専門誌では読めない雑学コラム木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第204回 最近のゴルファーは”ニギらない”と書くと、「昔はニギっていたのか!?」という突っ込みが入りますが、そこはひとまず置いておいてください。 過去…
専門誌では読めない雑学コラム
木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第204回
最近のゴルファーは”ニギらない”と書くと、「昔はニギっていたのか!?」という突っ込みが入りますが、そこはひとまず置いておいてください。
過去にも何度か取り上げてきましたが、昼メシ程度のニギリは場を盛り上げる”スパイス”として黙認されていますので、ニギリ全部がいけないことではありません。
それでは、なぜ過去にはニギリが頻繁にあったのでしょうか。
それは、ゴルフ自体が賭けの本場、英国のスコットランドで生まれ、育ってきたからです。
そもそもハンディキャップだって、もともとは「ハンド・イン・キャップ」を短くした言葉です。ハンド・イン・キャップとは、ラウンド後にみんなで飲む際に、誰かしらが差し出した帽子の中に飲み代を入れることを言うのですが、それには諸説あって、「ゴルフに勝った者も負けた者も皆、そこでは結果に関係なく”割り勘”で支払って楽しむ」、あるいは「ゴルフで勝った者や裕福な者、負けた者や貧しい者、それぞれが出せる分だけのお金を出し合って、その集めたお金で皆が同様に楽しむ」といった平等の精神から生まれた行為とされています。
とにかく、ブックーメーカーで何でも賭ける国ですから、賭け事は日常。その文化がゴルフと一緒に世界へと伝わったのです。
英国社会を舞台としたアメリカ映画『80日間世界一周』や『マイ・フェア・レディ』でも、賭けが映画の大きなモチーフとなっています。
とくに『80日間世界一周』のトリックは秀逸です(※ネタバレあり)。19世紀、交通機関も発達してきた最中、「80日間で世界一周できるか?」という賭けを、ロンドンのお金持ち同士がします。そして、主人公である資産家のフォッグがそれに挑戦しますが、世界一周目前にして銀行強盗と間違われて逮捕されてしまいます。
その誤解はしばらくして解けるのですが、ロンドンに到着したのが指定時間をわずかにオーバー。その瞬間、フォッグは「(賭けに)負けた」と思います。しかし、ロンドンの日付は前日だったのです。
つまり、80日目。東に向かって世界一周を始めたため、日付変更線をまたいたので、1日得していたわけです。結果、フォッグが見事な逆転勝利を飾った、というお話です。
やっぱり、賭けの話は燃えますなぁ~。
まあ、そんな英国社会において、ゴルフはスポーツというより、勝負事として行なわれてきました。ニギリは、その悪しき風習として、日本でも延々と引き継がれてきたのです。
ところが、ここ10年ぐらいで、ニギリをやらないゴルファーが増えてきて、しかも過去にニギっていた人たちも、ニギらなくなっているのです。
これは、どうしてでしょうか?
その原因をいろいろと分析してみました。
(1)競争社会の疲れ
ゆとり世代は、ニギリをしませんよね。人との競争をしたがらないのですから、当然勝負事は敬遠します。
オジさんたちも、高度経済成長の疲れというか、ずっとニギリばっかりやってきて、”ニギリ疲れ”が起きているのかもしれません。
ニギらなくても、楽しくラウンドできればいいですよね...
