世界2位の快挙から20年......今だから語る「黄金世代」の実態第3回:辻本茂輝(前編)20年前のワールドユースについて振り返る辻本茂輝 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会、U-20日本代表はグループリーグ初戦で…

世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第3回:辻本茂輝(前編)



20年前のワールドユースについて振り返る辻本茂輝

 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会、U-20日本代表はグループリーグ初戦でカメルーンと対戦した。

 日本はFW高原直泰のゴールで先制。守備陣は体を張ってゴールを許さず、U-20の「不屈のライオン」を相手に互角以上の戦いを見せていた。

 しかし、どんな試合でも一瞬の気の緩みが失点につながる。後半27分、DFラインの裏に出された縦パスの処理をDF手島和希とGK南雄太との連係でミスすると、相手にボールを奪われて同点ゴールを与えてしまった。

 そこから、流れが変わった。

 カメルーンは試合をひっくり返そうと攻勢を強めた。そして、試合は90分を経過してロスタイム(現在のアディショナルタイム)に突入した頃、日本のゴール前にサイドからクロスが上がった。DF辻本茂輝は、そのボールの軌道から落下点を読んで頭で跳ね返そうとした。

 その刹那、辻本は背後から大きな衝撃を受けた。すると、ボールがゴールに突き刺さっていた。

「大事な初戦、ロスタイムにやられて負けたんでね。しかも、自分の上からズドーンとやられた。そりゃ、DFとしてめっちゃへこみますよ」

 当時を思い出して、辻本は苦い表情を見せた。

 カメルーン戦を前にして、辻本は手島、中田浩二と組む"フラット3"に確かな手応えを得ることができていなかった。それは、無理もない話である。

"フラット3"は、チームを指揮するフィリップ・トルシエ監督が志向する独自の戦術であり、日本人には馴染みのないスタイルである。しかも中田は、大会直前のフランス合宿から"フラット3"を実践する最終ラインに入ったばかり。一緒に練習したのは、本番のカメルーン戦までの2週間程度しかなかったのだ。

「(3人で)一緒にやる時間が足りなかった。だから大会に入る前は、どこが相手でも『やられへん』といった、そこまでの自信はなかった。(カメルーン戦では)初戦のプレッシャーもあったし、アフリカのチームとはそれ以前にやったことがあって、長い足が伸びてくるし、スピードもフィジカルもすごかったから、"フラット3"も含めて、いろいろな意味で『どうなるんかなぁ......』という不安がありました」

 その不安がカメルーン戦では的中した。そして、国際大会では失ってはいけない大事な初戦を落としたのである。

 遡(さかのぼ)れば、辻本はワールドユースへの出場権をかけたアジア予選の際は、1次予選、最終予選ともに代表メンバーから外れていた。しかし、A代表と兼任でトルシエ監督がU-20代表も指揮することになると、本番2カ月前のフランス&ブルキナファソ遠征からメンバーに招集され、代表入りを決めた。

「(海外遠征には)ここが『最後のチャンスや』と思ったし、『絶対に生き残る』という気持ちで臨んだ。ただ、自分は他の選手と比べて、止める、蹴るといった基本的な技術が劣っていたんです。とくに(小野)伸二を見て、その違いを余計に感じていた。

『じゃあ、自分はどこで勝負すんねん』って、ずっと考えていました。結局、自分のストロングポイントである空中戦や対人での強さで勝負していくしかないな、と思いました」

 辻本は小学生の時までは、大きな体を生かしてGKとしてプレーし、中学生になって、フィールドプレーヤーに転向した。DFとなって、どういうわけか、毎日ヘディングの練習ばかりやらされていたという。それが、その後の空中戦の強さにつながっていった。

 辻本が初めてチームに合流したとき、最終ラインは金古聖司が軸となって形成していたが、ブルキナファソ合宿の最後の練習試合で金古が負傷。本大会に向けては、急きょ手島と中田と"フラット3"を組んで臨むことになった。そのため、本番前の最後のテストマッチ、ASレッドスター93(現レッドスターFC)との試合では、ラインコントロールで3人の動きがズレるシーンが頻繁に見られ、試合中に3人で確認し合う場面が何度もあった。

 その後、辻本ら選手たちはワールドユースの開催地となるナイジェリアにそのまま入ったが、A代表の国際親善マッチ、ブラジル戦を控えていたトルシエ監督は一時帰国。大会を目前にして、一度チームを離れた。その間、大会が開幕するまでの練習では、山本昌邦コーチがチームを指導。その際、"フラット3"について、噛み砕いて説明してくれたという。

「ラインを上げるとき、相手をどういう位置に置いたらいいのかとか、微妙なラインコントロールについては、山本さんに教えてもらいました。トルシエ監督の説明だけではわからない、細かいところまで話をしてもらったので、だいぶ頭の中は整理されたけど、それでもまだ体がついていかない感じやった」

 反復練習を繰り返し、そのなかで手島、中田とも話し合って、それぞれの役割を明確にしていった。

「テッシー(手島)は無口だけど、『(自分の)後ろに必ずいてくれるやろ』と信頼していた。浩二くんはうまいから、そのまま任せて『俺のカバーだけ頼む』と言っていた。とにかく自分は、前に出て人に当たるという、自分のよさを出すことだけ考えて、あとはラインコントロールだけミスらないように考えてプレーした」 

