「もう、忘れちゃいますね……」 彼女はそう言うと、求める答えを探すかのように、虚空に視線を泳がせた。 その口調や仕草は、まるでこの1週間の食事メニューを思い出すかのように、ごく自然で力みがない。だが、彼女が今、振り返ろうとしているのは5年を…

「もう、忘れちゃいますね……」

 彼女はそう言うと、求める答えを探すかのように、虚空に視線を泳がせた。

 その口調や仕草は、まるでこの1週間の食事メニューを思い出すかのように、ごく自然で力みがない。だが、彼女が今、振り返ろうとしているのは5年を数える年月であり、幾度にも及んだ手術とリハビリの歴史である。

 かつての”天才少女”の森田あゆみは、今年、29歳を迎えていた--。



安藤証券オープンに出場していた森田あゆみ

 森田が世間の耳目を集めたのは、15歳の時だった。

 この年にプロに転向すると、ジュニアのトップグレード大会「世界スーパージュニア選手権」でシングルス準優勝、ダブルスでは頂点へと達する。さらにその翌月の全日本選手権では、15歳8カ月にして賜盃(しはい)を抱いた。これは今も変わらず、大会史上3番目の年少記録である。

 活躍の場を世界に移してからも、彼女は着実に成長と進歩の足跡を刻んでいった。17歳にしてウインブルドン予選を突破すると、18歳を迎えると同時にトップ100入りをも果たす。キャリア最高ランキングの40位に達したのは、2011年10月。21歳の時だった。

 だが、そこからの数年間、数字的には伸び悩みの時期が続く。フォアとバックのいずれも両手で放つ強打は上位選手をも粉砕するが、攻守のかみ合わせがひとたび狂うと、下位選手に敗れることも珍しくない。なにより、ある頃から、棄権での敗戦が目に見えて増えていった。

 この頃、すでに10年近くに及ぶプロキャリアを過ごす彼女の身体に蓄積された歪みと痛みを知る者は少なかっただろう。

「一度、しっかり休んで身体を完治させたほうがいい」

 WTAのトレーナーも含む周囲の人々の進言に従うことにしたのは、2014年の夏だった。

 この頃、彼女を最も悩ませていたのは、腰の痛みである。生来の柔軟性を活かして身体に巻きつくようにラケットを振る彼女にとって、腰部はまさに根幹だ。

 その部位を治すには、リハビリと患部の強化、そして打ち方も含めた対処方法を探っていくしかない。一朝一夕には成果の出ないそのプロセスを、彼女は根気強く8カ月続けた。

 復帰したのは、2015年3月。1年前に56位だったランキングは389位まで落ちていたが、それでもそこは彼女にとって、新たなスタートラインだった。

 だが4カ月後、彼女は5大会に出場した後、再びテニス界から姿を消す。理由は、右手首の手術だった。

 手首も腰と同様に、森田が長年痛みと不安を抱えていた箇所である。それまでも痛み止めを打ちながらプレーしていたが、すでに対処療法も限界に達していた。受けた手術は、尺骨短縮術。患部には金属プレートを入れ、骨がつくには6カ月かかると言い渡された。

 それから4年が経った今、彼女は「まさか、こんなに長引くなんて、思ってもみませんでした」と、ただただ苦笑いを浮かべる。

 術後はスポンジボールから打ち始めたが、負荷を高めると強度の腱鞘炎に悩まされる日が続いた。手首に入れているプレートが原因ということで、今度は除去するため、同じ箇所を切開する。

 結局、最初の手術から公式戦に出るまでに10カ月を要し、だがその試合でも痛みを覚え、途中棄権を強いられた。翌2017年にも5大会に出るが、6試合戦って勝利はひとつ。敗れた5試合も、3試合が途中棄権だった。

 翌2018年は2月に1大会に出るも、その時に新たな痛みを、右手の薬指の付け根あたりに覚える。最初は腱鞘炎かと思っていたが、あまりに消えぬ痛みに精密検査を受けると、診断結果は腱の脱臼。その治療のため、またも手術を受けざるを得なかった。昨年夏のことである。

 かくして、2015年夏の手術以降、ほぼ試合に出られぬままに重ねた歳月は、4年の長きに及んでいた。

 だがその間、彼女は「1週間以上のまとまったオフは取ってないし、旅行とかにも全然行ってないんです」と照れくさそうに笑みをこぼす。「コートに行って、5分打ったら痛みが出たので、やめて……」という失意も、数え切れないほど味わった。

 それでもコートを離れられなかったのは、長期間休んだら、「それまで強化した筋力が落ちてしまい、テニスを再開した時にゼロから作り直さなくてはいけないのでは……」との不安に襲われたから。だが同時に、一度痛みを知った身体は、意識とはまた別の次元で恐怖を覚え、ボールが来ると勝手にすくむ。

「それでも、テニスをやらない日は1週間となかったので……だからまあ、好きなんだと思います」

 つと自分と向き合うように、彼女は柔らかく笑った。

 その森田に、テニスの何が一番好きかと問うと、「それは勝った時ですよ!」と間髪あけず明るい声が返ってきた。

 勝った時の喜びが、あるいは勝負に身を置く緊張感が忘れられないからこそ、彼女はこの4年間、あきらめず練習コートとジムに通い続けたと言うのだ。友人の選手には、「テニス以上に楽しいことはなかった。勝った時の喜びがあれば、それまでのつらいこともすべて忘れられる」と打ち明けたと言う。

 そして、そんな彼女の想いを支えていたのは、もうひとつの忘れることない記憶……。「いい時の自分の感覚」という、身体の記憶だ。

「100位に入っていた時のプレーの感覚は、まだ覚えていて。どんな感じの動きをして、どんなテニスができればこのくらいまで行けるという目安は、今でもある」と、彼女は迷わず断言する。その記憶をコンパスとし、全盛期のイメージと今の自分を重ねながら、球出しなどの練習でも世界のトップと戦うことを想定し、「早いタイミングと高い球質」を追い求めてきた。

 そしてこの秋、彼女は身体に刻まれた記憶が正しかったことを、周囲に、そして自らにも証明する。

 9月に出場したITF(国際テニス協会)主催の下部大会では、3つの快勝を連ねてベスト4進出。さらに今週(11月11日~17日)開催の安藤証券オープンでも、初戦で350位の選手を圧倒。2回戦では昨夏にメスを入れた薬指近辺に痙攣(けいれん)を覚えて失速したが、世界105位の選手相手に常にリードを奪い、互角以上に渡り合った。

 患部の痙攣は、疲労が溜まると時折起きることだが、本人は「もう少し時間はかかるだろうけれど、治ると思う」と淡々と語る。

 一度は完全に消失したランキングは、現在は800位台。今後、「可能なかぎり試合に出て行きたい」という彼女が当面の目標に掲げるのは、「来年中にはグランドスラムの予選に出ること」だ。

 復帰までに要したあまりに長い時間は、踏破したプロセスや苦難の記憶を薄れさせつつある。

 だが、身体に残る全盛期の記憶と、勝利の瞬間の歓喜は忘れることがない。それらの確かな道標があるかぎり、彼女はかつていた地点を目指して走る。