男子バレーボール部・男性部員の中でたった一人、選手ではない部員がいる。その男はアナリスト吉田伸(スポ4=東京・調布南)。1年間の浪人経験や選手からアナリストへの転向など異色な経歴の持ち主でもある。そんなコート上ではなく観客席でパソコンと向…

 男子バレーボール部・男性部員の中でたった一人、選手ではない部員がいる。その男はアナリスト吉田伸(スポ4=東京・調布南)。1年間の浪人経験や選手からアナリストへの転向など異色な経歴の持ち主でもある。そんなコート上ではなく観客席でパソコンと向かいながら戦っている吉田の4年間に迫る。

 そもそもアナリストの主な仕事は自チーム、相手チームの特徴を抽出しそのデータをリアルタイムでコート近くのスタッフに提供することだ。データバレーとして知られる早大にとっては吉田をはじめとしたアナリストの活躍が不可欠であり、昨年の全日本大学選手権(全日本インカレ)優勝にも大きく貢献していた。吉田はアナリストとして重要なことはプラスアルファだと語った。データを出すということは今の時代AIでもできる。しかし選手のためにいかに球出しなど普段の練習で貢献できるか、アナリストの仕事に加えて選手をサポートするという人間しかできないことを大切にしている。

苦悩の日々

 中学3年生からバレーボールをしていた吉田。高校生の時に日本一を勝ちとった早大バレーボール部への強いあこがれを持った。「早大のバレーボール部に入りたい」。その一心で一年の浪人時代を乗り越えて見事早大に入学。プレーヤーとして晴れて入部した。しかし蓋を開けてみれば同期は高校時代から活躍していた選手ばかり。さらに一年間のブランクがあった吉田は練習についていくことができず苦悩の日々を送っていた。そんな吉田に一筋の光が差した。松井泰二監督(平3人卒=千葉・八千代)から「アナリストをやってみないか」と誘われたのだった。4年生になったときに選手として自分が存在する意義があるのか。悩んだ末アナリストの道へ進むことを決意したのだった。


両チームを俯瞰して試合を分析する吉田の目は鋭い

 「その選択は間違っていなかったぞ」。吉田はアナリストになることが正解なのか悩んでいた当時の自分にそう言葉をかけたいという。当時は選手からアナリストに逃げただけだとマイナスな気持ちが自分の中にあった。しかしそこから吉田はアナリストとして入部した部員との差を埋めるために人一倍努力した。その結果アナリストとして選手が頼ってくれている今があり早大が勝つためにはなくてならない存在になっている。だからこそ「そんなに悩まないで大丈夫だぞ」。と言いたいのだという。浪人時代に描いていた憧れのバレーボール部で活躍している自分とは全くかけ離れたものかもしれない。しかし吉田は確かにアナリストという別の立場で輝いている。

 前回大会の優勝校として挑んだ6月の東日本大学選手権では青学大にまさかのストレート負けを喫し3回戦敗退となった早大。青学戦を分析していたのは吉田だった。「優勝する気でいたので悔しいを通り越してよくわからない状況だった」と回顧する。そして敗因として挙げたのは「実力不足」。春季関東大学リーグ戦では全勝優勝を飾っていた早大からは意外にも思えた。しかし冷静に早大を見てきた吉田だからこそ出た言葉なのかもしれない。

『勝利の方程式』

 夏休み期間、練習中はサポーターとして仕事をこなし、練習後にアナリストとして秋季関東大学リーグ戦(秋季リーグ戦)の準備をしている吉田。文字通りバレーボール漬けの日々を送っている。その原動力は「単純に日本一を取りたいから」。日本一を取るためならどんなにきついことでもやり切れるのだという。そんな吉田は全日本インカレがアナリストとしての最後の場だ。そして男子バレーボール部としては3連覇がかかっている。自分の代で『日本一』を取るために、そして集大成を飾るために。まずは9月に控えた自身最後のリーグ戦である秋季リーグ戦で吉田の分析が勝利の方程式になるだろう。初戦は青学大だ。

(記事 萩原怜那、写真 友野開登)

◆吉田伸 

1996年(平8)7月22日生まれ。身長179センチ、東京・調布南高出身。アナリスト。スポーツ科学部4年、最高到達点305センチ。ご自身のバレー人生について熱く語っていただきました。そんな吉田さんはとてもストイックなハートの持ち主。練習に向かうときは家から体育館までの往復20キロの道のりを日焼けにもめげず炎天下の中自転車で通っているそうです。そんな吉田さんにはさらにストイックさに磨きをかけて残りのバレーボール人生を歩んでいただきたいです!