崇高な舞台には、至高の時間が流れていた。 前日の日没サスペンデッドにより、7時半という早朝の澄み切った空のもと、12番ティーグラウンドから最終ラウンドのリスタートを切ったタイガー・ウッズが首位を走る。ひとつ前の組では、日本の松山英樹がウッ…

 崇高な舞台には、至高の時間が流れていた。

 前日の日没サスペンデッドにより、7時半という早朝の澄み切った空のもと、12番ティーグラウンドから最終ラウンドのリスタートを切ったタイガー・ウッズが首位を走る。ひとつ前の組では、日本の松山英樹がウッズに追随し、16番でバーディーを奪って2打差に迫る。

 2日目が豪雨に見舞われ、最終日が月曜日に持ち越された日本初開催のアメリカPGAツアー、ZOZO CHAMPIONSHIP(千葉・習志野CC)。主催社や、ゴルフというプロスポーツを報じるメディアとしても、あるいは日本のゴルフファンにしても、にわかのファンであっても、誰もが心から願いながら、それはあまりにも出来すぎゆえ、口に出すことすら憚(はばか)られるような最高のシナリオ--。

 つまり、ゴルフ界のスターにしてレジェンドと、日本のゴルフ界の”顔”によるデッドヒートが、習志野CCを舞台に現実となった。

 どちらが勝つにせよ、盛り上がりは最高潮に達したはずだ。だが、ウッズが勝利すれば、サム・スニードが保持する通算82勝という、PGA史上最多勝利に並ぶ付加価値までつく。

 そして、初代王者に輝いたのは、ウッズだった。

 18番(パー5)では2打目をバンカーのアゴ付近に入れるも、見事なロブショットで約2.5mの位置につけ、バーディーフィニッシュ。松山に3打差をつける通算19アンダーで82勝目を飾った。

 4月のマスターズを勝った時のような雄叫びはなくとも、ウッズは喜びに浸るように、静かに右手、左手を交互に高く上げて歓声に応えた。

「82勝というのは、重要な意味を持つ。安定して、長く結果を残し続けてきた結果。サムは50代で達成し、自分は今、40代。このようなキャリアを築くことができて、恵まれている。この勝利を日本で迎えたことは、自分がグローバルプレイヤーとして活躍してきたことを示していると思う」



日本初開催のPGAツアーで、歴史的な勝利を飾ったタイガー・ウッズ

 兎にも角にも、ウッズにとって、いろんなことがあった一週間だった。

 10月20日の日曜日、『TIGER IS BACK』と題されたナイキのイベントにはじまり、翌月曜日は、ロリー・マキロイ、ジェイソン・デイ、そして松山と賞金を争うスキンズマッチに臨んだ。

 火曜日は、練習ラウンド。水曜日は、今大会を開催にこぎつけた前澤友作氏(大会名誉会長)や孫正義氏(ソフトバンクグループ会長兼社長)とのプロアマ戦。木曜日の大会初日は、出だしから3連続でボギーを叩く最悪のスタートながら、首位に立ち、ラウンド後は契約するテーラーメイド社主催の公開レッスンに参加した。

 金曜日は、大雨で中止となり、その分、土曜日に第2ラウンドを、日曜日には第3ラウンドに加え、最終ラウンドを日没までプレーした。

 多忙を極めるなかで、初日から一度も首位を譲らない完全優勝である。

「3連続ボギーで始まり、まさかこんなスコアで上がれるとは思っていなかったが、なんとかカムバックできた。いくつかのミスはあったが、リカバリーできたことに加え、パットもたくさん決めることができた」

 こうしたタフなスケジュールをこなしながらも、優勝を遂げたウッズの凄みを端的に表現したのは、最終ラウンドでスコアを崩し、通算1オーバー、51位タイに終わった石川遼だ。

「月曜日から、いろんなイベントがあって忙しいなかで、試合にフォーカスできる切り替えや、43歳になっても5日間競技を戦い抜ける体力的な部分は、言葉で表現できない(凄さがある)。身体に関しては、20代からの積み重ねだと思いますし、身体(の強さ)があれば、これだけの技術が引き出せるということで、あらためて体作りが大事なんだなと思います」

 長く腰痛に苦しみ、4度の手術を経てきたウッズは、今年8月にも、左膝の軟骨損傷のために手術を受けた。術後の復帰戦が今大会だった。

「数カ月ぶりに、しゃがんで(グリーンの)ラインを読めるようになった。このような、さりげなくシンプルなことが違いを生む。スタンスもよくなったので、ラクにパッティングができるようになった。スイングに関しては、スピードが戻ってきて、皮肉なことに、そのおかげで背中の痛みも少し和らいできた」

 世界中のトーナメントから出場を請(こ)われ、出場試合を自身で選べる立場にあるウッズにとって、PGAツアーとはいえ、初開催となる日本のトーナメントへの出場を決断したのは、過去にダンロップフェニックスで2勝を挙げた経験などから、日本を心から愛しているからだろう。そうしたウッズの好意は、発言の節々から感じられたし、このスケジュールを笑顔で受け入れていることでも明らかだ。

 第2回大会にも、ディフェンディングチャンピオンとして参戦してもらいたい--それは、この日のウッズの偉業を現地で、テレビで、もしくはインターネットで見届けた人間の誰もが共有するものであるはずだ。

 さらに、今大会の優勝で世界ランキングが先週までの10位から6位となり、来年8月に開催される東京五輪の出場も見え、期待せずにはいられない。

 ウッズは、最後にこんな言葉を残して日本をあとにした。

「今週は天候的に厳しい一週間だった。月曜日のスキンズマッチから応援してくれていたし、私が日本に来る時はいつも多くのファンが駆けつけてくれる。彼らのように知識が深く、情熱的なファンの前でプレーするのは楽しい」

 そして、こう付け加えたのだ。

「また来年、この経験ができることを楽しみにしている」

 誰もが”TIGER IS BACK”を心待ちにしている。