2010年のドラフト会議で6球団競合の末、埼玉西武ライオンズに入団した大石達也投手。一昨年は1軍での登板はなく、昨年の登板は3試合のみ。しかし、6年目の今季はここまで18試合に登板し、防御率1.76と復調の兆しを見せている。■昨年は3試合登…

2010年のドラフト会議で6球団競合の末、埼玉西武ライオンズに入団した大石達也投手。一昨年は1軍での登板はなく、昨年の登板は3試合のみ。しかし、6年目の今季はここまで18試合に登板し、防御率1.76と復調の兆しを見せている。

■昨年は3試合登板も今季は復調、「なぜ抑えられているかは分からない」

 2010年のドラフト会議で6球団競合の末、埼玉西武ライオンズに入団した大石達也投手。一昨年は1軍での登板はなく、昨年の登板は3試合のみ。しかし、6年目の今季はここまで18試合に登板し、防御率1.76と復調の兆しを見せている。

 今季は5月18日に1軍初昇格。2試合無失点で同30日に1度は抹消となったが、6月12日に再昇格し、抹消前の2試合を含めて14試合連続無失点と好投を続けた。7月19日のロッテ戦では2点リードの1死満塁という厳しい場面で登板し、井口に逆転満塁弾を被弾。鈴木にも2ランを浴びて3失点と乱れたが、その後の4試合では計4回2/3イニングを1安打無失点6奪三振と再び結果を残している。

 早大時代には剛速球を武器に圧倒的な投球を見せ、鳴り物入りで西武に入団。しかし、プロでは思うような結果を残せてこなかった。早大時代は抑えとして活躍したものの、入団当初に先発転向に挑戦し、調子を崩した影響も小さくなかった。もがき苦しんできた右腕は今季、なぜ結果を残せているのか。好調の理由や、1軍のマウンドに上がれなかった時の思いを聞いた。
 
――今シーズン好調の要因はどんなところだとお考えですか?

「指のかかりが例年に比べていいです。相手が打ち損じてくれているだけというところもありますし、対戦も少なく、自分のデータが相手にあまりないということもあると思うので、なぜ抑えられているかはわかりません」
 
――投げているボールが去年までと違うと感じる部分はどこですか?

「球の回転、かかりが良く、今年は真っ直ぐに強さがあると思います。去年も140キロは出ていましたが、今年の140キロと去年の140キロは球の勢いが全然違うと思います。スピードにはこだわりたいですが、頑張っても出ないので、今は強い球でバッターに差し込めるような真っ直ぐを求めてやっています。その中でもスピードは出したいです。常時140キロ中頃は出したいと思っています。そうすればマックスは150くらいまでいくかなと思っています」

――スピードを追い求めるために大切だと考えるのはどこでしょうか?

「筋力的には大学時代よりも今のほうがついていると思うので、やはりフォームのタイミングが要因だと思います。今シーズンは体重移動がうまくできていて、上半身と下半身のタイミングが合ってきたことで、球の強さにつながってきていると思います。体重移動はずっとやってきたことなんですけど、今年のキャンプで、森慎二投手コーチとトレーニングをやってきて、それがやっと自分のものになってきたと思います」
 

■「もう投げられないし、いいやって。そんな感じで腐っていました」

 ――思うように球が投げられなくなってしまった原因は何だとお考えですか?

「フォームを変えてしまったことだと思います。入団後に先発と言われて、自分で勝手に『変えなくちゃ』と思って変えてしまいました。それは何を言ってもしょうがないので、自分のせいだと思います。球種を増やそうと、カーブを覚えようとしましたが、思うように曲がりませんでした。曲げようと思ってフォームを変えていったら、真っ直ぐもいかなくなってしまいました。変えずにやってみて、壁にぶち当たってから変えればよかったと思っています」

――今シーズンの投球内容は、自信につながっているでしょうか?

「結果が残ることは自分でも嬉しいですが、自信につながっているわけではないです。今は試合数もイニング数も少ないですし、1年間を通して結果を残していないので、自信は今もないです。シーズン終盤まで今の状況が続いていけば、来年やっていけるかなという自信になると思います。今は毎試合、ドキドキしながら投げています。試合で投げる時は、もう後がないですし、今自分の一番いいボールを投げているので、それで打たれたら仕方ないという気持ちでマウンドに上がっています」

――大学時代から先発へのこだわりはありましたか?

