平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 【2000年1月 サッカー天皇杯決勝】 歓喜、驚愕、落胆、失意、…

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2000年1月 サッカー天皇杯決勝】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動......。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。数多くの勝負、戦いを見てきたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

 2000年1月1日の第79回天皇杯決勝は、当時"2強"と言われた鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田を倒して勝ち進んできた名古屋グランパスと、カップ戦に強さを見せるサンフレッチェ広島の対決となった。

 試合は、タレントを揃えた名古屋の中盤を、広島が素早いチェックで機能させず、一進一退のまま前半を終えた。

 後半に入ると、広島は、名古屋の攻撃の中心であるドラガン・ストイコビッチを、前半以上に激しくチェックし、自由にさせないようにする。しかし後半11分、右サイドからストイコビッチが放った絶妙なクロスを、呂比須ワグナーがダイビングヘッドで合わせ、名古屋が先制する。

 この1点で、流れは名古屋に大きく傾いた。そして、試合を決めたのはやはりストイコビッチだった。



2000年1月1日、天皇杯で名古屋グランパスを優勝に導き、MVPも獲得したドラガン・ストイコビッチ

 後半37分、広島が名古屋ゴール前にロングスローを放り込むと、ボールを拾った呂比須ワグナーがドリブルで敵陣へ。タリック・ウリダ、トーレスと渡ったボールは、最後は左サイドでフリーのストイコビッチの足もとに収まった。

 すると、ストイコビッチの最初のシュートフェイントに広島のGK下田崇が引っ掛かり、横に飛んで倒れる。ストイコビッチが左から中央にドリブルで持ち込むと、次のフェイントに古賀聡が尻もちをついた。そして最後は、上村健一のスライディングをフェイントでかわすと、中央からシュートを決めた。広島の守備陣を翻弄し、あざ笑うかのようなスーパーゴールだった。

 このシーズン、名古屋はベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)から呂比須、消滅した横浜フリューゲルスから山口素弘、楢崎正剛を獲得。大岩剛、望月重良、平野孝ら代表クラスの選手も健在で、Jリーグでも優勝候補に挙げられていた。しかし、開幕から下位に低迷し、シーズン中に監督をふたりも代えるなど、迷走していた。最後の最後で力を発揮して、2度目の天皇杯を獲得したというわけだ。

 名古屋といえば、Jリーグ創設当時から、潤沢な資金力を誇り、いずれ黄金時代を作るのではないかと思われていた。アーセン・ベンゲル元監督のもと、ストイコビッチを中心に魅力的なサッカーを披露した時期もあった。しかし、Jリーグ初優勝は、ストイコビッチが監督に就任して3年目の2010年まで待たなければならなかった。

 その後も成績は低迷を続け、2016年にはリーグ16位に沈み、J2降格を味わっている。補強の失敗だけではなく、監督の選び方にも疑問を感じることもあった。結局、オリジナル10のなかでも、結果という点では鹿島、浦和レッズといったクラブに大きく水をあけられてしまった。

 そんなチームの歴史で、7年間所属したストイコビッチは文字どおり"名古屋の顔"としてプレーしてきた。名古屋のサポーターだけではなく、ほかのチームのサポーターもそのプレーに酔いしれた。

 この天皇杯のゴールだけではない。1994年、NICOSシリーズのジェフ市原(現千葉)戦では、大雨でピッチのあちらこちらに水たまりができ、ボールが走らないなか、リフティングでボールを運ぶ妙技を見せた。

 また、監督としてチームを率いていた2009年の横浜F・マリノス戦では、相手GKのクリアしたボールを、革靴、スーツ姿のストイコビッチがダイレクトで蹴り返し、ボールは見事に横浜FMのゴールに吸い込まれていった。これは「判定への異議」「非紳士的行為」とみなされ退席処分になったが、スタンドが大きく沸いたのは言うまでもない。

 Jリーグにはかつて、鹿島のジーコ、ジョルジーニョ、レオナルド、市原のピエール・リトバルスキー、磐田のドゥンガ、ガンバ大阪のパトリック・エムボマなど、数多くの外国人スター選手がプレーしていた。どのスタジアムに行っても、世界のスーパースターを見ることができる。それが当たり前という時代があった。

 そんな選手たちと比べても、ストイコビッチは際立っていた。歴代外国人選手の中で、記憶に残る最高のプレイヤーだった。今でも、名古屋グランパスといえば、真っ先に名前が挙がるのは"ピクシー"の愛称で親しまれたストイコビッチだろう。

 ストイコビッチが現役を引退した2001年7月以降も、Jリーグには数多くの外国人選手がやってきた。しかし、それ以前に比べて小粒になったのは事実。日本経済の低迷もあり、大金をはたいて大物外国人を獲得するのは、あまりにもリスキーだという考え方が主流になっていった。

 昨季、フェルナンド・トーレスがサガン鳥栖に、アンドレス・イニエスタがヴィッセル神戸に加入するまでの17年間、本当の意味での世界的スーパースターがJリーグの舞台に立つことはなかった。

 ドラガン・ストイコビッチ。平成の一時代を"妖精"のようなプレーで、ファンを魅了していった。