あなたの「子どものために」は、本当に子どものためになっていますか?http://www.sakaiku.jp/column/thought/2016/012263.html「なんでうちの子は、こんなこともできないのだろう……」お子さんのサッ…

あなたの「子どものために」は、本当に子どものためになっていますか?
http://www.sakaiku.jp/column/thought/2016/012263.html

「なんでうちの子は、こんなこともできないのだろう……」

お子さんのサッカーのプレーや、日常生活の様子をみていて、そのように感じたことはありませんか?

そこで一度、立ち止まって考えてみてください。

わたしたち大人にとっての“こんなこと”は、子どもにとっては“難しいこと”なのかもしれません。(取材・文 中野吉之伴)

■子どもの“年代別特性”を知らなければ「子どものために」なることはできない

「子どもののために」という思いは、彼らと向き合ううえで欠かせない大切なものですが、同時に「こどものために」という言葉はとても便利であり、この言葉をつけてさえしゃべれば、すべてが美談のように聞こえる危険なものでもあります。

一時代前にどの業界でも常識だった「練習中は水を飲んではいけない」「どんなに暑くてもトレーニングを続ける」「負けたら罰走」という暗黙の了解も、元をたどれば「厳しい状況に身を置くことで、苦難に耐え抜く心を鍛える」という訓練術の一つであり、それをやり遂げることが「こどものため」だと信じて疑われなかったからこそ行われてきたわけだし、浸透しきっていました。辛抱強く物事に取り組み、難関を乗り越える術を身に着けることは、生きていく上で非常に有用なことです。思い通りにいかないことと直面したときに、どのように気持ちをコントロールするかもとても大事なスキルとなります。

ただ、そうしたしごきをすることだけが練習の目的になってしまうと、子どもたちは耐え抜き方、しのぎ方だけを考えるようになり、それぞれの競技に必要な技術や戦術を最適な形で身につけることはできません。以前、『「気合が足らないから走れ」は間違い!』というコラムを寄稿しましたが、“作り出された極限状態”でしか子どもたちを鍛えることができないというのは、残念ながら誤った認識と知識不足でしかありません。そのために可能性のかたまりだったはずの子どもたちがどれだけ多くつぶされてきたことでしょうか。
 
本当に「こどものために」なることをしたいのであれば、どんな性質と特性があり、どのように対処するべきかをしっかりと知らなければならないのです。

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