Jリーグ創設から今年で26年目を迎え、各地で元Jリーガーが指揮を執る高校サッカー部の躍進が目立ち始めている。龍谷高校を率いる元Jリーガー、太田恵介監督 photo by Yoshida Taro 筆頭として名前が挙がるのは、Jリーグの黎明…
Jリーグ創設から今年で26年目を迎え、各地で元Jリーガーが指揮を執る高校サッカー部の躍進が目立ち始めている。
龍谷高校を率いる元Jリーガー、太田恵介監督
photo by Yoshida Taro
筆頭として名前が挙がるのは、Jリーグの黎明期に”ミスター・グランパス”として活躍した岡山哲也氏だ。引退後の2011年から母校である中京大学附属中京高校(愛知県)の指揮を執り、コンスタントに全国大会出場に導いている。
甘いマスクから”柏のプリンス”と呼ばれた酒井直樹氏も今年のインターハイで日本体育大学柏高校(千葉県)を初の全国大会に送り込んだ。
ザスパ草津のJ2昇格に貢献した守護神・北一真氏が率いる金沢学院高校(石川県)、名古屋グランパスでハーフナー・ディドと熾烈なポジション争いを繰り広げた伊藤裕二氏が監督を務める中部大学第一高校(愛知県)なども熱心に指導を行なっている。
ただし、すぐに結果につながるとは限らない。アビスパ福岡やザスパ草津で195cmの大型FWとして活躍した太田恵介氏は、転身後に苦労した一人だ。引退後は母校・福岡大学で指導者となり、2013年からは佐賀県の龍谷高校で新設されたサッカー部の監督に就任した。
学校のサポートも手厚く県内の高校では初めてとなる人工芝のサッカー場が完成し、選手も創部初年度とは思えない程の実力派が集まった。就任当初の太田監督は並々ならぬ想いで指導にあたっており、当時を知る指導者からは「ギラギラしていた」との声が多く聞かれた。当たり前のことを当たり前にやる凡事徹底が指導のモットー。できない選手には厳しい言葉をかけて頑張らせてきたが、1期生が在学中に全国大会には出られなかった。
3年間は満足のいかない結果だったが、苦しんだ経験は指導者としてのプラスとなったのは間違いない。太田監督はこう振り返る。
「当たり前のことができない選手には『ふざんけんじゃねぇ!』とハッパをかけていたけど、それでは選手が伸びない。僕の手を離れてからは苦しむ選手が多く、結果は一目瞭然だった。それで、なぜ今の取り組みが必要なのか、考えて動ける自発性を求めるようになったんです」
就任5年目の昨年、”谷間の世代”と評されたチームが初の選手権出場をつかんだのは、そうした変化の賜物だったと言えるだろう。
今年からは選手の自発性を育むための制度作りを本格化させた。山口県の高川学園高校が行なう取り組みをベースにして部内にさまざまな部署を設立し、一人ひとりに役割を与えることで責任を持たせるようにしたのだ。
「おもてなし部」の部員からメニュー表を渡された
代表的な例が『おもてなし部』。部に訪れた人々をもてなすために部員自らが進んでさまざまなおもてなしを行なう。筆者が取材に訪れた際は、「ドリンクをサービスしています。何を飲まれますか?」とメニュー表を渡され歓迎を受けた。ほかにも『農業部』では、近所の農家の手伝いを行なったりもする。
一見、サッカーには関係ない取り組みかもしれないが、太田監督は「子どもたちの目配り・気配り・心配りを養いたい。それができてくるとサッカーにも活きてくる。今年のチームはダメな時ほどバラバラになってしまう。そういう時ほど、三つの配りを大事にしてほしい」と話す。
ギラギラした就任当初の面影は薄れ、今の太田監督は表情も穏やかだ。
「今でも負けず嫌いだから勝ちたいんですけど、押し付けでやっても子どもたちをダメにしてしまう。今までは僕が厳しく指導して、子どもたちを失敗させないようにしてきたけど、結果は出なかった。もし、1期生で選手権に行っていれば気づけなかったかもしれない」
