ランナーにとって腹痛は悩みの種だ。いつ起こるかわからないなか、不安を持ちながら走ることは心理的な負担となり、発症すると勝負はもちろん、タイムへの影響は非常に大きい。 正直なところ、キリキリと脇腹を襲う差し込み痛のメカニズムは十分に解明…
ランナーにとって腹痛は悩みの種だ。いつ起こるかわからないなか、不安を持ちながら走ることは心理的な負担となり、発症すると勝負はもちろん、タイムへの影響は非常に大きい。
正直なところ、キリキリと脇腹を襲う差し込み痛のメカニズムは十分に解明されていないのが現状だ。個人によって発症するタイミングも症状もそれぞれ異なる。メディカルチェックを受けてもどこも悪いところがないのに、なぜかレース中に起きてしまうことがある。
もちろん、薬を飲用したり、水分を摂取したり、ストレッチをしたり……それぞれ対策を講じてきているが、確証されているものはない。
腹部の筋膜をほぐすことで鎮痛効果があると中本亮二氏(写真中央)は言う
中本亮二(白金台整体院)は、国立スポーツ科学センターアスリートリハビリテーションに勤務していた時、ランナーから腹痛についての相談をよく受けていた。個人的に研究論文を読み、ドクターと相談しながら「どうしたらランニング中に起こる腹痛を防げるのか」をテーマに、6年ぐらい前から本格的に調査、研究を始めた。
その過程で4年前に知人の紹介で受講したのが、イタリアにあるFascial Manipulation Institute(筋膜マニピュレーション研究所)の国際コースだった。このコースは主に筋膜をターゲットにした手技治療をいかに効率的に展開していくかについてレクチャーしていた。コースの後半では、その筋膜を治療することで、筋や関節の痛みだけでなく内臓の機能障害に対しても効果的な方法が紹介された。
中本は長距離ランナーに対するトレーナー、フィジオセラピスト(理学療法士)としての経験に、コースで学んだことを掛け合わせて「ランナーの内部機能障害に対するアプローチ」を独自に考えた。
重要な着眼点は、“筋膜”だ。
筋膜とは、簡単に言うと筋肉を包み込んでいる膜のことである。それは腱にもつながり、骨を包む骨膜とも連結している。
筋膜については、近年、研究が盛んになり、単に筋肉を包む膜ではなく、内臓を含めた全身に連結している組織で”ファッシャ(fascia)”と呼ばれている。
内臓に連結している筋膜のひとつに、腹部内部にある筋膜がある。腹膜は二重構造で胃や腸を包み支えている。内側は臓側腹膜、外側は壁側腹膜と呼ばれている。臓器に接する臓側腹膜には痛覚受容器はないが、壁側腹膜にはあるという。要するに、痛みを生じるということだ。
ランニング中の腹痛はさまざまな原因が考えられるが、なにかしらの悪影響により、壁側腹膜が緊張状態になることで腹痛が発症するのではないかと言われている。
では、その緊張をなくし、悪影響を断ち切るためにどうすべきなのか。中本は言う。
「壁側腹膜に緊張が生じるのは、食事内容や内部臓器の疲労や機能不全、外傷、手術、オーバーユース(体を酷使すること)によって、体のいたるところにある筋膜が高密度化(硬化)するからです。
硬化している部位をほぐし、柔らかくすることで2つの好影響が期待できます。1つは筋膜に存在するセンサー(固有受容器)の機能が正常化され、体性感覚による脳への感覚入力がより正確な情報となり、いざ体を動かす時に筋の働きがスムーズ化され、脳がコントロールしている自律神経の働きも活性化されます。
もう1つは、内臓に連結している筋膜のラインが緩むことで、胃や腸を支えている壁側腹膜の緊張も緩和されることです。この効果により、ランニング中の腹痛が解消されるものだと思います。そして、その状態をつくってから姿勢を矯正するエクササイズを行なうと効果が持続されやすくなり、非常に効果的です」
では、具体的にどのような施術を行なうのだろうか。腹痛予防だが、施術するところは腹部だけではない。腹部に加え、胸部、頸部前面、下肢前面、下肢後面、頭部と背部、腰部と臀部などがある。腹痛なのになぜ胸部や頸部なども必要なのかと言うと、身体各部の筋膜は階層をまたいで、前述した壁側腹膜へ直接的に連結しているからである。
まず腹部付近の施術法だが、へそ周辺、剣状突起(胸骨の下端に突出する突起)からへその中間、へその横、へその下を触診し、硬くなっている部分を探し、指先などで表面を軽く揉みほぐす。表面を軽く揉んでいるだけなのに、施術を受けている人は痛みを訴える。柔らかくなると痛みはなくなり、また次の部位を同じように施術していく。
今年、白金台整体院をオープンした中本亮二氏
「ランニング中に起こる腹痛に対して、腹部の筋膜をほぐすと、もちろん鎮痛効果はあります。ただ、腹痛が起こる人は胸や手足が硬い人が多く、そのため全身をやる必要があるんです」
また、施術は軽い炎症反応をあえて出すことが重要になる。硬くなった筋膜に摩擦と熱による刺激で軽い炎症を起こすことで、筋膜上に必要以上に分子レベルでくっついていたヒアルロン酸分子の結合が外れ、結果として筋膜上でのすべりが改善する。そのため施術後は、炎症を抑えるアイシングや湿布などはしない。
こうした施術によって、実際に症状が改善、あるいは痛みが消えた選手がいる。個人の詳細な説明はできないが、19歳の大学生のエリート長距離ランナーは、追い込んだ練習中、みぞおちから右脇腹にかけて差し込み痛が1カ月以上続き、マッサージや鍼治療を施したが改善しなかった。そこで筋膜治療を2回(1週間に1回)実施すると、練習時の症状がほぼなくなったという。
また地区大会の組1位レベルの中学生長距離ランナーは、練習後しばらくすると差し込み痛が起こったため、練習強度を落としたり、中止したり、そういう期間が半年間続き、思うような練習ができなくなっていた。そこで筋膜治療を行なうと、2週間後はまだ差し込み痛が若干残っていたが、1カ月後の練習で症状は消え、2カ月後のレースでは1500mで自己ベストを更新した。
このように中本の施術によって腹痛を解消したランナーもいる。対症療法ではないので、中本曰く「何回も繰り返してやらなくてもいいし、持続性がある」というところも大きい。
これまで多くのランナーが苦しみ、悩まされてきたランニング時の腹痛。まだ謎は多く、すべて解明されたわけではないが、いい方向に進んでいるのは間違いない。中本は言う。
「今まで施術してきたなかで、まったく症状が治まらなかった選手はいません」
腹痛予防のアプローチのひとつとして試してみる価値は大いにあるだろう。