「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」ラグビー日本代表は、大きなムーブメントを巻き起こした。予選プールを4連勝で突破し、ラグビーワールドカップ初のベスト8進出――。日本ラグビーの歴史を塗りかえることに成功した。 エディー・ジョ…

「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」ラグビー日本代表は、大きなムーブメントを巻き起こした。予選プールを4連勝で突破し、ラグビーワールドカップ初のベスト8進出――。日本ラグビーの歴史を塗りかえることに成功した。

 エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ/現イングランド代表HC)が率いた前回大会、日本代表は予選プールで3勝を挙げながら決勝トーナメントに進出できなかった。この4年間、彼らはどのような強化を図って結果を残すことができたのか、振り返っていきたい。


この4年間で日本代表は

「ONE TEAM」になった

 2016年9月、ジェイミー・ジョセフHCは就任早々、「ONE TEAM」というスローガンを発表した。だが、「選手との信頼関係を築くのに時間がかかった」と振り返るように、最初からすべてが順風満帆ではなかった。

 ジョーンズHCが退任し、次の日本代表HCが公(おおやけ)になった時、ジョセフHCはスーパーラグビーのハイランダーズ(ニュージーランド)の指揮官。まだ契約期間が残っており、すぐに来日することはできなかった。それでもジョセフHCに白羽の矢が立ったのは、1999年のW杯に日本代表として出場し、現役引退後も2015年にスーパーラグビーを制している世界的名将だからだ。

 ただ、トップリーグで指揮を振るっていたジョーンズHCと違い、ジョセフHCは日本人選手の実力をすべて把握していたわけではなかった。そのため、就任最初の代表メンバーは周りのコーチなどに意見を聞きつつ選出した。

 2016年の秋に選ばれた日本代表は31名。2015年W杯組は代表引退や選出辞退も多く、12名しかいなかった。ちなみに、その31名のなかで2019年W杯メンバーに選ばれたのはFW=3名、BK=6名の計9名。つまり、現在のチームとはほぼ別物だった。

 ジョセフHCはまず初めに、自身の右腕にスーパーラグビーをともに制したトニー・ブラウン、そしてスクラムコーチに長谷川慎を招聘した。そしてブラウンコーチ指導のもと、各ポジションの役割を明確化し、タックルを受けながらパスをつなぐ「オフロードパス」が奨励された。

「4つのユニットをフィールドいっぱいに配置してスペースを攻める」「3次攻撃くらいで攻撃にモメンタム(勢い)が出なければ、キックを蹴ってアンストラクチャー(崩れた状態)に持っていく」

 これらのスタイルは、就任当初からW杯までジェイミー・ジャパンの基本プランとなった。

「(セットプレーなどの)ストラクチャー(整った状態)からのアタックはうまくプレーするが、アンストラクチャーになると手こずる部分があった」

 ジョセフHCがそう振り返るように、まずは苦手な部分から取り組んだ。こうして、キックを蹴りたがらない、オフロードパスをしたがらない日本人選手たちに、「チャレンジする意識」を植えつけていった。

 2016年11月、ジェイミー・ジャパンの初陣となったアルゼンチン代表戦は大敗。しかし、その後のアウェー戦ではジョージア代表に勝利し、ウェールズ代表とも最後まで接戦を演じる。前に出るディフェンス、キックを主体にした新しい戦い方に手応えを感じた内容だった。

 2年目の2017年春は、主力選手がサンウルブズでスーパーラグビーを戦う一方、ジョセフHCは若手中心でアジア選手権に臨み、選手たちの育成を図った。

 そのメンバーのなかには、HO(フッカー)坂手淳史(パナソニック)、PR(プロップ)具智元(グ・ジウォン/ホンダ)、SH(スクラフハーフ)流大(ながれ・ゆたか/サントリー)、CTB(センター)中村亮土(サントリー)といったメンバーがいた。とくに流は代表キャップゼロながらキャプテンに指名されるなど、練習からリーダーシップを発揮していたことが高く評価された。

 2017年6月には、しばらくチームから離れていたFL(フランカー)リーチ マイケルが日本代表に復帰。だが、準備期間が短かったことも響き、アイルランド代表には2連敗となる。さらに、同年秋に行なわれた世界選抜やオーストラリア代表にも黒星を喫したが、トンガ代表には勝利し、フランス代表には引き分け。世界の強豪とも十分に戦える姿を見せた。

 この頃から、「ONE TEAM」になるべく、チームの象徴である赤い甲冑「カツモト」がドレッシングルームに置かれ、チーム内MVPには名前を刻んだ模造刀が渡されるようになった。また、トンガ代表戦やフランス代表戦の出場選手のうち、13名が2019年W杯メンバー。徐々に固定してきたことがわかる。

 2018年は、ジョセフHCがブラウンコーチとともにサンウルブズの指揮にあたり、「日本代表=サンウルブズ」という体制となった。だが、それでもチームはなかなか勝てず、この時期はコーチ陣と選手の間に不協和音が広がったという。

