この男の勝負への嗅覚はまるで獣のようだ。

 FINA世界選手権(韓国・光州)の大会13日目、男子200mバタフライで銀メダルを獲得し、その勢いで臨んだ男子200m個人メドレーの決勝。

 日本代表のキャプテンである瀬戸大也(ANA/JSS毛呂山)は“最もメダルから遠い”と思われていたこの種目で、1分56秒14の自己ベストをマークして金メダルに輝いた。

「この種目が獲れたことは、ご褒美だと思います。去年、今年と苦しい練習を本当に頑張ってきましたから。でも実は、金メダルを狙っていました。準決勝を見たとき、みんな調子はそんなに良くなさそうでしたし、獲れるときに獲っておこうと。

 2013年に400m個人メドレーで金メダルを獲ったときと同じようなフィーリングがあって。でもそれは隠していました。自分、調子が良いときは隠すタイプみたいなんです」

低い前評判を覆し続けてきた。

 思い返せば、2013年のときもそうだった。初めて出場した世界選手権、最終日の400m個人メドレー。当時絶好調だった萩野公介(ブリヂストン)が勝つだろうという予想の中で本番を迎えたが、金メダルをかっさらったのは瀬戸だった。

 このときの優勝タイムは、4分08秒69。当時の日本記録は萩野の4分07秒61。3位だったティアゴ・ペレイラ(ブラジル)も当時の瀬戸よりも速い自己ベストタイムを保持しており、瀬戸が勝つためには、自己ベストを更新することが最低条件だった。

 つまり3、4番手の前評判でしかなかったなかで、きっちりとベストタイムを叩き出しつつ、競り合いを制したのである。

 連覇を成し遂げた2015年の世界選手権でもそうだ。

 安定して4分07秒台で泳ぐ萩野が骨折で世界選手権を回避。さらにダビド・ベルラスト(ハンガリー)やチェイス・カリシュ(アメリカ)、タイラー・クレアリー(アメリカ)といった海外有力選手たちの泳ぎもピリッとせず、思った以上に決勝進出ラインが低かった。

 そこで瀬戸がまたしても4分08秒50というタイムで、なおかつ200mのスプリットタイム以外はすべてトップという、ほぼパーフェクトなレースで金メダルを獲得した。

勝てるチャンスなら、確実に勝つ。

 決して瀬戸のタイムが悪いわけではないが、確実に勝てるような状況で迎えたレースは一度もなかった。むしろ、常に瀬戸が自己ベストをマークしなければ勝ち目がないという状況のほうが多かった。

 そんな状態であっても、勝てるチャンスというのは誰にでも平等に巡ってくる。

 2013年は萩野が連日レースに出場し続けており、休みがあったのは8日間を通して1日だけ。萩野に疲れが見えていたことで瀬戸にチャンスが回ってきた。そして、フレッシュな身体だった瀬戸がここ一番で強さを発揮して勝利した。

 2015年の場合、言い方は良くないが、萩野が欠場したことで連覇のチャンスが巡ってきた。

 ただ、それでも海外のライバルたちも記録を伸ばしていたし、五輪前年の世界選手権は大幅にベストタイムを更新するような選手が必ず出てくるタイミングである。さらに瀬戸自身もかかとに故障を抱えていて、万全な状態ではなかった。

 しかしながら、予選1位のカリシュすら4分10秒を切っていないタイムを見れば、彼らが不調であることは明白だった。4分08秒のベストタイムで泳げば、勝てるチャンスが巡ってきたのである。結果、そのチャンスをものの見事に掴みきって2連覇という偉業を成し遂げた。

一番メダルから遠い種目のはずが。

 そして今回だ。200m個人メドレーのベストタイムだけで比較すれば、カリシュ、汪順(中国)、フィリップ・ハインツ(ドイツ)、ミッチェル・ラーキン(オーストラリア)、スコット・ダンカン(イギリス)と、実に5人の選手が瀬戸を上回っていた。

 瀬戸を指導する梅原孝之コーチも「一番メダルから遠い種目だと思っていた」と話していたほどだ。

 しかし、瀬戸は冷静だった。200mバタフライの決勝後に泳いだ200m個人メドレーの準決勝、疲れもあったなかで予選よりもタイムを上げることができた。これでひとつ、自分の調子が良いと確定した。

「勝てる」という確信を得た。

 もうひとつ、海外選手は準決勝で一度全力に近いタイムで泳ぐ傾向が強い。事実、準決勝をトップで通過したジェレミー・デプランシュ(スイス)は自己ベストを更新していたが、そのタイムは1分56秒73である。

 ほかの選手たちのタイムは、ほぼ1分57秒台だったのである。これでもうひとつ、周囲の選手たちの調子は良くないことが確定した。

 このふたつの確定要素を軸に、導き出した答えは、「勝てる」。

「ウォーミングアップの時点で、もう負ける気がしませんでした。自分のレースをすれば、勝てる、と」

 確信を得た瀬戸に、迷いはなかった。前半から一気に飛び出して背泳ぎのスプリットでトップタイムを奪うと、平泳ぎで身体半分ほどのリードを奪う。最後の自由形は我慢比べだったが、ここでも瀬戸の運の良さが垣間見えた。

 瀬戸は3コース。優勝争いをしていたデプランシュは4コース。そして瀬戸とデプランシュは右呼吸で自由形を泳ぐ。つまり、瀬戸はデプランシュを呼吸時に視野に入れながら競り合いを泳ぐことができ、反対にデプランシュは瀬戸を見ることができなかった。

 ラストの競り合いの苦しい場面で、相手が見えるか見えないかの差は大きい。負けたくない気持ちが沸き起こり、どれだけ苦しくても耐え抜く気力があふれ出す。特に瀬戸のようなアドレナリンで泳ぐタイプには絶大の効果があっただろう。

400m個人メドレーで王座奪還を。

「もう、完璧でした」

 結果、瀬戸は自己ベストをマークして金メダルを獲得した。瀬戸の優勝タイムを上回る選手は、実はまだ3人残っていた。本当に、瀬戸が勝つ確率は、極めて低かったのだ。しかし、それはゼロではなかった。そんなか細いチャンスを確実に嗅ぎわけ、そのチャンスを逃すことなく掴みきった瀬戸の嗅覚には恐れ入る。

 今大会、残すは最終日の400m個人メドレー。2017年大会で瀬戸から王座を奪い取ったカリシュは、200mで自己ベストから1秒以上遅いタイムでしか泳げていない。

 ここでも瀬戸の鋭い、勝つチャンスをかぎ分ける嗅覚が反応するのかどうか。その結果が分かるのは、もうすぐだ。

(「オリンピックPRESS」田坂友暁 = 文)