前に踏み込みながらボールの跳ね際を叩き、なおかつ正確に制御したバックハンドのストロークが、いきなり大坂なおみのゲームをブレークした。 ベリンダ・ベンチッチ(スイス)。 BNPパリバ・オープン4回戦で大坂が対戦した選手の名は、彼女がテニ…

 前に踏み込みながらボールの跳ね際を叩き、なおかつ正確に制御したバックハンドのストロークが、いきなり大坂なおみのゲームをブレークした。

 ベリンダ・ベンチッチ(スイス)。

 BNPパリバ・オープン4回戦で大坂が対戦した選手の名は、彼女がテニス界の表舞台に躍り出るよりはるか前から、「次期女王の最右翼」としてテニス界に流布していた。



4回戦での敗退が決まり、天を仰ぐ大坂なおみ

 大坂と同じ1997年生まれで、3月10日にひと足早く誕生日を迎えた22歳。幼少期から元世界1位のマルチナ・ヒンギス(スイス)母子の薫陶を受け、同国の偉大なる先輩同様に「天才少女」と呼ばれた。

 16歳にしてジュニアタイトルを総ナメにすると、早々にプロツアーに軸足を移して目覚ましい活躍を見せる。ツアー優勝やトップ10入りを果たしたのは、18歳の時だった。

 その早熟な同期は大坂に、希望と感傷の両方を与えてくれる存在だったという。

「彼女がツアー優勝したり、トップ10入りした時は、私もがんばらなくてはと思った」と、大坂は約3年前の日を振り返る。だが、同期から受ける刺激は、「自分は置いていかれている」という焦燥も彼女の胸に産み落とした。

「あの頃は、彼女の活躍に勇気づけられると同時に、少し寂しくも感じた。自分は、やれることを十分にできていないんじゃないかって……」

 当時に感じた心のうずきは、今でもよく覚えている。その葛藤のなかで現女王が学んだのは、「人によって成長の早さは違う。誰もが異なる道を歩んでいく」という真理だった。

 現に、大坂がランキングを急上昇させ始めた頃から、ベンチッチは回り道に足を取られる。度重なるケガのため、2017年の序盤にランキングは100位圏外へ。その後は手首にメスを入れ、復帰しては長短期の戦線離脱を繰り返した。

 その彼女が、ついに上げた完全復活への狼煙が、3週間前のドバイ選手権での優勝である。

 ベンチッチがそのような紆余曲折の日々を送る間に、大坂は2度グランドスラムを制し、世界1位にも座した。

 自分の背を追い抜き、頂点へと駆け上がる同期の姿を、ベンチッチは「祝福する気持ちで追っていた」と言う。その大坂を追うかつての天才少女の目に、いざ自分が対峙した時、どのようにプレーすべきかの分析が組み込まれていたのは間違いないだろう。

 ツアーレベルでは初となる今回の対戦で、ベンチッチは大坂のショットをことごとくライン際で捕らえると、クロスに、そしてストレートへと軽やかに打ち分けた。その姿勢とテクニックは、幼少期からヒンギスの母親に「コートに踏み込み、相手の時間を奪いなさい」と植えつけられたものだ。

 大坂もそのようなベンチッチのスタイルを、十分に熟知していたという。

 ただ、大坂にとってやや予想外だったのが、「ここまで彼女の打球がフラット(無回転)」だということ。低い球筋で、時に深く、時にサイドラインぎりぎりに刺さるショットが、大坂のリズムを崩していく。序盤はその鋭い打球に対抗し、「無理に攻めようとしすぎた」ためにミスがかさみ、二度のブレークを許した。

 ならばと「終盤のほうでは多くのボールを深く返し、球種も織り交ぜていこう」としたが、その展開も「予測されていたようだ」と、大坂は振り返る。

 手のうちや心理を読まれたうえで、相手に巧みにゲームをコントロールされた……。それが、試合を外部から見ていた者が覚える印象であり、そしてコートに立つ当事者も強く感じていたことだった。

 試合後の勝者は、「試合中にこうすれば勝てるというのが見えてきた」と、満足そうな笑みを浮かべる。この勝利で、2月以降は負け知らずの11連勝。しかもその間に、大坂を含む5人のトップ10選手から勝利を掴んだベンチッチは、「今は自分のテニスにとても自信がある」と断言した。

 対する大坂の表情には、どこか安堵したかのような、柔らかさがにじんでいた。

「いつもなら、このようなスコア(3−6、1−6)で負けたら落ち込むけれど、今はポジティブな気分でいられる。この状況下でベストを尽くしたし、後悔はないから」

 初めて背負った「前年優勝者」の肩書きに、自分の写真やサインを切望して練習コートを囲む多くのファン。そして世界1位として、誰からも標的とされる立場……。

 それら、あらゆる『初』に満ちた大会で得たふたつの勝利を、そして敗れた試合でも最後まで前向きに戦い抜いたことを、彼女は「とても貴重な経験」として受け止めていた。

 同時に彼女は、自身が今、身を置く状況も冷静に分析している。

「もはや、私は無名の存在ではない。誰もが私のプレーを動画で見て、分析できる状態にある」

 そしてその状況を、彼女は自分を成長させてくれる糧(かて)と捉えていた。

「私のプレースタイルは、相手に左右されるものではない。すべての質を上げていけば、どのショットでも打ち勝てるようになれるから」

 自分の先を歩む同期のエリートの存在は、かつて大きな気づきを大坂に与えてくれ、そして今、彼女が進むべき道をあらためて示してくれた。

 相手のプレーに関係なく、いかなるプレースタイルや戦術をも打破できる選手――。それが、無限の可能性に満ちた21歳の女王が目指す彼方だ。