アメリカ・ワシントンDCで開催された「シティ・オープン(ATP500/7月18~24日/賞金総額162万9475ドル/ハードコート)の男子シングルス決勝で、第2シードのガエル・モンフィス(フランス)が第13シードのイボ・カルロビッチ(ク…

 アメリカ・ワシントンDCで開催された「シティ・オープン(ATP500/7月18~24日/賞金総額162万9475ドル/ハードコート)の男子シングルス決勝で、第2シードのガエル・モンフィス(フランス)が第13シードのイボ・カルロビッチ(クロアチア)を5-7 7-6(6) 6-4の激闘の末に倒し、2年半ぶり6度目のATP大会優勝を遂げた。

 モンフィスは第2セットでマッチポイントを1度しのぎ、第2セット終盤から第3セット序盤にかけてのカルロビッチの4度のサービスゲームのうち、2度ブレークに成功した。

 29歳のモンフィスは37歳のカルロビッチがATP大会で2週連続優勝した1973年以来の最年長選手となることを阻んだ。身長211cmのカルロビッチのビッグサービスに対して、モンフィスは辛うじて“無効化”させる方法を見つけ出し、それをやってのけた。

 カルロビッチはサービスをキープすれば優勝、というところまでこぎつけた第2セットの5-4まで、この大会で53度のサービスゲームのすべてをキープしていた。

 しかしモンフィスはそこでブレークを果たした。カルロビッチのフォアボレーがアウトとなった瞬間、この試合7度目のブレークポイントをものにしたのだ。

  カルロビッチはもつれ込んだタイブレークで6-5とリードし、勝利まであと1ポイントと迫った。しかしモンフィスの時速187kmのサービスに対し、彼はバックハンドのリターンをアウトしてしまう。その数ポイント後にモンフィスがセットをものにし、それから第3セットでふたたびブレークに成功して2-1とリードを奪った。

 そして、ほどなくしてモンフィスはニューポートでの優勝を含むカルロビッチの8連勝に終止符を打ったのである。

 表彰式の際、モンフィスは「この優勝は僕にとって大きな喜びだ。初めてここに来たとき、優勝者の中にアーサー・アッシュ(アメリカ)やヤニック・ノア(フランス)などの偉人たちの名前を見た。そして彼らの横に自分の名前を刻みたいと言ったんだ。彼らは僕にとって大きなインスピレーションの源だった」という言葉で感慨を表現した。

 ケン・ローズウォール(オーストラリア)が39歳の誕生日まであと1ヵ月というときに2週連続で優勝した43年前の1973年以来、カルロビッチより年長の選手が2つのATP大会に続けて優勝したことはなかった。しかしその偉業の代わりに決勝での稀な勝利を自分にプレゼントしたのは、モンフィスのほうだったのである。

 モンフィスはキャリアを通して24度決勝に進出しながら、そのうちの19回で負けていた。ここ最近の9度の決勝に目を向ければ、そのうち8度で負けているのだ。優勝は2014年2月のモンペリエ以来で、意外なことにモンフィスのATP500のタイトルは今回が初めてとなる。彼は34万8200ドルの賞金を手にし、彼のキャリアでもっとも重要な優勝を手にした。

 カルロビッチのサービスはグラスコートやハードコートのようなスピードが生きるサーフェスでは、それだけで試合の支配権を握り得る武器だ。38度近かった日曜日の高い気温の中では、彼のサービスの高いバウンドに対処しなければならないため、状況はモンフィスにとってより難しかったはずだ。

 そこで、モンフィスはありとあらゆることを試した。

 序盤のモンフィスはリターンの際に非常に下がった位置にポジションをとっていたが、カルロビッチがサービスを打った最初の19ポイントのうち18ポイントを落としたことから見ても、それは功を奏していなかった(そして例外だった1ポイントはカルロビッチのダブルフォールトだった)。

 モンフィスは時折、サービスを待っているときにベースラインの後ろで前に出たり下がったりとポジションを変えていた。そして試合が進むにつれ、彼はそのポジションをベースラインに近い位置にとるようになり、その作戦が助けとなったようだ。(C)AP(テニスマガジン)