5月12日、ポートランド・トレイルブレイザーズがウェスタン・カンファレンス・セミファイナル第7戦でデンバー・ナゲッツに勝利し、シリーズを制すると、ブレイザーズのセス・カリー(SG)はウェスタン・カンファレンス・ファイナルの対戦相手となるゴ…

 5月12日、ポートランド・トレイルブレイザーズがウェスタン・カンファレンス・セミファイナル第7戦でデンバー・ナゲッツに勝利し、シリーズを制すると、ブレイザーズのセス・カリー(SG)はウェスタン・カンファレンス・ファイナルの対戦相手となるゴールデンステート・ウォリアーズのひとりの選手からテキストメッセージを受け取った。

※ポジションの略称=PG(ポイントガード)、SG(シューティングガード)、SF(スモールフォワード)、PF(パワーフォワード)、C(センター)。



試合後に健闘を称えあう弟セス・カリーと兄ステフィン・カリー

 そのメッセージには、こうあった。

「火曜に会おう。楽しみにしている」

 送り主は、兄のステフィン・カリー(PG)。こうして、ウェスタン・カンファレンス・ファイナルでの「兄弟対決」の幕が切って下ろされた。

 セス・カリーにとって、人生最初のライバルは2歳半上の兄、ステフだった。子どもの時は、毎日のように1対1の勝負をしていたものだった。

「よくある話だ」と、ステフは振り返る。

「いつも、1対1ばかりしていた。どの兄弟でもよくあるように、いつも激しい競争になった。セスはいつも、僕のファウルがファウルにならないことに『ズルい』と言っていた。これもよくあることだね」と笑う。

 父のデルも、「ふたりとも意思が強いから、少しするとだいたい喧嘩(けんか)になる。そうなったら、私か妻が間に入らなくてはいけないほどだった」と、当時の思い出を語る。

 デルがNBA選手だっただけに、ふたりにとってNBAは身近な世界だったが、それでも夢の舞台であることには変わりなかった。ステフは名シューターのレジー・ミラーになった気分で、セスは憧れのトレイシー・マグレディのつもりで、NBAのコートで戦っている自分たちを想像しながら、勝っては喜び、負けては悔しがり、切磋琢磨してきた。

 その頃に夢見ていたことが現実になるには、少し年月が必要だった。

 ステフは2009年にドラフト1巡目指名でウォリアーズに入り、初期の故障以外は順調なキャリアを送ってきた。これまでにMVPを2回受賞、優勝を3回経験している。一方のセスは、2013年デューク大を出た後もドラフトされることなく、最初の2シーズンはマイナーリーグと10日間契約で、NBAチームを行ったり来たりする日々だった。

 兄弟がNBAのコート上で対戦できるようになったのは、セスがNBAに定着するようになったサクラメント・キングスにいた2015-2016シーズンからのこと。それから今シーズンまで、レギュラーシーズンで9回対戦してきたが、対戦成績はステフのチーム(ウォリアーズ)が7勝。セスのチームは今季までウォリアーズ相手に勝利することができなかったが、今季はレギュラーシーズンで2勝をあげている。

 今回のウェスタン・カンファレンス・ファイナルは、カリー兄弟にとって、プレーオフでの初めての対決だった。NBA史上でも、兄弟がカンファレンス・ファイナルで対戦するのは初めてのことだという。

 ステフにとっては5年連続出場の慣れた舞台だが、セスにとっては初めてのカンファレンス・ファイナルだ。なにしろ、セスは今シーズンまでカンファレンス・ファイナルどころか、プレーオフにも出たことがなかった。昨季までは、プレーオフが始まる前に自分のシーズンは終わり、この時期はいつもスタンドから兄を応援するばかりだった。

「ステフがウェスタン・カンファレンス・ファイナルでプレーするのを、何年も他の観客と一緒にスタンドから見てきた。NBAファイナルをかけて、コート上で戦えるのは楽しくなりそうだ。僕らふたりにとって、夢が現実になった」と、セスは言う。