関西にも、もがきながら指導者としてのキャリアを積んでいる、元Jリーガーの監督がいる。滋賀県の草津東高校を卒業して清水エスパルスに2年間在籍。シンガポールやドイツの下部リーグでもプレーした前田高孝氏だ。
引退後は関西学院大学に入学し、学生コーチとして指導者のキャリアをスタートさせたが、自身が生まれ育った滋賀県湖北地区に全国で戦えるチームを作りたいと考え、2015年に本格強化を始めた近江高校の監督に就任した。
部の歴史がなく簡単には人が集まらないため、就任1年目の前田監督は県内の中学やクラブチームへのあいさつ回りに専念し、「一緒に歴史を作ろう」と声をかけ、一期生をかき集めた。
就任当初から選手のプレー面を鍛えるだけでなく、ピッチ外での育成に励んだのは近江の特徴と言えるだろう。龍谷高と同じく部内に分析や清掃など複数の係を設置し、一人ひとりに役職を与えることで責任感を持たせた。
その一つが部内の紅白戦をいかに盛り上げるかを考えたり、大会前に行なう決起集会を計画する『企画係』だ。今年はペットボトルのキャップを回収し、リサイクルで得た利益で発展途上国の子ども向けワクチンを購入して寄付する「エコキャップ運動」を行ない、滋賀県知事から表彰された。
選手から挙がってきた活動案を前田監督が止めることはほとんどない。
「学校の良い子は先生に言われることを聞ける子だけど、社会で通用する子は言われることを聞くだけではなく、自分の発想をプラスアルファできる。先生の意見を聞いているふりして、さらにすごいことができたり、レールの上を歩かない子が生き残っていける。サッカー部の活動を通じて、社会に出てからたくましく生きていける子どもが一人でも育ってほしい」
こうした考えはJリーガーとして、社会の厳しさを知った監督ならではかもしれない。
取り組みは結果としてすぐに表われた。新生・近江高校サッカー部として活動が始まった2016年度の選手権予選は初戦敗退で終わったが、2年目の2017年度は1、2年生のみのメンバー構成ながらも、インターハイ予選を勝ち抜き初の全国出場を達成。3学年が揃い勝負の年ととらえていた昨年は、選手権予選のベスト8で涙を呑んだが、もう一つのターゲットだったプリンスリーグ関西への昇格は果たした。
近江高校で指導する元Jリーガー、前田高孝監督
強化開始からわずか4年で関西の強豪校と肩を並べたが、待っていたのは過酷な現実だ。プリンスリーグ関西は開幕から善戦を続けるものの白星は遠く、初勝利を奪ったのはリーグの折り返しを迎えた7月の第9節。指導者に転身してからは一定の成果を挙げてきたため、前田監督は「こんなに毎週負けたことがなかったから、試合をするのが嫌だった」と振り返る。
ただし、勝てない中でもがき続けることで、心境の変化も生まれた。
「負けると自分に腹が立つし、凹む。でも、相手もしっかり練習して挑んでくるから、勝つか負けるかはわからない。一生懸命やっても負ける時もあるんだと学んだ」
チームを強くしたい一心で勝ちにこだわっていた以前とは違い、負けを素直に受け入れられるようになってからは気持ちが楽になった。これまで試合を見るのは高校サッカーばかり。分析のために行なうチェックが主体だったため、「楽しんでサッカーを見られなかった」が、今年に入ってからは気楽な気持ちでプレミアリーグやチャンピオンズリーグを観戦できるようになった。
悲願である選手権初出場がかかった予選を前にしても、張り詰めた様子は見られない。良い意味での心の余裕が生まれたのは、指導者としての成長と言えるだろう。
選手としての経験を評価され、今後も各地で元Jリーガー監督は増えていくのは間違いない。これから本格化する選手権予選では、選手の奮闘と共に、指導者としてのキャリアを歩み始めた元Jリーガーたちの奮闘と葛藤にも注目してほしい。