レジェンドたちのRWC回顧⑧ 1995年大会 堀越正己(後編) 日本代表のスクラムハーフ(SH)として活躍した堀越正己さんは、1995年ラグビーワールドカップ(RWC)を経験し、「世界」との差を痛感させられた。リザーブに回ったニュージー…

レジェンドたちのRWC回顧⑧ 1995年大会 堀越正己(後編)

 日本代表のスクラムハーフ(SH)として活躍した堀越正己さんは、1995年ラグビーワールドカップ(RWC)を経験し、「世界」との差を痛感させられた。リザーブに回ったニュージーランド戦では17-145と大敗。フィジカルの差が浮き彫りとなった。



ラグビー日本代表について語った堀越正己

 大会としては、アパルトヘイト(人種隔離政策)のために国際舞台から締め出されていた南アフリカが初めて母国開催のRWCに出場し、初優勝に上り詰めた。『One Team, One Country(1つのチーム、1つの国)』が大会スローガンだった。新生南アの「祝祭」みたいな大会で、いたるところで陽気なアフリカ民謡「ショショローザ」が歌われていた。

 映画『インビクタス~負けざる者たち』(クリント・イーストウッド監督)では、モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラ大統領(故人)を中心に当時の舞台裏がドラマチックに描かれている。ワールドカップの試合もうまく再現されており、南ア主将のフランソワ・ピナール役の俳優、マット・ディモンの迫真演技が当時を思い出させてくれる。

 そういえば、この大会の後、国際ラグビー評議会(IRB=現ワールドラグビー)はラグビーの「オープン化」を宣言した。

 では、95年の大会で目をつむって真っ先に思い出すことは何でしょうか。そう問えば、堀越さんは本当に目を閉じた。実直、誠実、素直なのだ。

「勝ち負けはともかく、治安が悪いところに来たんだなって感じました」

 自身がコメンテーターを務める番組出演の直後、そのテレビ局の一階のカフェでのインタビューだった。白いワイシャツにエンジ色の立正大のネクタイ。紺色のブレザーの左襟には緑色のラグビーワールドカップ開催都市・埼玉県熊谷市の四角のピンバッジがつけられていた。

――治安が悪いといっても、その前の1991年RWCのジンバブエ戦の会場となった英国領の北アイルランド・ベルファストも銃を持った迷彩服の兵士が警備していました。

「そうですね。大会の後、僕らが泊まったホテルが爆破されたと聞きました。でもイギリスだから、それほどの危機感はなかったんです。南アフリカは違いました。移動するたび、警察の人が最低3人はついてきていました。僕らは3試合ともブルームフォンテーンという街に約1カ月いたんですが、練習以外ではあまり、ホテルの外に行けませんでした。外に出たのは、近隣の子どもたちとの触れ合いぐらいでしょうか。ずっと閉じ込められた空間にいたなという印象なんです」

――実際、危ない目にあったんですか。

「まったく、ありません。3試合とも同じスタジアムでやったので、周りの観客が”日本びいき”になってくれていました。ホームみたいな雰囲気で。我々がトライをとったり、いいディフェンスをしたりしたほうが、場内が盛り上がっているという感覚はありました」

――やはりホスピタリティー(おもてなし)は大事ですよね。

「はい。そうですね」

――日本で開催されるラグビーワールドカップのレガシーとして期待することは。

「日本の人々にレベルの高いラグビーを見てもらって、ラグビーへの興味を持ってもらうことですね。一度、ラグビーをやって、離れた人がもう一度、ラグビーをプレーするとかもいいでしょう。前回のワールドカップでは”五郎丸効果”でラグビー人気が上がりました。その結果、ラグビーの受け皿がけっこう大きくなったと思いますので、今回、さらにそれが大きくなればいい」

――そのためには、日本代表の活躍はマストです。いまの日本代表をどう見ていますか。戦術としてはアンストラクチャー(崩れた局面)からの攻撃重視やキックを駆使するよう変化していますが。

「エディーさん(ジョーンズ氏=前日本代表ヘッドコーチ、現イングランド代表HC)は決勝トーナメント進出を目指してチームを作っていたじゃないですか。でも、ジェイミーさん(ジョセフ=現日本代表ヘッドコーチ)はさらに上を目指しているんじゃないでしょうか。だから、戦い方を変えている。決勝トーナメントに入っても勝てるような戦術を選択しているわけです。それがいいかどうか、やってみないとわかりません。(1次リーグで)4戦全勝もあるし、全敗もありうるでしょう。厳しい試合がつづきます」