 ステフは、セスがどれだけの苦労や努力をしてきたのかを、誰よりも理解しているひとりだ。その苦労を乗り越えて、NBAに定着した弟を誇りにも思っている。

「彼(セス)は、今のところに自分の居場所があるとわかるまで、僕とは別な道を通ってきた。それでも、彼の自信が失われることはなかった。いつでも全力で努力する。昨季(ダラス・マーベリックス所属時に故障で)1年間欠場しても、ポートランドが彼をチームに加えたいと思い、ローテーションに入ったのには、それだけの理由がある。僕としても、彼がある意味、無理だと言われる状況を覆してくるのを見るのは楽しかった」

 セスが兄とは『別の道』を通って、苦労してたどり着いた大舞台だったからこそ、このシリーズは特別だった。なかでも、第2戦は思い出に残る試合となった。

 兄とマッチアップしたセスは、前半だけで兄から2回スティ-ルを記録し、ブレイザーズの15点リードでハーフタイムを迎えた。後半になると、ウォリアーズが怒涛の追い上げを見せる。ブレイザーズも粘って再び突き離し、それをウォリアーズがさらに追いかける。

 第4クォーターの残り2分1秒、ウォリアーズが1点ビハインドの場面で、ステフが3本のフリースローを得た。1本目を沈めて同点にしたステフに、セスは「これで70本連続ぐらいだった?」と声をかけた。そう言うことで、連続フリースロー成功を途切れさせようとする、弟の作戦だった。

 しかし、兄は少しも慌てることなく、冷静に「そうか。それじゃ72本連続になるな」と言い、その宣言どおりに残りの2本も決め、2点リードを奪った。

 だが、セスも負けていない。残り1分3秒にスリーポイントシュートを決めて、ブレイザーズが再逆転する。「カリー対カリー」の見せ場だった。

 結局、その後、2本連続でシュートを決めたウォリアーズが勝利。ステフは37得点・8アシスト・8リバウンドをあげる活躍を見せ、セスも16得点・2アシスト・4スティールでチームに大きく貢献。4スティールのうち3本は兄から奪っている。

「少しでも流れを変えようとした。彼(ステフ)に得点を取られ、活躍されるのはわかっていたけれど、自分の仕事をし、少しでも自分の存在を感じさせ、邪魔をしたかった」とセスは語った。

 一方ステフは、兄らしく、自分の勝利を喜ぶ一方で、弟の活躍を誇らしげに称賛した。

「セスは嫌らしいディフェンスをしてきたし、第4クォーターに重要なシュートを3本決めてきた。ウチの両親にとってはヤキモキする試合だったかもしれないけれど、今夜は完璧な結果となった。彼が活躍して、僕が勝ったのだからね」

 その4日後、シリーズはウォリアーズの4連勝で終わった。オーバータイム(延長)の激戦だった第4戦が終わった後、ふたりはコート上でお互いの健闘を称えてハグし、ユニフォームを交換した。

「これ(兄のユニフォーム)は額に入れるか何か、このシリーズ、今の時間を記念にとどめられるような特別な方法で取っておくつもりだ」とセス。「この先、プレーオフの舞台で再び対戦することがあるかどうかもわからない。僕らふたりにとって、特別な時間だった。この先、ずっと忘れないだろう」

 5年連続NBAファイナル進出を決めたステフは、レポーターから弟との対戦となったシリーズについて聞かれ、こう答えた。

「どちらかが負けなくてはいけなかった。でも、これは弟自身にとっても、彼のキャリアにとっても、大舞台での戦いのスタート地点にすぎない。単にここにいるべき選手だというだけでなく、プレーオフで多くの時間に出場する選手ということを、多くの人たちに証明した。そして、僕らはふたりとも、残りの人生でこの経験を決して忘れない。それが、何より大事なことだ」