湿度も高く暑いなかを黙々と自分のペースで歩き続けた鈴木雄介 9月29日、現地時間23時30分にスタートした世界陸上選手権男子50km競歩。鈴木雄介(富士通)は、前半からひとり旅を続け、終盤になって追い上げてきたジョアン・ビエイラ(ポルト…
湿度も高く暑いなかを黙々と自分のペースで歩き続けた鈴木雄介
9月29日、現地時間23時30分にスタートした世界陸上選手権男子50km競歩。鈴木雄介(富士通)は、前半からひとり旅を続け、終盤になって追い上げてきたジョアン・ビエイラ(ポルトガル)を退けて4時間04分20秒でゴール。日本競歩界初の金メダルを獲得した。レース後に語った勝因は、”冷静さ”だった。
「(事前の)合宿でも疲労が溜まった時はトレーナーについてもらってしっかり休んだり、うまくコントロールしてきました。以前は休んだら今まで積み上げたものがなくなると焦っていましたが、ケガで2~3年休んでも意外と過去に積み上げたものが残っていたので、『休んでもすぐ戻るんだな』とわかったんです。今回も試合直前の2日間は思い切り休んで、体調をフレッシュな状態にして臨みました」
仕上がりは万全で、ドーハに入る前には涼しい時期ならばヨハン・ディニ(フランス)が持つ3時間32分33秒の世界記録も更新できるとも思える状態だった。ところが、現地に入ってみると湿度が高く90%にもなる日もあり、まるでサウナに入っているようだった。
そのため、スピードよりも50kmを歩き切れるペースを守ることを最優先にして、他の選手が速いペースでいっても自分のペースを守り、”勝負するのはラスト10kmだけ”と決めていた。
「湿度90%の中で練習した時、1km5分とか6分のペースなのに心拍数がいつもの(速い)レースペースの時くらいに上がっていました。涼しい時のレースでは1分間で160くらいの心拍数が50kmを歩く目安なんですが、遅く歩いても同じくらいに上がっていました。
これまで『自分は暑さに強い』と言ってきたんですが、実際にデータを取ると暑さに弱いという数字が出ていました。逆に野田明宏(自衛隊体育学校)のほうが、サーモグラフィーで体表面の温度を測ると、暑さに強いというデータが出ていたので、不安もありました。『どんなペースで行ったら、50kmを歩き切れるだろうか』という不安はレース前からずっと持っていたし、恐怖心を持ってスタートラインに立ちました」
20kmだとレース中でも、優勝するための戦略を考えているのが普通だ。だが鈴木は、この暑い中で、頭を使うことでエネルギーを消費するのは無駄だと思い、距離やペースなどは何も考えないでレースに臨んだ。スタート時は気温31度で湿度74%という条件。最初の1kmは流れに身を任せて4分57秒で入ると、誰もついてこず、最初から独歩になる予想外の展開になった。
「(レースは)ドーハに入って、すぐに経験した最悪の蒸し暑さに比べれば『少し涼しいかな』と思える条件で、最初はすごく気持ちを落ち着かせていったつもりでしたが、みんながついてこないので『どうしたのかな?』と思って。後ろのペースに合わせようかと一瞬考えましたが、逆に自分が楽かなと思っているペースで周りが離れてくれるんだったら、それはそれでラッキーと考えて、そのままの感覚で行くことを決めました。
ただ、自分の気持ちいいペースというだけだったら、もう少し速くなったと思うし、絶対に最後まで体力が持たなかったと思う。でもその時に、冷静に自分の心拍数を見て基準にできたのがよかった。普通のレース序盤は155くらいが理想ですが、(今回は)楽に行っているつもりでも165になっていたんです。少し自重しなければいけないなと思ったのですが、なんとか耐えられるギリギリのラインでしたし、下手に下げるよりはこのままのリズムでいった方がいいのではないかと自分で判断しました」