(2)ゴルフをやめる最大の理由はニギリ
ルールも知らないのに、「ハンデをやるから」とか「グリーン周りだけの”金銀銅(※)”をやろう」とか言われて、気づいたらいつもおごらされていた――そうした経験に、身に覚えのある方もいるでしょう。その結果、ゴルフをやめた方もいるのではないでしょうか。
※1パット(もしくはチップイン)で決めた際、遠い順から高いポイントがもらえる賭け事。
実際、それでゴルフをやめていく人は結構いるそうです。そして、その世代の半分以上がすでにリタイヤしていますから、今のゴルフが健全化の方向に向かっていることは確かです。
(3)悔しさの消滅
戦後に築かれた、飢えからの脱出、あるいはスポ根マンガの根性社会、そういうのが今は流行らない。
かつて、大学のゴルフ部やプロを目指す研修生は、必ずニギリをさせられて、勝負に勝つ意識を培ってきました。それは、金額の大小ではなく、勝負事における”スパイス”です。
でも、他のスポーツではニギらないで、世界の舞台で戦っている人はたくさんいます。というか、ほとんどのスポーツはそうでしょう。
となると、スポーツとして、闘争心の”スパイス”をニギリに求めるのはどうなのか? それは、もはや時代遅れです。ニギリをやるなら、メンタルアドバイザーを選手につける。今は、そういう時代かもしれません。
(4)ゲームとしての終焉
ゴルフは非常にメンタルなスポーツで、心・技・体のすべてが試されます。けど、ゲームとして楽しむのは、テレビで試合を見る時だけ。コンペでは、多くが新ぺリアですから、腕前はさほど関係ありませんからね。
よって、勝ち負けのあるゲームとして、ゴルフを楽しまない世代が増えています。現に我々も、ただ漫然とラウンドして、自分の中で90を切ったら喜ぶし、切れなかったら「これが日常さ」と言い訳して終わります。年に2回ぐらい100オーバーした時も、「たまにはある」と言って済ませます。
ゴルフはスコアより、健康でラウンドすることができて、仲間の成績より極端に差がつかなければ、オーケーです。
あとは季節の歳時記、桜を見たり、夏に売店で心太(ところてん)を食べたり、半ズボンでゴルフをしたり、紅葉を楽しんだり、それぐらいでいいじゃないですか。日頃、ビルの中で生活しているなら、緑の多いコースにいるだけでもう、森林浴ができているわけですし。
(5)メンタル弱い子ちゃんの増殖
たとえば、スマホゲームをするにしても、従来は困難にぶち当たって、それを乗り越えていくために努力するのが当たり前でした。けど、今やその試練も、時間の経過や課金によって、簡単に乗り越えられるのです。
そういう時代であっても、ゴルフは何年やっても下手は下手。いくら時間やお金をかけても、なかなか上達しないものです。
そりゃもう、 若者からしたら「そんなスポーツないだろ」「ぼったくりじゃん」となります。ハードルが高くて、全然うまくならないし、誰も称賛してくれませんしね。そのうえ、やっとこ100を切って普通ですから。
となれば、ニギリなんてもってのほか。ただの恐喝ですよ。
個人的に、スマホで『シムシティ(※1)』の貧弱版みたいなゲームをやっています。従来のものだと、街を作ると災害が発生して壊れますよね。『桃太郎電鉄(※2)』で言うと、持ち金を捨ててしまうキングボンビーが登場する感じでしょうか。
※1=都市経営シミュレーションゲーム。※2=鉄道会社の運営をモチーフにしたボードゲーム形式のテレビゲーム。
けど、今の街づくりゲームは、災害がない。無課金で少しずつ街がでかくなるだけ。それが「楽しい!」と言われてしまうと、何が楽しいのやら、なんですが……。
確かに、ジグソーパズルだって、数独だって、欠けた部分を貼ったり、計算して数を埋めたりしていくだけでしょ、と言われてしまえば、それまでです。要するに、クロスワードパズル的なゲームに、日常の楽しさを見出す人がたくさんいるということ。
結局、花壇に草木をやって、草木の成長を楽しむ。それだけでいい、という人が現代社会には多いんですね。
だったら、ゴルフは贅沢なハイキング扱いでいいのかも。これが、ゴルフを30年やってきてわかったことかもしれません。
だから、叩いたら、途中でスコアカードを破って、散歩にしちゃえばいいんです。ビギナーはニギらず、スコアもつけない。そこから、始めてもいいのかもしれませんね。