神野プロジェクト Road to 2020(36) 神宮外苑前のイチョウ並木に設けられたMGCのゴールライン。神野大地は、フィニッシュすると静かに歩みを止め、大きく呼吸をして息を整えた。 2時間17分40秒の17位。残念ながら大きな目標とし…
神野プロジェクト Road to 2020(36)
神宮外苑前のイチョウ並木に設けられたMGCのゴールライン。神野大地は、フィニッシュすると静かに歩みを止め、大きく呼吸をして息を整えた。
2時間17分40秒の17位。残念ながら大きな目標として掲げていたMGCで東京五輪・男子マラソンの出場権を獲得することはできなかった。だが、その表情はどこか清々しかった。
MGCに出場した神野大地だったが、20キロ地点で遅れて17位に終わった
MGCは30名の選手で争われ、8時52分にスタートした。その直後、設楽悠太(Honda)が飛び出した。だが神野は、その独走を「気温が上がってきたので、このまま逃げ切れないだろう」と冷静に判断し、大きな集団となった第2グループのなかで力をためつつ、様子を見ていた。
モニター画面を見ていた高木聖也コーチは、「落ち着いてレースをしている」といいスタートを切ったことに安堵していた。
「レースに出る際、『落ち着いていこう』と神野に言いました。あと、『こんなレースはなかなか経験できることがないので、誰よりも楽しんできてね』って伝えました。レース前は非常に落ち着いていましたね。やることをやって、自分のなかで自信を持っていたからだと思います。過度にナーバスになることもなく、いろんなことを気にすることもなかったので、メンタルの持っていき方は成長したなと感じました」
レースは依然、設楽が独走していた。10キロ地点で、後続集団と1分44秒の差がついていた。
ペースが上がらない第2集団の大きなグループは、誰も動かない。というよりは、動けない状態にいた。設楽との距離を意識しつつ、周囲にも気を配らなければならず、しかも気温はどんどん上がっていく。選手たちは後半勝負に向けて極力体力を消耗しないように、互いにけん制しながら走っていた。
そんななか、12.5キロ地点で神野と山本憲二(マツダ)が第2集団の前に出た。膠着した状態を崩しにかかったのだ。
「この集団のなかでいいリズムで走ろうと思っていたのですが、この時は上にいけるんじゃないかという気持ちで前に出ました。あれで人数が絞られたので、自分としてはいい仕掛けだったんじゃないかなって思います」
神野の言葉どおり、大集団が分裂し、若干ペースが上がった。
15キロで大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)らに吸収され、再び第2グループで走ることになったのだが、17.55キロを越えると、神野のスピードが落ち始めてきた。大迫をはじめ、服部勇馬(トヨタ)、中村匠吾、鈴木健吾(ともに富士通)の4人の選手が前をいく。神野は「勝負どころは35キロを越えた坂」と考え、そこまで喰らいついていける足をつくってきた。しかし、ここにきて早くも歯を食いしばって走る表情が、テレビ画面に映し出されていた。
「15キロぐらいからすごくペースが上がっていったんです。あそこ(大迫らに抜かれたところ)で1、2キロ我慢できていれば、その後ペースは上がっていかなかったので、自分のなかのレース展開も変わっていたかもしれない。でも、ついていけなかった。自分の力不足を突きつけられた感じがありました」
そして19キロを越えると、神野は第2集団から離れていった。それでも沿道からの大声援を受けて、懸命に走った。
「沿道の声援とか盛り上がりは、箱根よりも上だったんじゃないかな。それぐらい、この大会の大きさを感じました」
神野は青学大時代から声援を受けてパワーをもらい、それを走る力に変えてきた。だが今回は、これまでにない声援をもらうも、体力は消耗していった。
折り返し地点では、トップを走る設楽、そして大迫らの第2集団から離れ、第3集団のなかにいた。トップを走る設楽の足は止まりかけていたが、神野も「前と離れてしまった」という状態で、五輪の椅子は遠のいていくばかりだった。力強く走る前の選手を追えず、神野はマラソンの難しさを痛感していた。
