1時間21分45秒(区間10位)。