東海大・駅伝戦記 第57回「うーん、全然ダメでした」 士別ハーフ、66分55秒で26位に終わった郡司陽大(あきひろ/4年)は、開口一番そう言った。 気温28度、路面温度は相当に高い。レースをするにはかなり厳しい条件で、12位で終えた鈴木…

東海大・駅伝戦記 第57回

「うーん、全然ダメでした」

 士別ハーフ、66分55秒で26位に終わった郡司陽大(あきひろ/4年)は、開口一番そう言った。

 気温28度、路面温度は相当に高い。レースをするにはかなり厳しい条件で、12位で終えた鈴木雄太(3年)がゴール直後に「暑い!」と珍しく声を荒げるほどだった。



今年1月、初優勝した箱根駅伝でアンカーを任された郡司陽大

「レースは勝つことが大事」と両角速(もろずみ・はやし)監督はよく言っているが、今回の郡司はスタート直後から先頭集団を離れ、苦しいレースを強いられた。調整がうまくいかず、たまたまこのレースだけ走れなかったということはあるのだろうか。

 だが郡司の場合、ちょっと様子が違う。

「今シーズン、ずっと結果が出ていないんですよ」

 今年1月、箱根駅伝初優勝のアンカーとしてゴールテープを切り、その名前と顔は一躍、全国区となった。優勝を機に、さらなる成長を両角監督はもちろん、郡司自身も期待していたが、最上級生になってからの今シーズン、思うような結果を残せていない。

 いったい郡司に何が起きているのか。

 6月、平塚で行なわれた個人学生選手権の5000mで、郡司は時折笑みを見せながら楽しそうに走っていた。タイムは14分32秒54の24位。5000mの持ちタイムが13分57秒89の郡司にしてみれば物足りなさはあるが、「追い込んできましたが、調整はなにもしていなかったので、まぁこんな感じかなと」と、悪いなりに手応えを感じているようだった。

 後輩の名取燎太(3年)や竹村涼真(1年)がいい走りをしていたのを見て、「いやぁー名取は強いな」と冷静に振り返っていたが、もうひとつ乗り切れない自分の調子について聞くと、「じつは……」とその原因についてこう語った。

「2月の丸亀ハーフから1週間後ぐらいに転んで故障したんです。右足の骨挫傷で1カ月半以上走れなくて……。こんなに長く走れなかったことは今までなかったので、メンタル的にきつかったですね」

 その丸亀ハーフで郡司は62分07秒の自己ベストを出し、ロードシーズンでのさらなる成長に期待が膨らんだ。その矢先のケガだった。気持ちは落ち込んだが、ウエイトなど強化を続け、4月半ばに練習に復帰。5月の日体大記録会の1万mが今シーズンの初レースとなり、続いて平成国際大学長距離競技会で5000mを走り、この個人学生選手権が今シーズン3レース目だった。

「こんなはずじゃなかったんですどけね」

 今シーズン、郡司には思い描いていたプランがあった。

 丸亀のあとは学生ハーフを走り、そこでユニバーの出場権を獲得する予定だった。そして関東インカレのハーフに出場し、昨年の湯澤舜(2位)、西田壮志(4位)、湊谷春紀(7位)のように快走し、8位入賞を東海大で独占したいと思っていた。

 だが、いずれも実現できなかった。とりわけ、関東インカレは自分が走れない悔しさを押し殺しながら仲間を応援し、チームメイトのレースがない時はスタジアムの周りをひとりで走っていた。

「まあ、終わってしまったものはしょうがない。今シーズン、5000mで13分52秒、1万mで28分40秒を切ることを目標にしていたので、しっかりとそれをクリアしようと気持ちを切り替えました」

 しかし、個人学生選手権では目標のタイムを達成することができなかった。

「レースは、足がしんどいわりには粘れましたし、ようやく走っている感覚が戻ってきたかなと。ただ、足の締まりとか、いちばんよかった時の感覚がまだないんですよ。それって練習を積み重ねた結果であって、自分は才能で走っているわけじゃない、努力してきたから走れたんだなと、あらためて思いました」

 郡司は、1、2年の時は野球にたとえるとブルペンエース的な存在だったが、豊富な練習をこなし、自信が持てるようになった3年で実力が一気に開花した。

 箱根優勝後は、高根沢ハーフでは郡司のサインを求めて長蛇の列ができるなど、周囲の激変ぶりに戸惑ったところもあったに違いない。それでも自分を見失うことはなかったが、故障して自身の基盤である練習を積めなくなってしまった。

 その結果、復帰しても波に乗り切れず、レースで厳しい現実を突きつけられている。危機感を抱いた郡司は、現状打破のために西出仁明コーチからの提案を受け、新しいトレーニングに挑戦することを決意した。

「練習していても余裕がないし、関東インカレで走れない自分にもどかしさを感じていて、今のままじゃヤバいなって思いました。

 東海大の低圧室でスプリント系のトレーニングをするのですが、メニューがすごくきつい。追い込んで、追い込んで、吐くぐらいきついのですが、すぐに結果が出るということなので、やってみようかなと。すごく楽しみでした」

