「自然と涙が出そうになるんですよ」 サガン鳥栖で10年目になる元日本代表FW豊田陽平(34歳)は、そう言って少し照れ…
「自然と涙が出そうになるんですよ」
サガン鳥栖で10年目になる元日本代表FW豊田陽平(34歳)は、そう言って少し照れたように笑った。
「最近は1試合1試合、これが最後だと思ってピッチに立っています。試合前は、家族の写真を見て集中を高めるんですが、これで最後と思うと本当に泣きそうになって(苦笑)。だから、少しも手を抜けないし、抜かないし、最後まで走れるんですよ。サッカーができる幸せを噛みしめています」
その渾身が、人間の限界を超えさせるのだろう。

監督交代を機にスタメンに復帰した豊田陽平(サガン鳥栖)
5月26日、本拠地に鹿島アントラーズを迎えた一戦は象徴的だった。急に春から夏に変わったような気候変化で、厳しいコンディションだった。豊田はごつごつと鹿島のディフェンダーとやり合い、消耗戦を戦った。後半アディショナルタイム、鹿島の選手に疲労の色が見えていた。裏に抜けたボールの折り返しに、豊田は集中を切らさず身体を動かし、ポジションに入る。左足でボールを確実に叩いてネットを揺らし、決勝点を決めた。
信じられない動きだった。
「正直、得点シーンの前後はあまり覚えていません。ビデオを見返し、こんなだったかなって。でも、自分は得点が入るときは無心というか、考えずに身体が動くんですよ」
豊田は日に焼けた頬をほころばせ、白い歯を見せた。
今シーズン、新たに就任したルイス・カレーラス監督から、豊田はほぼ干されていた。
「何も悪いことはしていないのに、とは思っていましたよ」
豊田はあけすけに笑い、小さく息をつく。
「でも、自分は練習から100%やるだけ。チームを出るという発想は少しもなかったですね。自分がこのクラブで今までやってきて、J1に上がって、代表にもなれたのは事実で、きれいごとに聞こえるでしょうけど、クラブ愛というか……」
しかしここ2年ほど、豊田は「鳥栖のエース」の称号を”剥奪”され、理不尽な扱いを受けていた。
2010年、豊田は当時J2だった鳥栖に入団。2年目でJ2得点王に輝き、チームをJ1へ昇格させる原動力になった。
3年目にはJリーグベストイレブンに選出。4年目には自身リーグ最多の20ゴールを挙げて得点王を争い、日本代表デビューを飾っている。そして5年目は前半戦で鳥栖を首位に立たせ、ブラジルW杯予備登録メンバーに入り、代表初得点も決めた。6年目には4年連続で15得点以上を記録し、日本代表として2015年アジアカップに出場している。鳥栖の選手としては、どれも”初尽くし”だった。
<鳥栖=豊田>
そう言っても大袈裟ではない時代だった。
「自分は人に活かされる選手。王様というか、スター選手ではない。鳥栖のおかげで、ここまで来られた。この町だから成長できたと思っています。鳥栖では、犠牲心を持てるか、隣の選手のために2倍働いたら、次は必ず助けてもらえるというか……。その結びつき、助け合いが大事なんです」
そう語る豊田の人間性こそ、「鳥栖らしさ」を表してきた。
ところが、クラブは莫大なスポンサー収入を得るようになると、それを湯水のごとく使い、監督登用も定まらなくなった。選手の入れ替わりが激しくなって、チームの色も薄まる。陣容は華やかになったものの、成績はむしろ低迷した。
昨シーズンは、元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスの加入が話題を振りまいたが、チームは不調に喘いだ。終盤戦、U-18を率いていた金明輝監督が急遽、指揮を執って、どうにか残留したに過ぎない。
にもかかわらず、今シーズンはスペイン国内で失敗続きだったルイス・カレーラス監督を招き、再び迷走。チームとして10試合で1得点という体たらくで、解任は必然だった。
この2年で、「鳥栖らしさ」は摩耗した。豊田はそれに耐え忍んだ。
「(金)明輝さんが、正しい競争を現場に戻してくれました」
豊田は変化を端的に語る。5月、金監督が正式に監督に戻ってくると、リーグ戦は破竹の3連勝。一方でエースの座を託された豊田は、3試合連続で先発出場し、2得点を決めている。
「明輝さんは、どんな選手であっても、必要なら厳しく言える。外国人監督のように、監督の決めつけで選手を干したり、好みで使ったりしない。正しい評価をしてくれるし、自分たちのストロングを平等に使ってくれる」
豊田だけでなく、多くの選手がプレーを改善させている。
「今は明輝さんが、自分のよさを知って生かしてくれて、『もっとシンプルにクロスを入れて、トヨを行かせ!』と伝えてくれる。今のJリーグには、自分が高さで圧倒される選手はいない。新しく入った若手選手は、『豊田は大きいだけ』と思っているかもしれませんが(笑)。
最近、練習で背後からのクロスを左足ボレーで立て続けに決めたら、『ファン・ペルシー!』って冷やかされたんです(元オランダ代表FWロビン・ファン・ペルシーは空中のボールをダイレクトで合わせるシュートを得意とし、左足ボレーは代名詞だった)が、ボール扱いはヘタかもしれないけど、シュート感覚はあるんだぞ、と」
豊田はそう言って、相好を崩した。気持ちに余裕が見える。腹を括っているからだ。
6月1日のセレッソ大阪戦は0-1で敗れ、豊田も負傷で途中交代を余儀なくされた。4連勝はならず、快進撃は止まった。6月15日の浦和レッズ戦に向け、仕切り直しだ。
「自分はピッチで出せるものを出し、それでダメなら引退という決断をするだけ」
そう豊田は言う。その気迫が、ディフェンダーをたじろがせる。