東海大・駅伝戦記 第51回「今日はいいところがひとつもありませんでした」 レース後、阪口竜平(東海大4年)はさっぱりした表情でそう言った。 セイコーゴールデングランプリの3000mSC(障害)は、阪口にとって非常に重要なレースだった。大会は…

東海大・駅伝戦記 第51回

「今日はいいところがひとつもありませんでした」

 レース後、阪口竜平(東海大4年)はさっぱりした表情でそう言った。

 セイコーゴールデングランプリの3000mSC(障害)は、阪口にとって非常に重要なレースだった。大会は、国際陸連の年間シリーズ「IAAFワールドチャレンジ」(全9戦)の第3戦目となり、Aランク指定だ。



セイコーゴールデングランプリの3000mSCで14位に終わった東海大・阪口竜平

 国際陸連はランキング制度を採り入れ、2020年東京五輪は出場選手の半分をランキングで、残りを従来の参加標準記録で選出すると決定した。そのため今大会で8位内に入って、確実にポイントを獲得する必要があった。ちなみに3000mSCの世界ランキングで、阪口は日本人のなかでは塩尻和也(富士通/18位)、山口浩勢(愛三工業/32位) に次いで3番目(70位)に位置している。

 また、日本最強の塩尻に勝って日本人トップに立ち、世界選手権の標準記録(8分29秒)を突破し、世界陸上への出場権を得る。さらに学生記録を破る。いくつもの目的、テーマがあったからこそ、阪口は「この大会を一番に考えて」準備をしてきた。

 大会前、レース展開について、阪口はこう考えていた。

「外国人選手の自己ベストを見ると力の差がすごくあったんですけど、そこに臆することなく積極的に先頭集団についていくこと。コーチには『塩尻さんを徹底的にマークしなさい』と言われました」

 しかし、レースは真逆の展開を見せた。スタートは勢いよく飛び出して集団の真ん中付近にいた。だが、最初のハードルを越えるとその勢いが鈍り、2つの目のハードルを越える際には優勝したフィレモン・キプラガとぶつかりそうになって、そのままうしろに下がってしまったのである。

「最初のハードルを飛ぶ時、周囲の選手に当たって危ないなって思ったんです。それでも強気にいければよかったんですけど、そこでうしろに下がってしまった。先頭集団が縦長ではなく、横に広がっていたので、前に行くにはさらに外側を行かないといけない。それならうしろでもいいかなと思ったんです」

 後方に位置するレース展開は、いつもの阪口のスタイルとは異なる。

 4月の兵庫リレーカーニバルで勝った時は、まず先頭に出て、途中で足を使わないように体力をキープし、最後のスパートで持ち前のスピードを生かして優勝した。前から積極的にいくのが阪口の勝ちパターンだ。

「先頭のほうでレースできると『調子いいな』と思えるし、いいタイムが出やすい傾向にあるんです。でも、3月のスタンフォードでのレースは一番うしろから出て、8分44秒ぐらいかかった。うしろからのレースはヘタだなって思いましたね(苦笑)」

 思い切って前にいけず、腕がぶつかり合うなかで戦えなかった。それは、基本的な走力が足りないこともあるが、体の大きい外国人選手と競り合うことに慣れていなかったり、水郷への恐怖感がまだ拭いきれていないことも大きな要因となった。

 昨年7月のレースで水郷での着地に失敗し、くるぶしの骨 が割れ、3カ月もの長期離脱を余儀なくされた。それがトラウマになっているせいか、今回も水郷を飛ぶ際は少し窮屈そうに飛んでおり、着地してから勢いよくスピードに乗れている感じがしなかった。

「今回も全体的に一歩前に足が出なくて……。本来であれば勢いよく水郷を飛べればいいんですけど、失速して飛んでいました。まだ怖さもあるので、修正していきたいんですが、普通の練習では水郷がないので、いつもぶっつけ本番になってしまうんです。勝てないのは走力の問題もあるんですが、水郷については練習できるところを監督と相談したいと思っています」

 レースは1000m、2000mと進むたびに、阪口とトップ集団の差は開いていった。

 結局、阪口は後方ポジションのまま勝負できずに走り終えた。フィニッシュするとトラックに両ひざをついて伏し、しばらく顔を上げることができなかった。それほど苦しいレースだったのだろう。タイムは8分56秒65の14位。自己ベストから20秒近く遅かった。

 レースを見終えた東海大の両角速(もろずみ・はやし)監督は、次のように語った。

「気負ったかなぁ。でも、追い込み不足もありますね。体が動かないって感じでしたから。目標にしていた大会だっただけに、ちょっともったいなかった。日本選手権に向けてつくり直しですね」

 阪口も「もったいなかったです」と冷静に語った。

 4月の兵庫リレーカーニバルでの優勝後、ハードリングについて逆足は折りたたんで跳ぶように改良してきた。大学のトラックには大きなハードルがないので、たとえば1000mを集団で走る時、第2レーンにハードルを置いて、阪口だけそのコースを走り、足の運びを確認したり、着地して加速したり、黙々と練習をこなしてきた。また、練習の一環として5月上旬のゴールデンゲームズインのべおか(GGN)の5000mにも出場した。

「GGNも14分台(14分15秒82)でもうひとつでしたし、練習メニューも走行距離をかなり落として、悪い意味で疲労感がなかった。6月の日本選手権は調整ではなく、春先みたいにしっかり走り込んで、自分を追い込んでいこうと思います」

 レース後、阪口は春のアメリカ合宿で調子がよかった時の足の写真を見せてくれた。トレーニングで太ももとふくらはぎが研ぎ澄まされ、異様なほど筋肉質の足になっており、そのごつい見た目とは裏腹に「すごく鍛えられていたので、走っても全然疲れなかった」そうだ。だが、今回のレース後の足は、写真とは別物だった。筋肉の隆起がなく、全体がのっぺり、ほっそりしていた。

「今回、調整だけだったので筋肉がだいぶ落ちてしまいました。正直、レースの1週間前は『大丈夫かな……』って感じもありました。でも、結果は出なかったですが、これはこれで今後につながるいい経験になりました」
 
 もう気持ちを切り替えたのだろう。その声は少し明るかった。

 レース前の調整やレースプランは、阪口が語るようにいい経験になったに違いない。次に目指すレースは6月末の日本選手権になるが、同じ失敗を繰り返さないように、次はしっかりと仕上げ、レースも積極的に前で引っ張る展開を見せてくれるはずだ。

「日本選手権ではまず学生記録(の更新)ですね。8分25秒ですが、そこにいけるだけの力はあると思っています。今日の結果で『何を言っているんだ』って思われるかもしれないですけど、自分には可能性があると思うので、しっかりと結果を出したいです」

 学生記録を超えれば、必然的に世界陸上参加標準記録(8分29秒)を超え、日本記録の8分18秒93も見えてくる。そうして日本トップとなり、世界陸上でも活躍できれば、目標である東京五輪出場の芽は、より大きく膨らむことになる。

 果たして、セイコーゴールデングランプリでの悔しさを日本選手権で晴らせるか--。阪口の走りに注目だ。