西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(29)【クローザー】潮崎哲也・前編 四半…

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(29)
【クローザー】潮崎哲也・前編

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の15人目。

 第8回のテーマは「クローザー」。勝負を決する大事な場面に登場し、抑えて当然、打たれれば戦犯扱いという過酷な任務を託された男たち。まずは、西武・潮崎哲也のインタビューをお届けしよう。


代名詞のシンカーを武器に、中継ぎだけでなく先発としても活躍した潮崎

 photo by Sankei Visual

似た者同士の両チームの激突

――1992年、そして翌1993年の日本シリーズについて、ライオンズ、スワローズのみなさんにお話を伺っています。

潮崎 2年連続でヤクルトと戦っているので、少し混同している部分もありますけど、あの当時のヤクルトには「若いチームだな」という印象があります。それと同時に、「うちと似ているチームだな」とも思っていました。

――当時のライオンズとスワローズ。どのあたりが「似ている」と感じたのですか?

潮崎 岡林(洋一)とか(川崎)憲次郎とか力のあるピッチャーが多く、打線も主力バッターがどっしり控えている。そして何よりも、お互いにキャッチャーがしっかりしていて、ピッチャーを助ける上手な組み立てをしていました。タイプ的には、本当によく似たチーム同士だと思っていましたね。

――確かに、ライオンズ・伊東勤、スワローズ・古田敦也両捕手はもちろん、森祇晶、野村克也両監督も含めて、「よく似たチームだ」と戦前から言われていましたね。さて、シリーズ前には、どのような「スワローズ対策」が練られていたのですか?

潮崎 マークしていたのは、池山(隆寛)さん、広澤(克実)さん、ハウエルと並ぶ主軸でした。ランナーを貯めて一発を打たれることが一番避けたいところでしたから。ただ、僕の場合はリリーフ投手だったので、相手打線をトータルに考えるのではなく、ただ目の前の打者を打ち取ることだけを考えていましたけど。

――結果的に1992年の日本シリーズでは5試合、翌1993年も5試合に登板しました。短期決戦においては、「スクランブル登板も辞さない」という意識で臨まれるのですか?

潮崎 あの当時はそうでしたね。休みなしでもいいから、「勝てるチャンスがあるのならば、すべて登板する」という心構えでいました。特にヤクルトとの日本シリーズは拮抗した試合が多かったですから、必然的に登板も増えていったけど、自分では何とも思っていませんでしたよ。この2年間は体調も万全でしたし、日本シリーズという非常に注目度の高い舞台だったので、自分自身も楽しみにしている部分もありました。

慢心が招いた池山隆寛の決勝ホームラン

――具体的な場面について伺います。1992年第5戦、延長10回表に池山隆寛選手に決勝ホームランを打たれた場面なんですが……。

潮崎 あぁ、西武球場でのゲームですね。

――そうです。3勝1敗、あとひとつ勝てばライオンズの日本一というこの試合は、6回表終了時までスワローズが6-0でリードしていました。ところが、6回裏にライオンズが5-6と追い上げを見せ、そこで潮崎さんが登板し、7回裏にはついに同点に追いつきました。

潮崎 6点ビハインドの場面では、「今日の登板はないだろう」と思っていましたけど、追い上げを見せたときにはすぐに臨戦態勢になりました。でも、それは全然問題ないんです。むしろ、「よっしゃ、いよいよオレの出番だ」という感じで、短時間でアドレナリンが出て、いい結果に終わることのほうが多いんです。


映像を見ながら当時を振り返る潮崎氏

 photo by Hasegawa Shoichi

――この時点ですでに5試合目で4度目の登板ですが、それも問題はないですか?

潮崎 問題ないですね。若い時は全然疲れも感じなかったですから。この日も結構、長いイニングを投げましたよね?

――7回ワンナウトから登板し、結果的に3回2/3イニングで41球を投げています。

潮崎 あぁ、そんなに投げていましたか(笑)。9回が終わって延長戦になったときも、僕的には、まだまだ投げるつもりでした。

――そして、延長10回表、スワローズ・池山選手に決勝ホームランを打たれます。

潮崎 よく覚えています。池山さんに打たれたのは、きっちり投げていれば決して打たれなかったホームランですね。この日は長いイニングを投げていたので、「今日は調子がいいぞ」と思っていたんです。この10回表からの登板だったら、もっと繊細な注意を払っていたはず。でも、すでに3イニング以上投げていたことで、少し慢心があったからこそ浴びてしまった一発でした。

――ここに、その場面の映像があります。あらためて、解説をお願いします。

潮崎 うーん、決して甘いボールではないですね。初球の空振りを見て余計に慢心したのかもしれないです。そして2球目、池山さんに上手に(ヤマを)張られていますね。(配球を)読んだ上で、内角のボールを思い切りアウトステップしています。こうすることでインコースのボールを真ん中辺りにしてスイングしている。コース的には決して甘いボールではないけど、本来ならばもっとボール気味に投げなければいけなかった。やっぱり慢心が招いた一発だと思います。

結果に一喜一憂していたらリリーフ投手は務まらない

――ライオンズ・森監督はこの場面について、「潮崎を引っ張りすぎてしまった」と振り返ると同時に、「そもそもこの日は潮崎を休ませたかった」と言っていました。6点のビハインドにもかかわらず、接戦に持ち込んだことで勝ちを意識しすぎてしまったこと。そして、本拠地での胴上げを意識してしまったことを反省していました。

潮崎 なるほど、それは今初めて聞きました。この時は特に森さんには何も言われませんでした。まぁ、「もっとボール球にすべきだった」とか、「一球、シンカーを挟んでからあのボールを投げるべきだった」ということは、本人が一番わかっていることですからね。

――この試合はスワローズが勝利して、対戦成績はライオンズの3勝2敗となりました。そして、続く第6戦。この日も潮崎さんは登板して、今度は延長10回裏、秦真司選手にサヨナラホームランを喫しています。

潮崎 この場面もよく覚えています(笑)。秦さんへの投球は、先ほどの池山さんの場面とは違って、自分が勝負に行けなかったのが理由ですね。「打てるものなら打ってみろ!」と自信を持って投げたボールではなく、「とりあえずストライクを取らないと」という感じで投げたスライダーでした。秦さんのホームランに関しては反省のしようがないほど不用意な一球でした。ただ、秦さんのときだけ、全然思うところに投げられなかったんです。

――それは何か理由があるんですか?

潮崎 (鳴門高校の)先輩だから(笑)。……それは冗談で、理由はわからないけど、秦さんに対しては思い通りのボールが投げられなくて。打たれたボールは置きにいったスライダーだったので、全然曲がらないし、フリーバッティングのピッチャーがヒョロヒョロ投げたようなボールになってしまいました。

――秦さんは、「カウントがワンスリー(スリーボール・ワンストライク)となったので、内角へのスライダーを待っていた」と話しています。

潮崎 そうですか。相手に読まれるカウントにした時点で、僕の負けでした。

――2日続けての敗戦投手となり、対戦成績も3勝3敗と逆王手をかけられました。このときの心境はどんなものだったのですか?

潮崎 僕の場合は、常に勝ち負けのつくところで投げているわけだから、それに関しては別に何とも思わなかったですね。

(後編に続く)