「正直そこまではなかったですね。あの時は、斎藤(佑樹=日本ハム)と福井(優也=広島)というしっかりとした先発2人がいたので、自分はそこしかないなと思ってやっていました」

――高校3年の時の夏の甲子園福岡県大会初戦で、サヨナラ押し出し四球を与えて敗戦しました。その後に大学で活躍されましたが、悔しさをバネにプレーしていくという意味で、勉強になったことはありますか?

「高校の時は悔しかったですけど、今ほどの悔しさではないんです。その時は結果として駄目でしたけど、体的には全然問題なかったですし、フォームも気にしていなかったのでただ『負けた、悔しい』というだけでした。今は去年、一昨年とずっと投げられない悔しさがあったので、それが本当に辛かったです」

――マウンドに上がれずに野球を辞めたくなったことはありましたか?

「そうですね。これでクビになってもいいや、という感じでした。もう投げられないし、いいやって。そんな感じで腐っていました。おととしは特にそんな感じでした。去年はまだ良かったので、もうちょっと頑張ろうって。とりあえず今年1年頑張ろうっていう感じでずっとやってきました。自分で辞めたいと思っても、この時期に球団に『辞めます』って言って、すぐにクビになるわけではないですし、『契約してもらえたからもう1年頑張ろう』と、1年1年頑張ってきました。去年は少し投げられるようになって、気持ちも変わってきました」

――結果が出ないことよりも、思うように投げられないことが一番辛かったですか?

「そうですね。結果は、どんなにいいピッチャーでも打たれるし、相手があってのことなので。投げたいのに投げられないのが一番辛かったです。今年は去年、一昨年に比べれば投げられていますし、結果もある程度出せているので、そういう気持ちはあまりないです」

■生き残っていくために「結果を出すしかない」

――同世代にはプロで結果を残している選手が多いですが、そういう選手の活躍は気になりますか?

「そんなに気にしてないですね。すごいなと思って見ています。去年の秋山の最多安打など、気になるというよりは『すごいな』と思います。周りを気にしている余裕はなくて、まず自分なので。ファームにいる時は1軍の試合結果も全く見ませんでした。とにかく、自分のことに集中しました」

――自分のいい時の姿が今年は見えるようになってきましたか?

「そうですね。まだまだですけど、一時期よりは近づいているかなと思います。毎年、11月、12月は完全オフにしていたんですけど、去年は12月の中頃に沖縄に行って、肩を作ろうと思って早めに始動したので、それが良かったのかなと思っています。これで結果が残れば間違ってなかったなと思って、来年も同じ流れでやれると思います。でも、まだどうなるかは分からないので…」
 
――2014年には野手転向を打診されたという報道もありました。本当にそういう話はあったのでしょうか?

「あれは、だいぶ大げさに書かれていて、別に球団から打診があったわけではありません。潮崎ヘッドコーチが2軍監督だった時に、冗談で『おまえ野手転向って言われたらどうするんだ』とは言われましたが…(笑)」

――大学時代にはショートもやられていました。野手に対する想いはありますか?

「全然ないですね。ずっとピッチャーが昔からやりたいと思っていたポジションなので。そこまで思い入れはないですね」

――小さい頃から野球だけをやられていたのですか?

「習い事としては野球だけですけど、昼休みの遊びでサッカーとかもやっていました。中学校の時は他の部活から勧誘とかもありました。サッカーとかバスケとかでしたけど、その学校の部活が弱かったので、それでですね。大学の時もバレーの授業を受けていたらバレー部の人に『野球部よりも絶対にこっちのほうがいいから来い』と言われて。それにはびっくりしましたね。その人は自分が野球部で試合に出ていると知らなかったので、『一応レギュラーなので』と言ったら『そうなんだ』って言っていました(笑)」

――投手として生き残っていくためには何が必要だと思いますか?

「結果を残すしかないと思っています。どういう投手というよりも、1イニング1イニングをゼロに抑えていくしかないので、余裕は全くありません。結果を出してマウンドから降りると、かなりホッとします。結果を残すしかないので、開き直ってやっています。それをずっと続けられれば、周りも見えてきて余裕も出てくると思いますが、今はまだありません」

――チームは苦しい状況ですが、後半戦目標としているところは何ですか?

「30~40試合は投げたいと思います。防御率もいい数字を残したいです。やはり、チームの勝ちに貢献したいですね。接戦で投げさせてもらえるようになってきているので、勝ちパターンで任せてもらえるようになりたいです。結果を残せば、自然とそのポジションにつけると思うので、今は結果を残すだけです」

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki