2週間の大会を考えれば、5セットの試合をしてしまったことは大きなマイナス材料だが、この劇的な勝利の前には、スタミナ温存がどうの、第2セットの拙攻がどうのという講釈は響いてこないだろう。ともあれ…
2週間の大会を考えれば、5セットの試合をしてしまったことは大きなマイナス材料だが、この劇的な勝利の前には、スタミナ温存がどうの、第2セットの拙攻がどうのという講釈は響いてこないだろう。ともあれ、少しお付き合い願いたい。
序盤にブレークアップした第2セットは当然、6‐3くらいで取るべきだった。しかし、4‐2で迎えたサービスゲームは40‐0からブレークを許してしまう。
試合後の記者会見でここを突かれると、「その場面は一番忘れたいところでしたけど」と苦笑した。聞いてくれるな、と言いたいのだ。それでも、すぐにいつもの真面目な錦織に戻り、こう続けた。
「今日、反省しなければいけない一番のポイントでした。粗い、雑なポイントが続いてしまったので」
こうした無駄なゲームはコーチのマイケル・チャンが最も嫌う。引き離すチャンスを逃した錦織には悔いが残り、ジェレは逆に、まだいける、と勇気を得たはずだ。案の定というか、このセットはタイブレークで落とした。
第3セットはジェレがペースダウンし、6‐3。しかし、2‐1で迎えた第4セットを落としてしまう。落とし方が悪かった。第4ゲームで一度、第6ゲームでは3度、ブレークポイントを逃し、逃げ切りを許した。
形勢が相手に傾いた状況で迎えた最終セットも、いきなり2ブレークダウンの0‐3。大げさでなく、絶体絶命のピンチだった。
「多少、動揺はあった」と錦織は言う。頭のどこかには「無理かな」という思いもあった。それでも、「1本ずつ。いつかチャンスが来る」と集中力を上げた。開き直った、という言葉で片づけるのは少し乱暴だ。「ときにはリスクを負って攻めた」というが、無謀な攻めではなく、むしろ、本来のペースを保って、丁寧に組み立て、理詰めで崩しにかかった。その戦い方が、相手により大きな重圧をかけることを彼は知っているのだ。
5セットの戦いを経験したことのないジェレは、大事なところでプレーが粗くなった。疲れもあったはずだが、錦織のプレーがそうさせたのだ。
3‐4で迎えた第8ゲーム、とうとう錦織が追いついた。この時点でほぼ4時間が経過していた。ここからの6ゲームには、なかなか味があった。落ち着いたプレーで楽にサービスゲームをキープ、相手のサービスゲームでは常に30‐30に持ち込み、重圧をかけた。そうして真綿で首を絞めるように追い込んで、最後は8‐6。4時間26分の戦いにようやくピリオドが打たれた。
力強く、しかも確実に相手を仕留めた。錦織が最終セットに強いのは、こういう戦い方ができるからだ。最終セットにもつれた試合での勝率は74.4%となり、男子ツアー歴代1位を誇る。その面目躍如の第5セットだった。
試合後、フルセットの試合に強い理由を聞かれると、こう答えた。
「集中力があまり落ちない。ファイナルセットになると上がってくるような気がする。それと今日みたいな試合では、あきらめないことが本当に大きな力になった」
本人の分析に少し補足を加えてみたい。錦織は最終セット0‐3になったときの心境を明かしている。「(相手に)このままのプレーをされたらしょうがない」。あきらめたわけではないが、そんな思いも頭をよぎったという。それでも、「あんなにハードヒットは続かない」とこの状況で考えられるポジティブな要素を引っ張り出し、「小さなチャンスを待つしかない」と臨んだ。
複眼思考というか、状況を客観視する冷めた目を持ちながら、目の前のポイントに集中する。アクセルを踏みすぎす、ハンドルを正確に操る。すなわち、冷静さと熱さが同居している。こんなメンタリティを作れるから、最後に笑えるのだ。
錦織自身、第2セットにブレークバックを許さなければ「3セットで終わっていたかも」と悔やんだ試合だ。確かに、4回戦以降を考えれば、ここで約4時間半の試合をしてしまったのは痛い。しかし、錦織にならって、この試合からポジティブな要素を引っ張り出そう。
序盤は、そして、特に最終セットは、クレーコートシーズン開幕からの課題となっていたフォアハンドがよく伸びていた。素晴らしいフォア、思い切りのいいフォアが何本もあった。
この春は2大会連続初戦敗退も経験するなど、勝ち星が伸びず、勝負強さが影をひそめていた。しかし、第5セットの錦織は本来の姿だった。メンタルの強さをあらためて印象づけた。長丁場の戦いでスタミナは失ったが、その分、大会2週目を乗り切るために欠かせない、大きなものを手に入れた。
(秋山英宏)
※写真は「全仏オープン」での錦織
(Photo by Clive Brunskill/Getty Images)