1998年、日本人初のW杯年間優勝を果たした僕は、世界各地のコンペに参加してきた経験を日本のクライミングシーンに還元したいと思っていた。そんな時、THE NORTH FACE CUP(TNFC)の前身となるボルダリングコンペにルートセッタ…


 1998年、日本人初のW杯年間優勝を果たした僕は、世界各地のコンペに参加してきた経験を日本のクライミングシーンに還元したいと思っていた。そんな時、THE NORTH FACE CUP(TNFC)の前身となるボルダリングコンペにルートセッターとして関わる機会を得た。当時のW杯はベルトコンベア方式が主流。でも自分がコンペを手がけるなら、サドンデス方式を試してみたい。今ではTNFCの代名詞となっているこの方式は、選手が少しずつ減っていく展開に見ごたえがあって好きだったのだ。 98年に始まったコンペは小規模ながら熱い支持を集め、すぐに会場はキャパオーバーに。これはきちんと運営していかねば続かないと感じ、スポンサーのTHE NORTH FACEに相談させてもらった。当時の担当者が提示した支援の条件は「単発ではなく、長く続けるならば」というもの。この時、以後20年近く続いていくとは僕自身も思っていなかったが、時代が変わっても同じ精神でサポートしてくれる彼らの存在なしにTNFCがここまで大きく成長し得なかったのは言うまでもない。 こうして2001年からスタートしたTNFC。第1回の参加者は100人程度で、翌年の第2回からキッズカテゴリを追加して200人規模に。中断期間を経て2009年より全国7つの地区予選システムを導入し、2012年にはBase Campを本戦会場とする今のフォーマットに辿り着いた。同年3月に本戦がある2020年シーズンは2500人が参加する見通しだ。 僕はボルダーコンペには未来があると確信していた。TNFCが立ち上がった00年代初頭はK–1やPRIDEといった総合格闘技が空前のブーム。ボルダーは映像コンテンツとしても魅力的だし、演出面も総合格闘技をかなり意識していたと思う。TNFCから世界に羽ばたいていった選手も数多い。伊藤ふたばちゃんは小学生からU10クラスに参戦。原田海くんもDivision4からステップアップし、TNFC2018では優勝にまで上り詰めた。最初の頃はお母さんに連れられキラキラした目で会場に来ていた様子を今でも覚えている。 これからのTNFCがどうなっていくのか? 色々考えているが、正直それは僕にもわからない。東京オリンピックや19年から始まったジャパンツアーを含めて国内のトップ選手の育成がJMSCAを中心に整備されていく中、TNFCの役割も変わっていく必要があるだろう。ここ数年はFunやDivision4カテゴリに参加するエントリー層からの支持を実感している。クライミングに出会い、好きになってくれた人たちが最初に目指す舞台として国内シーンの裾野を支えていくことは今後の役割の一つだ。最近はドイツやマレーシアからTNFCをロールモデルに新しいボルダーツアーを作りたいという相談も来ているので、海外との連携もあるかもしれない。“平山ユージのTNFC”は過去のものになりつつあり、Base Campのスタッフが僕から色々なものを継承し始めてくれているのも変化の始まりだと思う。でも僕は変わらず感じている、ボルダーコンペには未来があると。~第10章へ続く~