レースは中村がトップでゴールに駆け込み、2位には服部が入り、ともに東京五輪への切符を勝ち取った。大本命だった日本記録保持者の大迫は3位に終わり、残り1枠はMGCファイナルチャレンジ(※)の結果を経て、決定されることになった。
※福岡国際マラソン、東京マラソン、びわこマラソンの3レースのなかで、派遣設定記録(2時間05分49秒)を上回り、最も速いタイムを出した選手が代表に内定。突破する選手がいない場合は、MGCで2枠に入らなかった次点のランナーが選ばれる
神野は、中村がゴールしてから6分後にフィニッシュした。
「今日までしっかり準備をやってきましたし、自分の力を出した結果だと思うので、この結果を受け入れたいと思います」
悔しさを噛みしめながら、神野は冷静にそう語った。
高木コーチの言葉にもあったように、このレースに向けてやれることはやってきた。中野ジェームズ修一フィジカルコーチも「この2年の成長はすごかった」と、神野のマラソンランナーとしてのレベルが急速に進化したことを評価していた。
だが、それでも最後まで勝負できるポジションにはいられなかった。中野コーチは言う。
「マラソンの強化を本格的に始めて、まだ2年ちょっと。そんな簡単に五輪の選手にはなれない。これをさらに4年続けていくことで、五輪レベルになれる感じだと思います」
レースを振り返れば、20キロぐらいまでは互角に戦えた。しかし、そこからラップがガクンと落ちていった。
15キロから20キロまではペースが上がった分、前の5キロ(10~15キロ)よりも22秒速くなっていた。だが、第2集団から離れた20キロ以降は急激に落ち込んだ。とりわけ25キロから30キロは16分43秒で、前の5キロ(20~25キロ)より1分近くタイムを落としている。その後も30~35キロは17分13秒、35~40キロは17分46秒と、ペースダウンは顕著だった。
逆に、優勝した中村や服部、大迫らは一番苦しいはずの35~40キロでペースを上げていた。神野がマラソンで勝つためには、レース終盤でペースを上げられる体づくり、足づくりが必要になる。
レース前、神野は「36キロの坂からが勝負」と語っていた。優勝した中村が見せたように、トップ集団でポジションをキープし、35キロ以降で勝負に出るようなイメージを神野も抱いていたはずだ。だが、12キロと予定よりもはるかに早く前に出て、集団から選手を振るい落とすようにレースを引っ張り始めた。
なぜ12キロだったのか。なぜそこで前に出たのか。今回のレースを今後に生かすためにも、検証すべきところは多々ある。
そして残された1枠、MGCファイナルチャレンジをどうするのか。レース後、そのことについて神野はこう言った。
「東京五輪を目指してやってきたので、可能性がある限り、狙っていきたいと思いますけど……2時間5分49秒というのは、そう簡単に出せるタイムではないと思います。いつもなら『2時間5分49秒を狙っていきたいです』と言うと思うのですが、僕のベストが2時間10分18秒。今の時点ではそのタイムが見えないのが現実です」
気持ちはあきらめたくないが、現実的には相当に厳しい。5分近くもタイムを縮めるのは並大抵のことではない。
まだMGCが終わったばかりで、次のことなど考えられないだろう。ただ、個人的には3つのレースのうち、どれかを走ってほしいと思う。代表権がかかったレースを走るというのは、普通のそれとは違う。痺れるような経験が、神野をワンランク上のランナーへと押し上げてくれるような気がするからだ。
MGCのあと、神野はこれまでとは異なり、敗れたとはいえ充実感を漂わせていた。
「今、涙が出ていないのは、やり切った結果だと思います」
神野はキッパリとそう言った。
最大の目標にしていたMGCのレースは終わった。次に、神野は何をモチベーションに、どんな目標を掲げ、どう動くのか。MGCファイナルチャレンジへの挑戦を含め、神野が次に発する「言葉」が楽しみだ。