渋野日向子(20歳)の全英女子オープンでの優勝は、ゴルフ界の”常識”も”非常識”も、ひっくり返すような出来事だった。渋野日向子の快進撃はまだまだ終わらない 優勝争いの最中に、人垣の間を笑…
渋野日向子(20歳)の全英女子オープンでの優勝は、ゴルフ界の”常識”も”非常識”も、ひっくり返すような出来事だった。
渋野日向子の快進撃はまだまだ終わらない
優勝争いの最中に、人垣の間を笑いながらハイタッチをして通り抜ける渋野の姿に、世界中のプロゴルファーは「アレをやるか……」と衝撃を受けたに違いない。そして、「自分にアレがやれるのか」と考えたことだろう。
日本女子ツアーの永久シード選手である森口祐子プロは、「自分だったら、できないと思います」とし、その理由をこう語る。
「手が引っかかったら、ケガをすることもあるだろうし、タッチをできなかった人から、『なんだ(タッチを)やってくれないのか』という声が起こったりすると気になるし……。だから、そこは境目を作っておいたほうがいい、私が現役の頃はそう思っていました」
いいプレーを見せることがプロゴルファーの仕事なのだから、プレー中にファンサービスをすることで、集中力が削がれてしまっては本末転倒だ。だから、「プレー中は申し訳ありません。ファンサービスはラウンド後にしますから」という、このゴルフ界の常識は決して間違ってはいない。
ただ、鳴り物の音に乗せて「かっ飛ばせぇ~」と叫ぶプロ野球や、「オーレ! オーレ!」と仲間たちと声援を送るJリーグの観戦に比べて、そうしたプロゴルフ界の常識は、競技の特性を考慮したとしても、少々堅苦しいものがある。ギャラリーはそこに”疎外感”を覚えるのである。
その常識を、渋野は打ち破ったのである。ホール間におけるハイタッチは、多くの人に好感を与えるとともに、世界中のゴルファーやメディアを驚かせ、その爽やかな笑顔と相まって、彼女のファンを爆発的に急増させることになった。しかも、彼女はプレー中に集中力を切らすことなく、優勝をしてしまったのだ。
帰国後に日本記者クラブで会見を行なった際、「あのハイタッチは負担にならないのですか?」という記者からの常識的な質問に対しても、渋野は「無視されるほうが、よっぽど私はつらいです」と常識を超えた答えを返し、「一日、一日、ハイタッチする人数が増えていって、すごくうれしかった」と言って笑った。
ボクシング界の英雄モハメド・アリは、リング外での言動も含めて、多くの人々から支持され、「Folk hero(民衆の英雄)」と言われる存在だった。
アメリカの名優、ウィル・スミス主演のアリの自伝的映画『ALI アリ』の中では、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)で行なわれたタイトルマッチ「キンサシャの奇跡」において、試合を控えホテルから出ようとしない対戦相手のジョージ・フォアマンと、街中を走るなど、積極的に現地の人々の中に入っていくアリが、好対照に描かれている。日に日にアリの人気は高まり、試合を目前にしたある日、大群衆がアリを囲んで鼓舞。その場は「アリ、ボンバイエ!(やっちまえ!)」という絶叫に包まれた。そして試合では、民衆を味方にしたアリが戦前の予想を覆(くつがえ)してKO勝ちを収めるのである。
全英女子オープンを制した渋野は、まさにこの時のアリと一緒だった。インターバルでギャラリーと笑顔でハイタッチをかわす彼女に、地元ファンも魅了され、彼女を追いかけるギャラリーは日に日に増えていった。そして、世界的には無名の存在だった渋野が、最終的には多くの観衆が見守るなか、劇的なバーディーパットを決め、大喝采の渦の中で優勝したのである。
前出の森口プロは、ギャラリーに入っていく渋野の姿を見て、こんなことを感じたという。
「よく集中することを『ゾーン』とか『フォーカス』などと表現されるけど、自分の世界に入り込んで、声援の中を黙々と歩く選手の姿は、見る側からすれば”拒絶”と受け取ることもあるでしょう。
だけど、彼女は寄ってくるギャラリーを拒絶することなく、自ら近づいていった。そして、ショットを打つ時にはスパッとアスリートの目になって、小気味よく打っていく。そしてまた、笑顔で歩き始める。この、オンとオフの切り替えがギャラリーを魅了したのだと思います」
確かにあの4日間の渋野は、ゾーンに入っていたのかもしれない。でもそれは、ギャラリーを阻害することなく、自らがその渦の中に入っていき、その場の空気を味方にした『Folk heroine』の戦いぶりであった。
渋野の、最終日の攻め方も驚かされるものだった。とくに12番のティーショットと、18番のバーディーパットは”常識外”のものだった。
12番パー4。グリーン手前に池がありながら、最終日はティーグラウンドを前に出して、1オンを狙わせるような設定となっていた。
渋野は試合後、優勝のポイントとなったのはどこか? と問われて「12番のパー4でドライバーを持ったことです」と答えている。そして、「普通に当たれば池を越える距離だったので、朝から『ここは絶対にドライバーを持つぞ』と思っていました。自信はありました」と言った。