レースはしっかり見えていた。9kmを過ぎてディニが追いついてきても、「これは50kmまで持たない歩き方だ」と判断して気にならなかった。もうひとり、2位集団につけていた、世界選手権と五輪で優勝した実績もあるマティヤ・トート(スロバキア)も、しっかり自分のペースを刻んでくるだろうと警戒していたが、20kmを過ぎると集団から落ちていった。
「30kmを過ぎてからは疲労が徐々に出てきました。40kmまではトイレに行ったことを考えれば、ペースはそれまでのレベルを維持できていたので大丈夫かなと思っていましたが、体のキツさがどんどん蓄積してきて、脱水症状になりそうな感覚も強くなってきていました」
レースから12時間後、金メダル獲得の喜びとともに東京五輪に向けて語ってくれた
そんな時に決断したのは、毎周回、しっかり止まって給水を取るということだった。それは元々、今村文男コーチとも話していたことで、「止まってしっかり給水を取ればその間に心拍数も下がる」という考えもあった。
「今村コーチからは『タイムはそれほどロスしないから、落ち着いて飲んでからスタートすればいい』と言われていましたが、1回目はさすがに勇気がいりましたね。その時は『3着になっても東京五輪の内定が取れればいいから止まって飲もう』と思って。でも一度止まって飲んでみたら、歩きながら飲むより飲みやすいことに気がつきました」
40km通過時点では、2位の中国の選手との差も3分23秒ついていたこともあり、金メダルを獲りたいという気持ちが強くなった。最初からラスト10kmだけは、コーチにラップタイムを伝えてくれるように頼んでおり、実際に止まって給水を飲んでもその間の1周2kmのラップタイムは、10分30秒くらいだったのを確認すると、「他の選手がけっこうな速度で追いかけてこない限り、捕えられることはないだろう」と思った。
「自分もきついけど追いかける方もきついはずだから、止まっても大丈夫だなと。ただ、ラスト1kmまでは追いつかれるというより、自分が止まってしまう不安はありました。それでもよかったのは、(周回遅れの)前の選手を追いかけられたことですね。その選手と同じくらいで行けば、後ろから追いつかれることはないなと思ったので、1回休んで抜かれて、追いかけて抜き返すといういい循環ができました」
そんな冷静な判断があったからこそ優勝できた鈴木。この暑い中でのレースは、来年の東京五輪へ向けて貴重な経験にもなった。
「気温や湿度が高いと、低い時に比べて体も全然違う。同じ心拍数でもダメージは残ってしまうので、東京五輪へ向けてはいい指標になった。レース自体も来年はもうちょっとレースを落ち着かせなくてはいけないというのもわかりました」
さらに今回は給水も、冷たい物を飲んだ方が内臓から体温の上昇を抑えられるだろうと冷やして飲んでいたが、逆に冷えすぎてトイレに2回行く原因になったのではないかと感じた。自分を実験材料として、東京へ向けてのデータを取れたのは有意義だった。
「とにかくゴールすることしか考えていなかったけど、止まって給水を取るのを見た人たちはみんなハラハラしたみたいで。普通にゴールしていたら『暑い、暑いと言うけど、そんなでもないのかな』と思われたかもしれないけど、止まったことで本当にきついんだとわかってもらえたのは、よかったですね」
世界記録を出して以来、自分が日本競歩のパイオニアだと自負するようになっていたが、日本競歩の悲願のメダル獲得は、16年リオ五輪の50kmに出場した荒井広宙(ひろおき/富士通)が銅メダルを獲得したことで、自分が故障している間に達成されてしまった。「悔しかった。だからこそ自分が、日本初の金メダルを獲れたことは東京五輪内定よりうれしい」と笑顔を見せる。
この暑いレースを歩いて制覇したからこそ感じたことを、来年の東京五輪に向けてブラッシュアップしていけば、再び金メダルが見えてくるだろう。