過去の対戦という『点』が結ぶ『線』により、初めて本質が描かれる試合がある。マイアミ・オープン3回戦の大坂なおみ対シェイ・スーウェイ(台湾)戦は、まさにそのような一戦だ。 両者の直接対決は、大坂の2勝0敗。初対戦は4年前で、しかも下部大会の…

 過去の対戦という『点』が結ぶ『線』により、初めて本質が描かれる試合がある。マイアミ・オープン3回戦の大坂なおみ対シェイ・スーウェイ(台湾)戦は、まさにそのような一戦だ。

 両者の直接対決は、大坂の2勝0敗。初対戦は4年前で、しかも下部大会の予選だった。



大坂なおみのマイアミ・オープンは3回戦で終わった

 そして2度目の対戦は、まだ両者の記憶にも新しい2カ月前の全豪オープン3回戦。ツアーきっての業師であるシェイが勝利まで5ポイントに迫るも、徳俵(とくだわら)に足のかかった大坂が大逆転劇を演じた、観る者の記憶にも残る名勝負である。

 大坂はこの試合を、「ベストのプレーができない時でも、勝つ道を見出せた」という点において、自身の成長の証(あかし)だと定義している。だからだろう、大坂は相手を「予測不能な難敵」と警戒しつつも、自信を抱いて3度目の対戦に臨んでいた。

 その自信はたしかに、大坂の武器となる。試合開始直後のゲームをブレークされるも、第7ゲームのブレークを機に5ゲーム連取で第1セットを奪い去った。相手の「予測不能」なプレーにも乱されることなく、ベースラインから打ち込む深いボールでラリー戦を支配する。第2セットも、最初のゲームを大坂がブレークした時、試合の行方は決まったという予感に、センターコートの空気はやや弛緩した。

 この時、大坂も心のどこかで、勝利へのシナリオを思い描いていたという。「自分のサービスゲームはキープできるだろう」との思いから、「リターンゲームで気が抜けたようなところがあった」とも振り返った。

 それはけっして、「相手を甘く見た訳ではない」。ただ「自分を過大評価していた」と言い、それは、「自分の未熟さが招いた」失敗だったと顧みた。

 大坂曰く「心が先走った」そのツケは、勝利まで2ポイントに迫った局面で彼女を苛(さいな)む。ここでおかしたダブルフォルトを機に、大坂は4ポイントを連続で失い、くわえた獲物を取り落としてしまった。

「あの時は、試合は終わったとも、だからといって逆転できるとも考えなかった」

 6−4、6−7、3−6の逆転で勝利したシェイは試合後、剣ヶ峰まで追い詰められた場面を、満面の笑みとともに振り返る。

「サービスエースを決められない限り、すべてのボールを打ち返すことだけを考えていた」と言うシェイは、大坂がダブルフォルトしたことすら覚えていないほどに、その瞬間のみに生きていた。

 そのシェイの姿勢は、以降も彼女に味方する。最終的に第2セットは、タイブレークの末にシェイの手に。それはまるで全豪での対戦を、演者を入れ替え再現しているかのようだった。

 2カ月前の全豪での対戦時に、大坂には心に刻んだ、ひとつの教訓がある。それは、相手に合わせるのではなく、自分のプレーをすべきだということ。あの試合での大坂は、「練習ですら打ったことがない」という中ロブを多用し、「ポイントを無駄にした」との悔いを抱いた。だからこそ今回の対戦では、「ポイントを取れるかどうかは、自分次第だと思っていた」と言う。

 だが、過去の教訓から得たその強い決意が、彼女の視界をやや不鮮明にしていたようだ。

「それは思い違いだった。彼女には、狙った時にウイナーを取る力があった」

 とりわけ大坂を悩ませたのが、クロスを打つ時と同じフォームで、ストレートに打ち込まれる鋭利なショット。

「クロスに来ると確信していたボールが、ダウンザライン(ストレート)に来ることが何度もあった」

 攻撃的なシェイのプレーが、大坂を戸惑わせた。

 シェイにこのようなテニスをさせていたのは、やはり全豪で得た教訓にあった。

「相手が何をするかではなく、自分には何ができるか、自分のベストショットは何かを考え、ゲームプランに集中した」とシェイは言う。

 さらにはもうひとつ、前回の敗戦後にシェイが口にした悔恨に、「考えすぎてしまった」「勝利を意識してしまった」がある。だから今回の対戦での彼女は、「目の前のポイントのみに集中すること」を心がけた。

 対する大坂は試合後に、幾度も「気持ちが先走った」と繰り返す。鮮明な対比を描く両者の心理は、そのまま勝者と敗者を分ける主因となった。

 前回の対戦と似た展開ながら、今回は敗者として会見室の席に座る大坂は、落胆の色を見せながらも、敗戦の事実と真摯に向き合い言葉をつむいだ。

「前回の対戦での私は、大ピンチから逆転した。だから自分には、それだけの力があると思っていた」

 そして、彼女は続ける。

「私は、前回の対戦から多くを学んだ。ただ忘れていたのは、相手も多くを学んでいたということ。プレーをしているのは、自分だけではない。自分以外のところでも、あらゆることが起きていることを失念していた」

 この大坂の言葉には、主観から客観、虫の目から鳥の目のような、世界をとらえる視座と認識の広がりが込められている。

 悔しい敗戦であることは、間違いない。だがそれは、得るものの多い、かけがえのない教本でもあったはずだ。