その瞬間、シモナ・ハレプ(ルーマニア)はラケットを頭に載せるような格好でひざまずいた。パフォーマンスでも何でもない、素直な歓喜の表現だった。 「勝った瞬間、足の力が抜けました。どんなリアクションをとればいいのか分かりませんでした。心の命じる…

その瞬間、シモナ・ハレプ(ルーマニア)はラケットを頭に載せるような格好でひざまずいた。パフォーマンスでも何でもない、素直な歓喜の表現だった。 「勝った瞬間、足の力が抜けました。どんなリアクションをとればいいのか分かりませんでした。心の命じるままの行動でした」とハレプ。すさまじい集中力で2セットを戦い抜いたことが分かる。ルーマニア選手として男女を通じて初めてのウィンブルドンチャンピオンの誕生だった。

まさか、グランドスラムのシングルスで23個のタイトルを持つセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)が、こんなスコアで敗れるとは。舞台は7度優勝のウィンブルドン。決勝での完敗は現実のこととは思えなかった。 所要時間56分は両者の対戦では最も早い決着となった。  

過去10戦の結果はハレプの1勝9敗、四大大会では3戦3敗だった。ただ、その3戦とも最終セットにもつれていた。ウィンブルドンでの両者の対戦は8年ぶり。元世界ランキング1位同士の対戦となった今回、四大大会で初めてセレナから勝ち星を手に入れた。  

優勝インタビューはその素朴な人間性がにじみ出るようなものだった。

「ロイヤルボックスの前でプレーするのは夢でした。母の夢でもありました」 「ナーバスになっていました。おなかの具合もおかしくなって。でも、動揺している場合じゃない、と」

コート上でのインタビューでは笑わせたが、実際は周到なマインドセットで臨んでいた。

「だれとプレーしているのかは全く考えませんでした。セレナとプレーすると、私は多少おびえてしまうところがありました。彼女はどんな選手にもインスピレーションを与える、お手本のような存在です。私は自分自身と四大大会の決勝という状況だけに集中し、彼女には注意を向けないようにしました。そうすることで、最高のプレーができて、リラックスして、前向きに、自信を持って戦えたのだと思います」  

ウィンブルドンの新女王は「生涯最高の試合」と満足げだった。

この決勝は、準決勝までの6試合で出場選手最多の45本のエースをたたき込んだセレナと、リターンゲームの勝率が53%とベスト16に残った中で最も高いハレプによる、矛と盾の戦いだった。ハレプは4度ブレークに成功し、その戦いを制した。ファーストサーブでのポイント獲得率も、セレナが59%にとどまったのに対し、83%と相手のお株を奪うような力強いサービスゲームだった。  

もう一つ、素晴らしいスタッツが残っている。ハレプのアンフォーストエラーはわずか3本。セレナの26本とは比べようもない。準決勝までの6試合でわずか75本、1試合平均12.5本のアンフォーストエラーにとどめていたが、それをはるかにしのぐ安定感だった。  

いや、安定感という言葉では十分ではないだろう。セレナが2本3本と強打を続けても、なかなかウィナーにならない。そのしつこさと返球の質の高さが、セレナの焦りを誘った。拾って粘るだけではない。ぎりぎりの体勢からカウンターでウィナーを奪う一撃は見事だった。アスリート能力をいかんなく発揮した、カウンターパンチャーの面目躍如の56分間だった。

この試合でのハレプの走行距離は1,220mに達した。1ポイント平均では13.12m。全7試合で13,001mに達した。セレナは7試合で8,292m。プレースタイルが異なるため、多く走った方がそれだけ頑張ったと見るのは正しくないが、13kmの全力疾走が彼女を女王の座に導いたことは間違いない。このフィジカルを作り上げたことはハレプ自身と陣営の功績だ。  

セレナは英国の元選手スー・バーカーが聞き手をつとめた放送局BBCのインタビューで、こう話した。

「彼女はまったく正気の沙汰じゃないというくらいのプレーでした。相手にこんなプレーをされたら、脱帽して、こうべを垂れるしかありません」

(秋山英宏)

※写真は「ウィンブルドン」でのハレプ

(Photo by Shaun Botterill/Getty Images)