25年ぶりの優勝へ、マジック「9」となった広島カープ。その原動力となっているのが、ここまでチームメートのジョンソンに次いでリーグ2位の12勝(3敗)を挙げている野村祐輔だ。■明大コーチが語る27歳右腕の素顔と好調要因 25年ぶりの優勝へ、マ…

25年ぶりの優勝へ、マジック「9」となった広島カープ。その原動力となっているのが、ここまでチームメートのジョンソンに次いでリーグ2位の12勝(3敗)を挙げている野村祐輔だ。

■明大コーチが語る27歳右腕の素顔と好調要因

 25年ぶりの優勝へ、マジック「9」となった広島カープ。その原動力となっているのが、ここまでチームメートのジョンソンに次いでリーグ2位の12勝(3敗)を挙げている野村祐輔だ。

 2011年のドラフト1位で明治大から入団した27歳の右腕は5月25日の巨人戦から8連勝をマーク。プロ2年目でマークした自己最多の12勝に到達した。防御率も9月1日時点でリーグ4位の2.87。勝率はリーグトップの.800を誇る。

 プロ5年目で飛躍を遂げた右腕を周囲はどう見ているのか。大学時代から野村を見てきた明治大学野球部コーチの田中武宏さんに大学時代のエピソードや今季好調の要因を聞いた。

 明大時代は東海大の菅野智之(現・巨人)、東洋大の藤岡貴裕(現・ロッテ)とともに大学BIG3と呼ばれていた野村だが、体格的には3投手の中で一番恵まれていなかった。

「やはり体が小さいから、ほかの2人に比べてエンジンが違うんですね。でも、野村は牽制やフィールディング、サインプレーがうまいんです。善波達也監督は『一番勝てるのは野村だ』と、いつも言っていましたよ」

■悪夢を払しょくした大学時代の日本一

 田中コーチは懐かしそうにそう振り返る。岡山県出身の野村は中学時代、地元の野球チーム「倉敷ビガーズ」でピッチャーやショートとして活躍した。

「倉敷ビガーズでは、のちに明大でチームメートになる中村将貴(現・日立)と2人でピッチャーをやっていました。中村が投げる時は、野村はショートをやっていましたが、内野手をやっていた子はフィールディングが良いんです。大学に入って、ピッチャーは苦労するのですが、野村はそれができていました」

 1年生の時には4年に岩田慎司(現・中日)と江柄子裕樹(現・巨人)がいた。野村が頭角を現し始めたのは1年生の秋。先発として投げ始め、シーズン防御率0.00を達成。そして2年生の春、エースナンバーの背番号11番をつけることになる。

「本当なら3、4年生がつけるエースナンバーを実力で勝ち取りました。しかし、その後は優勝しても胴上げ投手になれなかったり、ここという時に勝てないことがありました。最後の最後、4年の秋に30勝300奪三振を達成して優勝、神宮大会決勝の愛知学院大学戦に完封で勝ち、初めて日本一になりました」

 野村は広陵高校3年生の時、小林誠司(現・巨人)とバッテリーを組み夏の甲子園に出場。決勝の佐賀北戦で7回まで被安打1に抑えながら、8回に逆転満塁本塁打を打たれ、準優勝に終わっている。当時、審判の微妙な判定も話題になった。

■明大時代の変化と野村が恩師に明かした今季好調の要因

「この(大学4年時の)日本一で、悪夢の、悲運の甲子園のレッテルを、自分ではがしたと思います。気にしていないような言い方をしていましたが、こだわりはあったと思います」

 そんな明大の4年間で一番変わったことは、体格と体力面だという。

「練習の合間に、食堂にあるご飯でおにぎり作って食べていました。試合中に熱中症で投げられなくなったこともありましたが、トレーナーと常に相談をして、自分でコントロールしていましたね」

 4年生の秋には、体が大きくなったことで力に任せた投球が増え、打ち込まれることが多かったが、捕手出身の善波監督の下、監督が実際にボールを受けるなどして投球を修正していった。「野村は納得したら、吸収して身にするまでが早い。その結果、神宮大会決勝は完封して優勝できました」。

 そんな野村は今シーズン好調の理由について、チームの先輩である黒田博樹投手の存在が大きいと話しているという。

■優しい表情の裏に隠された一面、「おそらく、燃えるものはあると思う」

「若手の投手が、黒田投手のようなベテランにはなかなか話かけることはできませんが、野村は興味津々でどんどん聞きに行くタイプです。黒田投手も丁寧に教えてくれるそうですよ。技術的な面だけでなく、メンタル面でも参考になっているようで、それが今生きているのだと思います。もともと器用な子なので、外のボールの出し入れが多かったですが、今年は右バッターにも逃げずに内を攻めるようになりました。それは本人もはっきり言っていました」

「今年は優勝したいし、できると思う」。野村は田中コーチにそう話しているそうだ。

「大学時代、神宮で投げていても、打たれたら絶対にボールを変えます。優しい顔とは裏腹に、本当に負けず嫌いです。安心したらダメだと思っているのではないでしょうか。悔しい気持ちを力にしているのだと思います」

 新人王に選ばれた2012年シーズンは、まだ巨人に菅野はいなかった。「翌年、巨人に入団した菅野は1年目からエースとして活躍しました。おそらく、燃えるものはあると思いますよ」。

 悔しい気持ちをバネに成長を続けてきた野村はチームを25年ぶりの優勝へと導けるか。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki