『Sports Japan GATHER』のキャリアサポート契約を結んだ柔道100キロ超級の原沢久喜。2020年東京五輪で金メダル獲得を目指す中で、自身のキャリアの考え方にも変化が生じている。本連載では、2020年、その先に向けて、どのよ…
『Sports Japan GATHER』のキャリアサポート契約を結んだ柔道100キロ超級の原沢久喜。2020年東京五輪で金メダル獲得を目指す中で、自身のキャリアの考え方にも変化が生じている。本連載では、2020年、その先に向けて、どのような想いを抱きながら柔道人生を歩んでいくのか。サポートしてく傍ら、その“想い”を発信していく。
取材・文/太田弘樹
『原沢物語』第2章は、2018年4月、日本中央競馬会(以下、JRA)を退社したところから始まったといっても過言ではない。
日本大学を卒業し、2015年4月にJRAに入社。2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場し、決勝でフランスのテディ・リネールに敗れはしたものの銀メダルを日本に持ち帰った。順調だと思えた柔道人生だったが、原沢は違う思いを抱くようになっていた。
「JRAに入社したきっかけは、柔道を辞めてからも人生は長く、その後の人生も大切だと思っていたからです。引退したあともしっかり職場に残り、働ける環境を求めて入りました。しかし、やはり転機となったのはリオ五輪。トップを目指すという気持ちが強くなっていく中で、将来が保証されている。もし成績が出なくてもクビになることはありません。そんな状況が自分の中で、モヤモヤして…本気で人生を懸けて、柔道に打ち込みたいと思うようになりました。今の環境を捨てて、退路を断つ『覚悟』を決めましたね」
‐全ての時間を柔道に使いたい‐
その想いを胸に、2018年5月からフリーへ転向。東京に引っ越し、練習も母校である日本大学に移した。JRAに所属していた時の朝練習をして、仕事に行き、再度練習へという決まったルールはなくなり、自身が計画を立てて、練習をしている。
「今は、午前中にウエイトトレーニングやランニング、昼休憩をして、午後から柔道の練習という形です。日本大学に限らず、様々なところで練習できますし、長期の合宿にも行けます。また、今までは朝練がある、仕事があるという中で、ちょっと調整しながら柔道をしていた部分もありました。今は1日1日全力で取り組めますし、もし疲れ切っても次の日のスケジュールを変更できます。そういう部分でプラスになっていますね」
しかし、全てが良かったというわけではない。
「一番の苦労は金銭面でした。JRAにいたときは安定して給料をいただいていました。加えて、寮、食事、福利厚生もしっかりあり、それが当たり前だと思っていました。しかし、5月からは無くなったので、凄くありがたみを感じましたね。大学も寮生活だったので、一人暮らしも初めてのことで、食事も作ったことはなく、生活力が全くなかったんです。今は栄養士の方と相談しながら、メニューを考えていますが、手の込んだものが作れないので、とりあえず栄養がきちんと取れていればいいというものを作っています」 生活費と練習にかかる費用、その全てを自身が管理し、支払わなければいけない状態で、試合に懸ける“想い”が変化していった。
「柔道は、少しですが賞金が出るんです。勝てば賞金が入ってくるので、1試合1試合が“人生の懸かっている戦い”だという気持ちになっていきました。しかし最初のほうは、それで負けてはいけないという想いのほうが強くなり、メンタルのコントロールが難しくなっていましたね」
勝たなくてはいけないという想いとは裏腹に、気持ちだけが先行してしまい思うような成績を出せずにいた中で、“守りの柔道”になっていたと振り返る原沢。技の仕掛けが浅くなり、自ら攻めずに安全に試合を進めようという心理状態になっていた。
そんな中、自身のストロングポイントを、もう一度強化していこうと決断。2019年の年明けから、奈良県にある天理大学で出稽古を積み、元世界チャンピオンで監督の穴井隆将氏に大外刈を指導されるなど、天理特有の “正統派柔道”を学んでいる。
「“しっかりと組んで前に出て技をかける正統派の柔道”。私の原点に返った時に、一番大事なのはそこだと思い、一から教えてもらっています。試合中も、色々考え過ぎていた部分があったので、練習でやってきたことを出し切ることに専念しました」
その結果、2019年2月に行われたグランドスラム・デュッセルドルフで優勝。国際大会で、約3年ぶりに優勝を果たした。 「フリー」という3文字で埋められていた「」は、2019年4月から「百五銀行」の文字が入ることが決まった。そう所属先が決定したのだ。
三重県に本社を置く百五銀行と嘱託職員契約を結ぶことが、2019年3月14日に発表され、4月1日から正式に所属先となる。今の心境はどのようなものなのだろうか。
「2021年に、三重県で国民体育大会が開催されることがきっかけで、オファーをいただきました。自身の柔道家としての実績や実力を高く評価していただき、東京五輪も含め、しっかりとサポートをしていただけるということで、契約に至りました」
嘱託職員契約だが就業は基本的にはなく、現在と同様、自身が考えて柔道に取り組める環境だ。フリーとして活動してきたこの1年間、原沢にとってどのような期間だったのだろうか。
「何も計画せずにJRAを辞めてしまいました。何とかなるだろうという気持ちで…でも結果的に所属先を見つけるまでに、長い時間を要しました。人生、計画をしっかり立てて動くことの大切さに気づかされましたね。しかし、目標を明確にして日々を過ごすことの大切さは、とても学びになりましたね。今まで通りにやっていたら、この境遇で柔道をすることはなかったですし、自身で考え、能動的に動くこともしなかったと思います。そして、フリーとなったこの1年間で、柔道で飯を食べていくことの苦労や難しさを経験した中で、1戦1戦に懸ける想いも変わり“プロフェッショナル”という意識が、とても強くなりました。
ですから、今回、百五銀行様と契約を結べたことを心から感謝しています。しかし、もし結果が出なければ契約を切られるという覚悟もあります。そのような気持ちで柔道に取り組めるようになったことが、自身の大きな成長につながっています」
所属先が決まった中で、次に試合を迎えるのは4月に行われる全日本選抜柔道体重別選手権(4月6日~7日)と全日本柔道選手権(4月29日)。調子はとても良く、この状態をきちんと維持していきたいと話す。東京五輪、その先に向けて、原沢物語の第二章は、いよいよ本格的にスタートを切る。
【プロフィール】 原沢久喜(はらさわ・ひさよし) 1992年7月3日、山口県出身。日本大学卒業後、JRAに入社。2015年は、全日本選手権の初優勝を皮切りに柔道グランドスラム3大会で金メダルを獲得。翌2016年もグランドスラム・パリと全日本体重別選手権を制し、国際大会での成績が評価されリオ五輪100キロ超級の代表になり、銀メダルを獲得。その後、18年5月にフリーに転向。19年2月に開催されたグランドスラム・デュッセルドルフで3年ぶりとなる国際大会の優勝を飾った。19年4月より、百五銀行に所属する。
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※データは2019年3月14日時点