それは、なんの前触れもなく、まさに”ハプニング”として彼女を襲った。 第1セットを4−6で失うも、第2セットは6−1で奪い返し、追い風を背に向かった第3セットの第2ゲーム――。 ファーストサーブを打った直後、大…

 それは、なんの前触れもなく、まさに”ハプニング”として彼女を襲った。

 第1セットを4−6で失うも、第2セットは6−1で奪い返し、追い風を背に向かった第3セットの第2ゲーム――。

 ファーストサーブを打った直後、大坂なおみはゆっくりコートサイドに歩み寄ると、主審と短く言葉を交わす。大坂がベンチに座り、左ひざを抑える仕草がスタジアムのスクリーンに映し出されるのと前後して、トレーナーを求めるアナウンスが場内に流れた。



トレーナーに左ひざをチェックしてもらう大坂なおみ

 診察のあとにメディカルタイムアウトを取り、ひざにものものしいテーピングを巻いてコートに戻った大坂だが、サーブを打つのもおそるおそるで、打ち返されたボールを追うこともない。2ポイントを連続で失った時、彼女は再び主審へと歩み寄ると、今度は棄権の意志を告げた。

 試合から、約1時間後。

 氷嚢を当てた左足を引きずり、会見室に姿を現した大坂は、ひな壇へのわずか2段を上るのすらためらい、手すりを握る手に力を込めて身体を持ち上げた。

 いつ痛みが出たのか――?

 いの一番に向けられたその問いには、かすかに首を傾けて、「第3セットの第2ゲームで、サーブを打った時」とだけ応じる。続く、「過去にも経験したことのある痛みか?」「詳しい診察は受けたのか?」などの質問にも、「過去にない痛み」「まだ」と短く答えるのみ。

「たとえ1パーセントでもUSオープンに出られない可能性があるとすれば、それは、とてつもない心配事。ただ、仮に医師がダメだと言ったとしても、チャンスを求めてプレーすると思う」との言葉に、抱えた落胆の大きさと、昨年制したUSオープンへの渇望が込められる。記者から向けられた問いへの答えを、誰より欲しているのは、ほかならぬ大坂自身であった。

 今回のケガは、ひとつの動きを起点として突発的に起こる、いわゆるスポーツ外傷だ。予測や予防も困難で、それがこの時期に起きたのは、不運としか言いようのない部分もある。

 ケガがどのような状態で、回復にどれほどの時間を要するかは、今後の診断を待つしかない。ただ、先に触れたように、USオープンに出場するという本人の意志は固い。テニスの状態や、何より精神面が上向きと実感できていたからこそ、なおのことコートへの想いが強いのだろう。

「この2大会、とくに昨日の試合はとてもハイレベルで、自分が望んでいたプレーができていた」

「今大会はサーブの調子がとてもよかった。初戦ではいくつかのダブルフォルトがあったが、それでも、エースやファーストサーブでのポイント獲得率は高かった」

 ケガでの棄権という失意の結果に終わったものの、それでも今大会から持ち帰るのは、いくつかのポジティブな手応えでもあった。

 今大会を迎えた時、大坂が掲げたテーマのひとつに、「テニスを楽しむ」がある。

 今年の全豪オープン以降に陥っていた、「結果にこだわり過ぎて、敗戦や失敗から学ぶ姿勢を失っていた」状態から脱するというのも、彼女が心がけたことだ。

 そのような彼女の、内面の変化や成熟を物語る印象深いやり取りが、敗戦後の会見で見受けられた。

 来たるUSオープンは、シーズン最後のグランドスラムということもあり、大会前に多くのスポンサー関連のイベントやパーティ等が行なわれる。ニューヨークの街の熱量を反映し、すべてが過剰なまでにきらびやかで、スター選手たちに向けられる視線は熱く、求められるノルマは多い。

「それら、ニューヨークで待ち受けるであろう”わずらわしさ”を、どう受け止めているか?」

 会見では、そんな問いも前年優勝者に向けられる。ただ、その時の大坂は、やや怪訝そうな表情を浮かべると、穏やかな口調でこう答えた。

「それらを”わずらわしさ”というのが、私には理解できない。だって、これは私の仕事だもの。単に、やるべきことが増えているだけ。ひとたび勝ち始めたら、やるべきことが増えていくのはわかっていた。だから、わずらわしいと捉えたりしていない」

 事実、失意の会見すらも進むにつれ、彼女は「やるべきこと」を、時にユーモアを交えてこなしていく。

 今、もっともやりたいことは何かと問われた時も、「すぐに会場から去ること。それはクルマの後部座席で泣くからではなく、やるべきことがたくさんあるから」と答えると、いたずらっぽい笑みを浮かべて、こう続けた。

「もちろん、あなたたち(メディア)を軽視しているわけではないわよ」……と。

 上昇気流に乗りかけたなかで遭遇したハプニングが、ショックでないはずはない。

 ただ、その失意のなかでも世界1位が示したのは、この経験から何かを学び、次につなげようとするひたむきな姿だった。