 原因のひとつは、「どうして途中で変えたのか」「なぜ起用されなかったのか」など、ジョセフHCは選手に多くを説明しなかったからだ。そんな折、ジョセフHCのサニックス時代の盟友である藤井雄一郎(現・強化委員長)がキャンペーンディレクターとしてチームに帯同することになる。藤井ディレクターは長谷川コーチとともに、ジョセフHCら外国人コーチと日本人選手の橋渡し役となった。

「日本代表が『ONE TEAM』になったのは、サンウルブズに藤井さんが入ってからでは」

 HO堀江翔太(パナソニック)は、当時をそう振り返る。結果、2018年6月の日本代表戦はほぼサンウルブズのメンバーで戦えたこともあり、イタリア代表とジョージア代表に勝利して少しずつ自信をつけていった。

 また、チームがひとつになるきっかけとなったのは、W杯のちょうど1年前の9月24日から2泊3日で行なわれた「和歌山合宿が大きかった」と話す選手も多い。

 この合宿では、グラウンドではフィジカルやフィットネストレーニングを中心に行ない、残りの時間は「一貫性を持ったパフォーマンス続けるには、どういった準備やメンタルを持って試合に臨むか」「ワールドカップでは、どういったものが障害となるか」など、選手同士で話し合う機会にあてた。

 一方、ジョセフHCらコーチ陣たちは、1年後に向けての計画を立てていた。2015年からラグビー漬けだった選手たちの心身を考慮し、2018年は12月中旬でトップリーグが終わるように調整して、2019年1月末までオフを取らせた。そして2月からは、ワールドカップに向けて250日にわたる合宿をスタートさせた。

 その合宿ではまず、タックルやオフロードパスなどの基本プレーを徹底的にやりこんだ。また、特別編成チーム「ウルフパック」を立ち上げ、スーパーラグビーのBチームと国内外で6試合行なうなど、選手選考を進めながらチームの強度も徐々に上げていった。

 同時に、この頃には強固なリーダーシップグループも確立させた。リーチ主将を筆頭に、PR稲垣啓太(パナソニック)、FL/No.8(ナンバーエイト)姫野和樹(トヨタ自動車)、FLピーター・ラブスカフニ(クボタ)、流、SH田中史朗(キヤノン)、SO(スタンドオフ)田村優(キヤノン)、中村、CTBラファエレ ティモシー(神戸製鋼)、WTB(ウィング)松島幸太朗(サントリー)といったリーダーたちにチームの舵取りを任せた。

 6月からの宮崎合宿では、「エディー・ジャパン時代より大変だった」「人生で一番きつかった」と選手たちから声が漏れるほどのハードトレーニングを敢行。第1クールと第2クールは朝・昼・夜で練習を行なうなど、心身ともに徹底的に鍛え込んだ。とくに選手たちが苦しそうだったのは、40分ほどアタック&ディフェンスを続け、ボールを動かしながら1試合以上の距離を走り続ける練習だった。

 そして第3クールからは、選手たちは「グローカル」と呼ばれる小人数のミーティングを繰り返し、現状や今後の課題を話し合った。このミーティングを重ねたことで、「ONE TEAMになった」と感じた選手も多い。この頃になると、コーチから大枠の指示を受けたあとは選手たちだけで話し合い、自身で問題を解決する「大人のチーム」へと変貌を遂げていた。

 7月末から8月にかけて行なわれたパシフィック・ネーションズカップでは、フィジー代表、トンガ代表、アメリカ代表を下して2度目の優勝を飾る。とくにフィジー代表は「史上最強」との呼び声が高かっただけに、この4年間で初めて世界ランキング上位のチームに勝利したことも大きな自信となった。

 9月6日、南アフリカ代表とのW杯前哨戦。メンバーを31名に絞り込んで初の試合は7-41で敗れた。だが、W杯第2戦で世界ランキング2位(当時)のアイルランド代表に勝てた要因を、リーチは「前哨戦で南アフリカと対戦して、ティア1のレベルがわかった」と話している。本番直前に世界的強豪と後半途中まで互角に戦えたことは、チームにとって大きな収穫となっていた。

【日本代表・W杯結果】
9月20日(金) 日本代表 30-10 ロシア代表
9月28日(土) 日本代表 19-12 アイルランド代表
10月5日(土) 日本代表 38-19 サモア代表
10月13日(日) 日本代表 28-21 スコットランド代表
10月20日(日) 日本代表 3-26 南アフリカ代表

 ベスト8に進出できた理由を、ジョセフHCはこう語る。

「チーム一丸となるには本当に多くの時間がかかったのですが、このかけた時間の分だけ、最終的にひとつのチームを作り上げることができた」

 リーチキャプテンも、同じことを口にする。

「ジェイミーHCが『ONE TEAM』を作り上げたことが(ベスト8進出に)すごく影響したと思う」

 2015年大会は、ジョーンズHCが自分のスタイルを遂行する管理型のラグビーだった。一方、ジョセフHCは試合だけでなく練習時から選手の自主性を重んじ、それを最後まで貫いた。あらためて振り返ると、W杯本番までの最後の1年、コーチ陣によるマネジメントの手腕が大きかったように感じる。