森口プロも、このホールのティーショットが勝利への「ひとつのポイントだった」と言う。
「選手に攻め方の迷いを起こさせるこのホールで、渋野さんが迷わずドライバーを抜いたのを見て、『気持ちがブレていないな』と思いましたね。あと1ヤード足りなかったら池だったということを考えると、リスクを負ったショットではあったと思います。
でも、あそこでドライバーを持てたということは、優勝争いの中にあっても、よそ行きのゴルフをしなかった、ということ。あれは、その後のプレーの自信につながったショットだったと思います」
傍から見れば常識外のように見えたショットも、渋野にとっては決してギャンブルではなかった。現に、帰国後の記者会見で、自らの強みは何かと聞かれ、彼女は「緊張する場面でも振り切れるところです」と答えている。誰が打っても緊張するだろう場面でも、「自分が振り切れる」という確信があるからこそのドライバー選択だった。渋野にすれば、あくまでも”常識的”な攻め方だったのだ。
そして、最終ホールのバーディーパットである。
先に上がったリゼット・サラス(アメリカ)とは、同スコアで並んでいる。残ったパットは、約6mの下りのスライスライン。常識的にはプレーオフを想定し、ジャストタッチで合わせていって、外れてもパーでよし、とするような微妙なラインである。
森口プロは、このパットにも驚きを隠せなかったと言う。
「私だったら(距離を)合わせにいきますよ。順位を考えると、保険をかけたくなる状況じゃないですか。でも、彼女はそうじゃない。
3番ホールで4パットをして、普通なら、その後のパッティングは”緩む”もの。けど、彼女はその後のパットも、外した時はオーバーしていました。『勝ちたい』とは思っているのだろうけど、それで気持ちがザワつかない。『天才』とは言わないけど、『凡人』ではない。そして、彼女はかなり努力をしていると思う」
森口プロが言うように、多くのプロは、あの場面では距離を合わせにいくだろう。でも、勝つためには、そのほうが”非常識”と言える。ゴルフには「ネバーアップ、ネバーイン」という格言がある。つまり「(カップに)届かなければ、入らない」ということであって、これこそが”常識”なのである。
渋野は、そのとおりに打った。
そうして「ここで決めるか、3パットするか」という気持ちで打った瞬間、渋野は「自分でもびっくりするぐらいに強く打てた」と思ったそうだ。
「あっ、強かった」ではなく、「強く打てた」と言うのである。やはり渋野は”凡人”ではなかった。
最終ホールで待つギャラリーが、あまり見たくないシーンは、優勝争いの重圧に耐え切れず、カップの手前で哀れに曲がるパットである。
だが、渋野の打ったパットは、狙ったラインに勢いよく転がっていき、最後に”壁ドン”となって入るという、誰もできないようなウイニングパットとなった。グリーンを取り囲んだ大勢のギャラリーと、全世界で中継を見る人たちの期待に応えた渋野は、本当に『Folk heroine』になったのだ。
初の海外試合で、しかもメジャーの全英女子オープンで優勝するという快挙を達成した渋野は、今話題の「黄金世代」のひとりである。畑岡奈紗、勝みなみ、河本結、原英莉花、小祝さくら……など、技術も、メンタルもタフなプレーヤーがそろっているのはなぜだろうか。
森口プロは、こんな見解を示す。
「彼女らが子どもの頃に、宮里藍さん、横峯さくらさんといったゴルフの魅力を伝えるよき伝道師がいて、そのふたりを見て、多くのジュニアゴルファーが育ちました。それが”黄金世代”と言われる彼女たちで、今、日本女子プロ協会の登録で、その20歳の女子プロは20人以上もいるんです。
私の場合、プロテストで受かったのは私だけだったので、同期生はいません。そうすると、自ずと目線は先輩に向くことになり、出たての新人は『この試合は、樋口(久子)さん勝つだろうな』というように、思考にブレーキがかかることがある。
でも、同期の数が多い”黄金世代”は、目線が同じ年のライバルに向くので、思考にブレーキがかからず、『もっと上へ』とお互いが相乗効果で引き上げられていく。そして今や、ツアー屈指のショットメーカーである李知姫さんやテレサ・ルーさんらが『黄金世代はあのピンを狙ってくるから驚きます』とコメント。先輩たちのほうが圧倒されているんですよ。
7月の資生堂アネッサレディスで今季2勝目を飾った時も、渋野さんはみんなが手を焼いていた難攻不落の15番(パー4)、17番(パー4)で、バーディーを取ってくるわけです。計り知れない底力を、窮境の場面で出してくる。”黄金世代”は、そういう力を秘めていると思います」
渋野が遂げた42ぶりの快挙達成は、これから「黄金世代」が世界のゴルフシーンで巻き起こす大旋風の”序章”にすぎないかもしれない。
日本の女子ゴルフ界は今、急速に変化している。その先には、これまでの”常識”や”非常識”が通用しない世界が待っている。