――日程としては、開催国として恵まれました。1次リーグは初戦から試合間隔が7日、6日、7日ですか。

「それは大きなアドバンテージです。チームは全部、いいコンディションで戦えます。それをフルに生かして、3勝1敗といわないで、全勝を目指していってほしい。実際、目指していると思いますが」

――日本はA組1位か2位になれば、準々決勝では東京スタジアムでB組1位か2位のニュージーランドと対戦する可能性も生まれます。実現すれば、1995年の悪夢の17-145の大敗の裏返しを。

「ははは。裏返しには絶対、ならないと思いますが。勝敗だけは逆になる可能性も出てくる。日本中が盛り上がりますね」

――スペースがあれば、効果的なキックを活用していくジェイミーの戦術はあり、ですか。

「ありでしょう。からだを酷使しないためにも、必要なんじゃないかと理解はできます。まあ、戦い方として、エディーさんのほうが日本的ではあるでしょうが。僕がスクラムハーフ(SH)だからですけど、日本人のスクラムハーフのほうが、外国人より、テンポが上がると思うんです。だから、ジャパンではスクラムハーフはずっと、日本人ですよね」

――日本のアップテンポですね。

「そうです。日本人のテンポに、(味方の)外国人選手が合わせられるようになれば、より強くなるでしょう。その中でキックを使うべきなんです」

――選手としては誰に注目しますか。やはりスクラムハーフでしょうか。

「僕はずっと、日和佐(篤)がよかったと思うんですけど。彼はコンタクト力がつよい。そして、3人の世界を代表するハーフからプレーを教わっているんです。サントリーでジョージ・グレーガン(豪州)とフーリー・デュプレア(南ア)、神戸製鋼でアンドリュー・エリス(ニュージーランド)。最後にエリスに教わって、早稲田大学でうるさく言われていた”帰るディフェンス”を習得しています。それが、(昨シーズンの)神戸製鋼優勝の理由の1つだと思います」

――ただ日和佐選手は日本代表候補合宿から外れていますが。

「まだわかりません。チャンスはあります。誰かがケガをする可能性もあるし、何が起こるかわかりません」

――他のスクラムハーフ代表候補の田中史朗、流大、茂野海人はどうでしょうか。持ち味は。

「田中は経験豊富なので、ボールを出すタイミング、例えば一瞬遅らせるとか、一瞬早く出すとか、そういった持ち出す能力に長けているのじゃないでしょうか。流はゲームの理解力が高い。茂野は一番、アグレッシブでしょうか。それぞれ特徴があります。ジェイミーさんがどう使うかでしょう。おそらく、最初は田中でいって、(途中から)流でテンポを上げるんじゃないかなと思いますが」

――勝利のため、日本代表の戦う上でのポイントは何でしょうか。

「前の大会と一緒です。まずはミスをなくすことです。ペナルティもそうですけど、ノックオンとか、ノットストレートとか。相手ボールのスクラムを減らすことが、勝ちにつながる戦い方じゃないかなと思います。もちろんタックルの精度もですが、キックを蹴るなら、ディフェンスはきっちりしていないといけません。そこのイージーミスをなくすことです。日本が勝った15年の南ア戦、僕が数えていてノックオンでのスクラムは2回しかなかったと思います。ノックオンのアドバンテージオーバーでスクラムにならなかったケースも1、2度あったかもしれませんが、とにかくミスによる敵ボールのスクラムが少なかった」

――日本代表の初戦(9月20日)の相手はロシアです。

「弱くない。日本が全力を懸けるべきはロシア戦でしょう。そこで負けると、何もなくなっちゃうので。これは一番のキーだと思います。ロシアはフィジカルが強くて、スクラムも弱くない。ミスをなくして、確実に点をとっていき、敵陣で戦うのが一番でしょう」

――ところで、堀越さんは女子ラグビーの普及にも尽力されています。

「(競技人口は)増えてきています。何とか、女性が子どもを産んでくれた時、ラグビーは危なくないと思って、子どもにラグビーをやらせてくれたらいいなと思って、熊谷でクラブを始めました。ワールドカップをきっかけとし、女子の普及も広がってほしいですね」

――最後に。将来の日本ラグビー界は何色でしょうか。

「新しい日本ラグビー協会の(副会長に就任した)清宮(克幸)さんに期待して、また一緒にラグビーをやっていた岩渕(健輔=新専務理事)にも期待して、ピンク色ということでお願いします。ジャパンのチームカラーの桜色です」

 小柄なからだにはエネルギーが詰まっている。芸術的なパスさばきでファンを魅了し、通算キャップ(国別代表戦出場)数は「26」を数えた。50歳。「日々、新たなり」をモットーとする。日々、新たな気持ちで成長しないと、自分もチームも成長しないということだろう。日本代表に栄光あれー。