9月20日に行なわれる「日本代表vsロシア代表」の開幕戦から計44日間の日程で、いよいよラグビーワールドカップが始まる。日本代表は本番に向けて強化を図ってきたが、直前のテストマッチ4試合で4トライと好調を維持しているのが、右WTB(ウィン…

 9月20日に行なわれる「日本代表vsロシア代表」の開幕戦から計44日間の日程で、いよいよラグビーワールドカップが始まる。日本代表は本番に向けて強化を図ってきたが、直前のテストマッチ4試合で4トライと好調を維持しているのが、右WTB(ウィング)のエース松島幸太朗(サントリー)だ。


ロシア戦に

「14番」で先発するエース松島幸太朗

 22歳で出場した前回大会は、WTBとして4試合すべてに出場。26歳となった今はアタックを担当するリーダーのひとりとして、指揮官ジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)の信頼も厚い。彼を日本代表の中軸まで押し上げたのは、生まれ故郷の南アフリカで培われたチャレンジ精神だ。

 松島は決して、雄弁なタイプではない。ただ、ワールドカップに関して質問すると、リーダーとして自覚十分な言葉を発した。

「自国開催のプレッシャーをしっかり受け止めながら、そのなかで楽しめるような環境を作って、みんながリラックスできる試合運びをしていきたい。予選プールで全勝し、決勝トーナメントに進出したい」

 桐蔭学園高時代や所属するサントリーサンゴリアスでは、「15番」のFB(フルバック)の印象が強い。だが、日本代表を率いるジョセフHCは、「Xファクター(特殊能力)がある」と高く評価。6月の宮崎合宿から松島は、WTBとしてプレーしている時間が多くなった。

 当初は「FBでの出場を強くアピールしたい」と、愛着のある15番へのこだわりを公言していた。だが、リーダーグループのひとりでもある松島は、試合でWTBとしての仕事を全うした。「WTBなので、トライを取り切るフィニッシュにこだわりたい。ボールをもったら、ラインブレイクを狙いにいく」。その言葉どおり、今夏はトライを量産することに成功した。

 相手SH(スクラムハーフ)のライン際のキックに対応すべく、長身FBのウィリアム・トゥポウ(コカ・コーラ)や山中亮平(神戸製鋼)はサイドライン際に立つ。そのため、守備時の松島は背番号こそWTBだがFBの位置に入り、相手のキックを受けてからのカウンターに備える。

 一方、アタックはWTBとしてサイドに張ることが多い。だが、7月27日のフィジー代表戦ではステップとランの能力を生かし、中に切れ込むサインプレーでトライを奪取した。

 攻撃ではWTB、守備時はFB--。松島は与えられた役割を難なくこなしている。「(ジェイミー・ジャパンでの)WTBは、僕のポジションならけっこう自由が利く。FBだと固定される状況が多いので、今までよりやりやすい」。

 松島は桐蔭学園高時代、稀代のFBとして全国に名を轟かせた。2010年度の「花園」全国高校ラグビー大会の準決勝では100メートルの独走トライを決め、決勝ではFB藤田慶和(パナソニック)を擁した東福岡高と31−31で引き分け、母校に初の優勝(同時優勝)をもたらした。

 ところが高校卒業後、松島は他の有望選手と違う選択を決断する。強豪大のラグビー部からの誘いを断り、ジンバブエ出身のジャーナリストの父と5~6歳まで暮らした、生まれ故郷の南アフリカへ渡ったのだ。

 理由は、「スーパーラグビーに挑戦したい」から。桐蔭学園の藤原秀之監督に「(南アフリカ挑戦は)どうだ?」と問われ、その言葉が18歳の少年の背中を押した。

 松島はスーパーラグビーのシャークスの育成機関に入って3年間研鑽を積み、得意のランに磨きをかけた。ケガで苦しんだ時期もあったが、タックルで身体を張る力強さも増し、順当に成長曲線を描いていく。「南アフリカに行ったからこそ、たくさん経験もできた。僕のなかでは『デカい経験』。それがあったから、今ここ(日本代表)にいると思う」。

 2013年、松島はついにU20南アフリカ代表候補の合宿メンバーにも名を連ねることになる。だが、松島はその招集に応じることはなかった。

「試合に出てしまうと、日本代表になれなくなってしまう。日本代表への気持ちが大きかった」。高校日本代表で初めて桜のジャージーに袖を通し、幼少時に日本国籍を取得して日本人の母と日本に住んでいた松島は、日本代表を選んだ。

 その松島の決断を受けて、当時の日本代表指揮官エディー・ジョーンズHCはすぐに声をかけた。松島は2013年秋の欧州遠征に招集され、日本選抜としてイングランドのクラブチームとの試合に出場する。そして、トップリーグのサントリーと契約し、2014年には代表初キャップを獲得すると2015年のワールドカップには中心選手としてピッチを駆け抜けた。

 その後、松島は「もっと上を目指したい」という理由で、サントリーに所属しながら2015年からの4年間、オーストラリアのワラターズ、レベルズ、そしてサンウルブズと、常にスーパーラグビーのチームに身を置いてレベルアップに力を注いだ。その結果、2017年度のトップリーグではサントリーを優勝に導き、シーズンMVPにも輝いた。

 この4年間、松島自身が一番伸びたと思うところは、スキルよりもメンタルだと言う。「どの試合でも落ち着いてプレーでき、考えながらプレーするようになった」。

 いよいよ迎える、2度目のワールドカップ。前回と今回の違いを、松島はこう語った。

「前回は『試合に出られればいい、先輩たちについていけばいい』という感じだったが、今回はリーダー陣のひとりとして臨むので、『チームがいい方向に進んでいるのか?』を見極めないといけない」

 また、日本開催のワールドカップをきっかけに、ラグビーのよさを少しでも広めたいと考えている。東日本大震災や熊本地震などの支援の一環として、松島は日本代表の試合に子どもたちを招待する活動を続けている。

「ラグビー好きな子も、今まで見てなかった子も、自分たちがプレーしているところを見せて、ラグビーをやりたいと思ってくれればそれでもいいし、気持ち的に高まることにつながればいいかなと。シンプルに試合を楽しんでもらいたい」

 松島はワールドカップ後、イングランドでもフランスでも「ヨーロッパに行けるのであれば、どんどん出ていきたい」と、欧州挑戦にも意欲を燃やす。ただその前に、ワールドカップで日本代表の歴史を塗り替える大仕事が待っている。

 飽くなき向上心を持つエースは、ワールドカップのピッチを颯爽と駆け抜けて、スタジアムの大観衆、そしてテレビで観ている多くのファンに歓喜の瞬間を届ける。