それは、無表情……あるいは無感情にすら見える佇(たたず)まいだった。 マイアミ・オープン2回戦、第1セットをヤニナ・ウィックマイヤー(ベルギー)に1ゲームも与えず、わずか22分で奪ったものの、第2セットは一進一退の攻防の末にタイブレークで…

 それは、無表情……あるいは無感情にすら見える佇(たたず)まいだった。

 マイアミ・オープン2回戦、第1セットをヤニナ・ウィックマイヤー(ベルギー)に1ゲームも与えず、わずか22分で奪ったものの、第2セットは一進一退の攻防の末にタイブレークで失う。

 そうしてもつれ込んだ、ファイナルセット--。大坂なおみは第1ゲームで相手にポイントで先行されるも、その度に淡々とサーブを打つべくベースラインに向かうと、4本のエースを決めてキープする。さらに続くゲームでは、長い打ち合いにもじれることなく、相手のミスも誘いながらブレークを奪い、勝利に大きく前進した。



「心のスイッチ」を切り替えて勝利を掴んだ大坂なおみ

 ただ、その時にしても、彼女に興奮の色はない。喜びをも禁じ、心の振れ幅を最小限にとどめることで、彼女はネガティブな感情を封じ込めているようだった。 

 大坂が第3セットでこのような”無感情モード”を自身に強いた訳は、第2セットで覚えた悔いにある。

 このセットでの大坂は、第2ゲームで6度のデュースの末にゲームをキープした時、あるいは第5ゲームをやはり6度のデュースを重ねてブレークした時、いずれも「カモーン!」と大きな声を上げた。だが、いずれも直後のゲームを簡単に落とすと、徐々に負の感情に覆われていく。

「ラケットを投げたり、フラストレーションを溜めたり……コーチから言われていたことと正反対のことをしてしまったわ」

 試合後の彼女は、決まりが悪そうな笑みをこぼす。

 だから第2セットの後、彼女は「深く息を吸い、頭の中を整理した」。そうして、2度のグランドスラムタイトルを懐(ふところ)にする世界1位は、感情のスイッチを切った。

 大坂がこの”無感情モード”に入るのは、今回が初めてではない。最近で印象に残っているのは、なんと言っても全豪オープン決勝の最終セットだ。

 この時も、第2セットでマッチポイントを握りながら落とした大坂は、第3セットでは本人曰く「心を空にし、ロボットのように淡々と司令を遂行」した。それには「無駄な感情の消費を避ける」効果があり、彼女が「ずっと取り組んできたこと」だという。同時に、常にポジティブな姿勢を維持し、自らを鼓舞し続けることも、彼女がここ数年留意してきたことだった。

 今回のマイアミ・オープン2回戦に話を戻せば、第1セットは闘志の発露がプラスに働いた。そして第2セットは、高ぶる感情が負に振れた。だからファイナルセットでは、彼女は意識的に「心のスイッチ」を切り替えた。

 冷静と情熱を両端に乗せ、最適な精神状態を求め揺れる心の天秤は、第3セットの中盤でピタリと均衡点を見つけたようだ。

 ゲームカウント3−1とリードした第5ゲームでは、相手のスーパーショットでブレークポイントを奪われるも、大坂は取り乱さない。続くポイントを時速111マイル(約178km/h)のエースであっさり取り返すと、試合の主導権をも完全に手中に収める。このゲームをキープし、続くゲームをブレークした大坂は、最終ゲームは相手に1ポイントも与えず勝利へと走り切った。

 試合から約1時間後。まだ”無感情モード”の余韻が抜けぬ風情の大坂は、第3セットの精神状態を淡々と次のように述懐する。

「感情を閉じた時は、『カモン』などは言わなくなる。貝のように殻にこもり、次のポイントのことのみを考えるようになる。だから、ポイントを取った時にも喜ばず、落とした時にも感情を見せず、とにかく先に進もうとしていた。もちろん、いいポイントを取った時には『カモン』と言うこともあるけれど、あまりに喜んで跳ねたりすると、気持ちが高ぶりすぎちゃうから」

 試合後の本人の表情からしても、彼女が自分のパフォーマンスに満足していないのは明らかだ。

「ホームのマイアミで勝ちたい」という情熱、「先のインディアンウェルズで得られなかったタイトルを、ここで掴みたい」という渇望に、自身に寄せる期待--それら種々の感情が綯(な)い交ぜになり、「ナーバスになった」ことを彼女は認めた。

 それでも彼女は、自身の感情を半ば強制的に制御し、勝利へとつなげる術を、畳みかけるように積み重ねた濃密な経験から体得した。

 その苦境を切り抜けた先で大坂が対戦するのは、全豪オープン3回戦で対戦し、敗戦まで5ポイントまでに追い詰められた謝淑薇(シェイ・スーウェイ/台湾)。トリッキーなショットを繰り出す曲者の業師は、大坂が体得しつつある感情制御術を測るうえで、格好の試金石となる。