東海大・駅伝戦記 第56回 日本選手権1500m決勝、ゴールした瞬間、館澤亨次(東海大4年)はうつろな表情で電光掲示板のタイムを見ていた。この大会に賭けてきたが、自分のよさをまったく発揮することができなかった。敗戦はショックだったが、あ…

東海大・駅伝戦記 第56回

 日本選手権1500m決勝、ゴールした瞬間、館澤亨次(東海大4年)はうつろな表情で電光掲示板のタイムを見ていた。この大会に賭けてきたが、自分のよさをまったく発揮することができなかった。敗戦はショックだったが、あまりにも衝撃的すぎるがゆえに、逆に館澤はこの敗戦を機に、ある決断をしたと言う。

 館澤の決断とはいったい何だったのか。



3連覇を目指した館澤亨次(写真右)だが、ハイペースについていけず9位に終わった

 館澤にとって日本選手権は非常に重要なレースだった。関東インカレでは後輩の飯澤千翔(いいざわ・かずと/東海大1年)にゴール直前で差され、優勝を逸した。その悔しさを胸に自分の走りを見直し、修正した。

「トレーナーに自分のよさがなくなっていると言われたんです。体が硬くなって、いい走りができなかった。それを教えてもらったことで気持ちが楽になり、修正することができた。日本選手権は、今シーズン一番いい状態だったんです」

 館澤の走りは、決して理想的なフォームではないが、がちゃがちゃした走りがラストの爆発的なスピードを生んできた。初心に戻ったことで、キレのあるラストスパートが徐々に復活してきた。自分の得意技を武器に、日本選手権で飯澤や実業団の強豪選手に勝ち、3連覇できるという偉業達成への手応えを感じていた。

 そして、日本選手権。1500m予選は、不思議な組み合わせになった。

 予選は2組あり、それぞれ11名が出走し、上位5着プラス2名(タイム上位)が決勝に進出する。その予選1組のリストを見て驚いた。

 館澤に加え、飯澤、鬼塚翔太(東海大4年)、木村理来(りく/東海大4年)の4名に加え、東海大OBの荒井七海(Honda)、國行麗生(くにゆき・れお/大塚製薬)ら、東海大勢6名が予選1組に集められたのだ。

「やりにくかったですよ」とレース後、館澤はもらしたが、それでも4位で決勝進出を決めた。ただ、予選は館澤にとって反省の多いレースになった。

「今回、調子はよかったですし、レース展開がスローになると思って後方に待機していたんです。最後、いけるだろうと思って……ちょっと油断してしまった。決勝はこれじゃダメですね。やっぱり調子のいい時こそ、自分を見失わずに自分の走りをしないと。『館澤はまずいな』と思われているかもしれないですけど、それを決勝で覆したいですし、自分の持ち味を生かすレース展開を、もう一度肝に銘じて走りたいです」

 調子がよかっただけに、最後のラストスパートで勝負できると踏んだのだろうが、その前にポジショニングで失敗した。だが、それは十分に修正できる。決勝は3連覇がかかるレースとなり、よりプレッシャーも増すだろう。そのことについて聞くと、館澤は「昨年までの優勝は運がよかったと思って、今年は王者としてではなく、挑戦者として挑みたいと思います」と淡々と話していた。

 飯澤をはじめ、周りの選手のレベルが上がり、優勝は簡単ではないことは館澤自身が一番理解している。だからこそ、3連覇を気にしないように振る舞っていた。

 果たして決勝は、館澤の予想を超えるハイペースになった。

 序盤こそ、前を走る松枝博輝(富士通)の背後に飯澤とともにつき、予選の反省を生かしたレース展開をしていた。

「ハイペースになるかなって予想していましたが、前の方にいれば、スローになっても対応できる。そう思って前につきました」

 突如、流れが変わったのはラスト2周になってからだ。

 後方から戸田雅稀(サンベルクス)が上がり、一気にスピードを上げた。そのスピードについていけたのは、松枝、荒井、的野遼大(MHPS)の3名だけ。館澤は彼らについていけず、10m、15m……と、どんどん離されていく。

「ちょっと対応できないぐらいのハイペースになったので、ついていけなくなってしまって……」

 予想外のハイペースに、館澤は面食らった。ラスト1周の鐘が鳴ってもその差は埋まらず、優勝は絶望的になった。

 3分44秒39の9位。大会3連覇どころか、今シーズン一番賭けてきたレースで惨敗を喫してしまった。汗にまみれた館澤は、見るからにショックを受けている様子だった。

「完全に力負けです。上を目指すなかで、こういうレースに勝てないのは本当に力不足だなと思います」

 日本選手権2連覇中である王者・館澤が、あそこまで置いていかれるとは想像できなかった。もしかすると、関東インカレで敗れたレースがダメージとして残っているのではないか。悪夢のような残像は、そう簡単に消えるものではない。

「うーん、あれがあったからこそ、今回は油断せずにやってこられたけど、逆にあれがあったので、ラストスパートでの自信が100%ではなかったのかなと。自分の武器で勝てなかったというのは、(今回のレースに)影響したと思います。

 しかも今回は、ラストスパートすらできなかった。日本選手権(のタイトル)だけは譲りたくなかったんですけど、こういう結果になった以上、すべてをレベルアップしないと、次の段階にはいけない。また来年、どんなレースになっても力を見せつけられる選手になって戻ってきたいと思います」

 館澤は、自分に言い聞かせるようにそう言った。

 今回は実業団選手に力の差を見せつけられたが、西出仁明コーチは「これからも『1500mの東海』と言われるようにしたい」と語り、駅伝を目指す選手とともに引き続き、1500mに力を入れていくと言う。

 そのことを館澤に告げると、苦笑しながらこう言った。

「まぁこんな形でありますが、初めて飯澤(12位)に勝ちました。飯澤も無敵ではないということです。でも、情けない話。飯澤はずっと調子がよくて、東海の1500mを引っ張らせてしまったかなと。飯澤に学生チャンピオンのプレッシャーを感じさせていたのなら、自分の責任です。4年生であり、主将である自分が引っ張っていかないといけなかった。全カレ(全日本インカレ)は学生最後の1500mになるので、飯澤と木村で1位、2位、3位を独占して、圧倒的な強さを見せたいですね」

 世界陸上への参加標準記録は3分36秒00で、優勝した戸田(3分39秒44)でさえ自己ベストながら出場権を得られなかった。館澤は、参加標準記録を突破すればもちろん、優勝か8位に入賞していれば、わずかだがインビテーション枠での出場の可能性があった。だが9位に終わり、世界陸上のチャンスは完全に潰えた。

 館澤は、これで決断したと言う。

「世界陸上への道が途絶えた今、自分のなかではこのレースを引きずると思いますが、東海大の主将としてそういうわけにはいかない。ここまで副主将の西川(雄一朗)がチームを支えてくれて、僕は自分のやりたいようにやらせてもらって。これからは主将として東海大を背負わないといけない。全カレもありますが『出雲(駅伝)があるんだ』という気持ちで、1500mから駅伝に切り替えていきます」

 今年の東海大の目標は”駅伝3冠”だ。個々が力をつけてきたトラックシーズンの成果を、今度はチームの力に変えていく。夏合宿では館澤自らがチームを引っ張りつつ、練習メニューも長距離にシフトしていくことになる。

 1500mの悔しさを”学生3大駅伝”にぶつける覚悟だ。