この地を訪れると、彼女は常に、ある種の心地よさとノスタルジーを覚えるという--。 昨年、20歳にして多くの人々が待ち望んだ「若き新女王」の座を射止めた大坂なおみは、間違いなく今年の大会の顔である。 しかも昨年の決勝の相手は、グランドスラム…

 この地を訪れると、彼女は常に、ある種の心地よさとノスタルジーを覚えるという--。

 昨年、20歳にして多くの人々が待ち望んだ「若き新女王」の座を射止めた大坂なおみは、間違いなく今年の大会の顔である。

 しかも昨年の決勝の相手は、グランドスラム優勝回数の史上最多記録をかけて戦うセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)。ただ、その結末は、おそらくは多くの人が今も覚えているように、後味の悪いものとなった。



集まったファンに向けて笑顔で応える大坂なおみ

 主審の判定に激高したセリーナが、暴言を重ねてゲームペナルティまで受けるという、USオープン史上もっとも物議を醸した頂上決戦。あれから1年の月日を経て、再び喚起される衝撃は、『ニューヨーク・タイムズ』紙が大会プレビューとして、あの出来事を再検証していることにも映される。

 エンターテインメントの発信源を自負するニューヨーク開催のグランドスラムは、街の熱を反映するように、開幕前から多くのイベントが開かれる。前年優勝者の大坂は、公開ドローセレモニーや記者会見、さらにはスポンサー関連のパーティなど、多くの催し物に足を運び、ファンが差し出すボールやパンフレットのひとつひとつにペンを走らせていた。

 それらは今や、テニス会場……とくに北米ならば、どこに行っても見慣れた光景。ただ、最近の彼女の言葉に耳を傾けると、その内面には、ここ半年ほどとは異なる心模様が広がっているようだ。

 世界1位に座したあとの今年5月、初めてのグランドスラムとなる全仏オープンが近づくにつれ、大坂は明らかにナーバスになっていた。

「どうしても、第1シードとしてグランドスラムを迎えたかったから……」

 それが、彼女の心を締めつけていた主要因。また、「キャリアグランドスラム(すべての四大大会を制すること)を成し遂げたい。できることなら、それを1年間で成し遂げたい」と、性急なまでに成果を求めてもいた。

 それら切望の源泉にあったのは、「世界1位として。子どもたちのロールモデル(お手本)にならなくては……」という悲痛なまでの責任感と、「リーダーとして、女子テニス界を牽引しなくては……」という重圧。現に、全仏オープンの3回戦で敗れた時の大坂は、「私が負けたことで、女子テニスは誰が強いのかわからないと言われてしまう……」と、女王不在ゆえの混沌の責任を、すべてひとりで背負い込んだ。

 その彼女が今大会を迎えるにあたり、「今は、ランキングは気にしていない」と明言する。ディフェンディングチャンピオンの重圧について幾度となく問われても、そのたびに「今の私の関心事項は、1回戦のことだけ。その先や大会で優勝すること、タイトルを守ることなどは考えていない」と繰り返した。

「今は、楽しむことを考えている。今までも、楽しむことができた時こそが、いい結果が残せている時だから」

 それは、彼女がこの1年ほど恐ろしく濃密な時間に身を置くなかで、紆余曲折を経た末に辿り着いた絶対的な真理なのだろう。そしてニューヨークの街は、いつでも大坂に「ポジティブなエネルギー」を与えてくれる。

 体調面で気がかりなのは、約1週間前のシンシナティ大会で試合中に痛めたひざだが、サポーターこそ巻いているものの、この数日は会場で多くのファンが熱視線を送るなか、元気な姿を披露している。

「日に日によくなっているし、とくに今日はとてもよく動けていた。大会に向けて非常に前向きになれてきた」と明るい声で言ったのは、USオープン開幕を3日後に控えた金曜日のこと。その言葉に、誇張や嘘はなさそうだ。

 大会会場のUSTAナショナルテニスセンターは、5歳の頃に幼い大坂が姉とボールを打ち合った「始まりの地」である。正門の前にそびえる巨大な地球のオブジェも、世界の頂点に立つ日を夢見ながら、その周囲を走り回ったトレーニング場だ。

 シャイな少女がサインをねだることもできないほどに畏敬し、憧れたプレーヤーは、昨年の決勝で破ったセリーナ。その彼女の試合を常に追うなかで、いつしか、「セリーナのライバル」と呼ばれる金髪の長身選手にも憧れと敬意の目を向ける。

「どんな時にも自制心を失うことのない姿をマネしたいと思った」その選手の名は、マリア・シャラポワ(ロシア)。大坂にとって永遠のアイドルであるふたりの選手は、奇しくも今回、1回戦で対戦する。

「誰もが見たい試合。私ももちろん、タイマーをセットしてでも見るわ」という一戦は、きっと少女時代の無垢な高揚感とテニスを楽しむ気持ちを、ノスタルジーとともに喚起することだろう。

 そして、それら情熱の原点への回帰こそが、今、21歳の世界1位にとって、何より必要なものだ。