 西出コーチは、このトレーニングを複数の選手に打診したが、郡司以外、手を挙げる者はいなかった。郡司はもともと新しいことに取り組むことが好きで、追い込まれても耐えられるタイプ。新しいラボには最適の選手だった。

「そのトレーニングを全部で5回やったんですけど、3回しか満足にできなくて……。とにかく心拍数を上げて追い込むんですけど、きつくて吐きました。その後ゆっくりして、千歳の5000mに出場するという段取りだったんですけど、西出先生にそこからさらに追い込まれて(苦笑)。その影響もあって走りは悪かったですが、その状態で14分11秒だったので、疲労が取れればもっといけるかなと思います」

 トレーニングの効果を見るためにフォーカスしていたホクレン千歳大会は、思うような結果が出なかった。それでも、続く深川大会の1万mは29分59秒24で、なんとか30分を切った。

 その後、士別ハーフに向けて調整したが、直前に行なったポイント練習の8000mビルドアップ走の際、6000mでへばってしまい、厳しいレースになることは予想できていたと言う。

「そんな状態だったので無難に走るよりも攻めていこうと思ったんですが、全然ダメでした。最初から先頭集団についていけず、きつかった」

 この士別ハーフでトラックシーズンのレースは終わった。郡司は新しい取り組みに挑むなど攻めの姿勢を見せたが、思うような結果を出すことはできなかった。

 一方で、阪口竜平(4年)が日本選手権3000mSC(障害)で優勝するなど結果を出した選手もいた。その差に、郡司は焦りを感じたりしなかったのだろうか。

「うーん、自分的にはそこまでは……」

 郡司がそれほど焦りを感じていないのは、これからに自信があるからだ。昨年も夏合宿で走り込み、出雲駅伝以降に調子がグッと上がってきた経験がある。

 ただ、こうした”成功体験”があるとはいえ、「このままで大丈夫かな」と不安に思うところもある。

 郡司を含め、箱根を走った優勝メンバーの調子が上がっていないのだ。館澤亨次(4年)は昨シーズン、1500mで関東インカレ、日本選手権で2連覇を達成したが、今年はひとつも勝てなかった。小松陽平(4年)、中島怜利(れいり/4年)も低空飛行が続き、關颯人(せき・はやと/4年)も故障なく走れているが、結果が出ていない。

「結果は出ていないけど、そこまで不安はないです。タイムが出なかったり、レース後半に体が動かなくなったりすることについて、みんな違和感を持っているけど、ここまでは先生に言われたメニューをしっかりとこなしている。だから、変わっていくのは夏合宿からだと思います。

 ただ自分も含め、言われたことしかやってこなかったというのはあります。自分はジョグの量が足りない。もうちょっとやっていかないといけないかなと思います」

 チーム全体の仕上がりが遅れているなか、夏合宿から切り替えていくムードになっている。ここから新たにスタートを切ることになるが、9月上旬には出雲駅伝のエントリーを決めなければならない。郡司は「出雲は狙っていない」と言っていたが、ここにきて考えが変わってきたという。

「チャンスがあるかなと思っています。僕は昨シーズン、出雲3位、全日本2位、箱根3位と各区間で最低限走ることができた。みんなの調子がもうひとつのなか、走る目安がつく選手って使いやすいと思うんですよ。

 その特長を生かして自分のポジションを確立していかないといけないし、僕が出雲に絡んでくることでチーム全体の士気も変わってくると思うんです。そのためにも夏の白樺湖合宿でしっかりと調子を戻して、その後のアメリカ合宿で『出雲のアンカーを走れるのは郡司しかいない』と言われるようになりたい」

 郡司が描くイメージは、昨年の湯澤だ。

 湯澤は、湊谷とともにロード組の主力で、強度の高い練習に耐えられる体の強さを持ち、ケガもなく、レースになれば安定した走りができる選手だった。出雲駅伝、全日本大学駅伝でアンカーを走り、箱根駅伝ではエース区間の2区を任され、陰のMVPと言われた。郡司はその湯澤とロード組で仲がよく、ジョグも一緒にする間柄だった。

「湯澤さんがいたポジションを目指さないといけないと思っています。箱根は2区を走れればいいかなと。僕は、阪口が2区を走らないチームが一番強いと思っているんです。阪口が2区に入ると、ほかで絶対に勝てる区間を失ってしまう。阪口が3区か7区を走るような状況をつくるのが、僕や名取の役割かなと思っています」

 郡司が2区に入れるぐらいに調子を上げてくれれば、東海大の選手層はより厚くなり、箱根連覇も現実的になる。

 自ら高い壁に挑もうとしているが、陸上に対する意識も変わってきた。昨年は両角監督や西出コーチに言われたことを素直に受け止め、駅伝を走れるようになった。今年は言われたこと以上のことを考えられるようになったと言う。それだけに、秋からは「ちょっと面白くなるかも」と自分に期待している。

 士別ハーフが終わったあと、郡司は栃木に帰省した。地元で体を休め、疲労が抜ければ夏合宿には全力で挑める。郡司がどこまで調子を上げていけるか。

 東海大の箱根連覇は、湯澤と湊谷の抜けた穴を埋められる郡司らの復調が不可欠となる。