 短期間で3人が呼吸を合わせてラインを上下できるようになるのは、決して簡単なことではない。ナイジェリア入りする前の合宿でも、トルシエ監督が自らボールを持ってラインを上下させる反復練習を行なっていたが、実戦となれば、相手との駆け引きがある。また、アフリカの選手たちが圧倒的なスピードとフィジカルを全面に押し出してくるようだと、高いラインを維持するのはかなり難しくなる。

 実際、カメルーン戦では何度か裏を取られて、危険なシーンが再三あった。そして、試合は2失点して負けた。

 だが、手応えがなかった、というわけではなかった。辻本が言う。

「ミスは修正できる範囲のものやったし、ラインコントロールは大会前の試合(ASレッドスター93戦)よりもスムーズにやれた。試合を重ねていけば、『もっとよくなるやろ』と思ったし、その自信もあった。

 でも、ほんまにすごかったのは(日本の)攻撃ですよ。伸二を含めて、中盤よりも前の選手があまりにも強力で、僕らは前の選手に(ボールを)預けておくだけで、『あとはがんばってください』という感じやった。後ろから見ていて、絶対に点を取ってくれるという信頼感があった。試合は負けたけど、『ここからイケるやろ』って、そう強く思いましたね」

 辻本の信頼どおり、グループリーグ2戦目のアメリカ戦では、日本の攻撃陣が躍動。3-1で快勝した。

 守備陣もラインを高く維持し、前からプレスをかけられるようになった。だいぶ形になってきていたが、トルシエ監督は大会中も練習でラインの上下動を繰り返すなど、"フラット3"をすり込むことを継続していた。


(写真左から)中田浩二、手島和希、辻本茂輝が

「フラット3」を担った。photo by Yanagawa Go

 グループリーグ第3戦のイングランド戦ではそれが功を奏したのか、2-0と勝利。初めて相手を完封することができた。

「イングランドに2-0で勝ったのは大きかった。ラインの上下に関しては、テッシーの声に自然と反応してできるようになったし、相手に攻められたときの連係もよかった。自分が人にアプローチしていくと、テッシーが背後をカバーしてくれた。

 そして、失点ゼロに抑えた。これは、お互いを信じ切るまで、トルシエ監督に3バックの動きを徹底的に叩き込まれたおかげですね。この試合で3人の信頼関係が築けたというか、"フラット3"への自信を深めることができたと思います」

 グループリーグを2勝1敗で首位通過を果たした日本。決勝トーナメント1回戦の相手はポルトガルだった。

 後半27分に相手GKが負傷退場。すでに交代枠を使い切っていたポルトガルはフィールドプレーヤーがGKとなり、ひとり少ない10人で戦うことになった。

 遠藤保仁のゴールで1-0とリードしていた日本だったが、そこからポルトガルの底力を思い知らされることになる。後半35分に同点ゴールを奪われると、完全に流れはポルトガルへと傾いた。

「(ポルトガル戦は)しんどかったですね。16時からの試合だったんですけど、暑くて、キツくて、前半からもうバテていました。プレーが途切れるたび、浴びるように水を飲んでいたし、味方が倒されたら『頼む、そのまま寝ていてくれ』って思っていた(苦笑)。

 後半の終わりなんて、もはや声すら出んようになっていた。相手が強かったのもあるけど、半分ぐらいは自分たちの"ガス欠"。それが、苦戦した要因ちゃうかなって思う。そのくらいポルトガル戦は体力的にキツかった。それでも、負ける気はせんかったけどね」

 体力的に厳しいなか、日本はリスクを負わず、無理せずに戦った。相手は"素人GK"ゆえ、PK戦になれば「勝てる」という読みがあったのだ。

 その狙いどおり、日本は必死に食い下がるポルトガルをPK戦の末に下した。

「この勝利は大きかった。決勝トーナメントの最初の試合を苦しみながらも勝てたので、チームに勢いがついた。個人的には体力的に厳しいなかでも、根性を出して戦うことができたので、『(自分も)やれるやん』って自信がつきました」

 続く準々決勝のメキシコ戦は、2-0と完封。辻本曰く「一番よかった」という試合になった。チームは波に乗り、辻本は「もう負ける気がせん」と思っていたという。

「前線の伸二、タカ(高原)、本山(雅志)らの攻撃が本当にすごくて、いつもで点を取ってくれる雰囲気があるんですよ。そういう選手がいると、失点しても取り返してくれるという感じになるので、後ろの自分たちは気持ち的にも楽にプレーができる。(あのチームには)攻撃の選手と守備の選手の間に、お互いに助け合うというか、任せられる信頼関係ができていたと思いますね」

 日本はメキシコに勝って、過去ベスト8止まりだった世界大会で初めてその壁を破った。歴史を作ったチームは、さらに貪欲に頂上を目指していった。

(つづく)

辻本茂輝
つじもと・しげき/1979年6月23日生まれ。大阪府出身。2019年、FCティアモ枚方(関西社会人1部)の監督に就任。近大付高→横浜フリューゲルス→京都パープルサンガ→徳島ヴォルティス→佐川印刷SC(JFL)→FC大阪(大阪府社会人1部)