苦節の果てに、芽生えた思い  「楽しむこと」。それは香山芳美(スポ=東京・安部学院)がレスリングをする上で常に信条としていたことである。結果が出ない日々もあった。けがに苦しんだ日々もあった。決して平坦な道のりではなかった。それでもその悔しさ…

苦節の果てに、芽生えた思い

 「楽しむこと」。それは香山芳美(スポ=東京・安部学院)がレスリングをする上で常に信条としていたことである。結果が出ない日々もあった。けがに苦しんだ日々もあった。決して平坦な道のりではなかった。それでもその悔しさを原動力に、決して悲観的に捉えず、前を向き一歩ずつ歩んできた。幾多の試練を迎え、屈辱感や責任感と葛藤しながらも、常にレスリングの楽しさを追い求めた充実の4年間だった。

 中学、高校時代から華やかな実績を残し、周囲からも大きな期待を寄せられる中、ワセダの門戸をたたいた香山。しかし、入学直後は思うような結果を出すことができない日々が続いた。初めてエンジのシングレットに身を包んで臨んだジュニアクイーンズカップで、高校の先輩に手も足も出ずに惨敗。続く全日本選抜選手権でも、今まで年下に負けたことがなかったという香山が高校生相手にまさかの敗戦を喫する。周囲からは「他の大学に行ったほうがよかったのではないか」といった声も聞こえた。すごく情けなかった。そのとき、「ここで練習しても勝てない」と感じたという香山。そう思うには理由があった。早大レスリング部には女子選手が少なく、練習は男子と合同で行う。安部学院高出身で、常に女子選手を相手に練習を積んできた香山はそのギャップに苦しんだ。「もう一回、女子ばかりいる高校で練習したい」。そう高校のコーチに相談したが、返ってきた言葉は甘いものではなかった。「自分でワセダを選んだのだから、ワセダでやりなさい。ちゃんとワセダで練習をして強くなりなさい」。その言葉を受け、香山はワセダで努力を重ねる決意を新たに固めた。「他の大学に行けばよかった」。そう言っていた人たちを見返してやりたい。「ワセダに入ってよかった」。そう思わせるような結果を残したい。強くなる人はどんな環境でも強くなれる。それを証明してみせたい。『屈辱』が生んだ『反骨精神』。それが大学時代、香山のモチベーションとなり、そして彼女の成長を大きく支えることになる。

  練習でもその『反骨精神』が香山の原動力となった。「男子に負けたくない」。その思いから、がむしゃらに、必死に練習を重ねた。また、ワセダの部風は自主性を重んじるもので、短時間の中でいかに効率よく練習するかを自分で考えて行う。ワセダに身を置き、死に物狂いで練習に打ち込むようになった香山。普段の練習では強くなっている実感はなかったという香山だが、その努力が成果として表れた試合があった。1年生の12月に迎えた国内最高峰の舞台、天皇杯全日本選手権(天皇杯)。苦杯から8ヶ月、そこで香山は春のジュニアクイーンズカップで完敗を喫した高校の先輩に対しテクニカルフォールで勝利を収め、雪辱を果たしてみせた。この試合が、香山が大学4年間で最も印象に残っている試合だという。

 天皇杯での勝利を皮切りに、たゆまぬ努力を重ね、確かな実力をつけた香山の快進撃が始まる。全日本学生選手権(インカレ)で優勝し、国際試合でも好成績を収めるなど、充実の時を過ごした。しかし一転、3年時になると新たな試練が訪れる。膝のけがだ。これまで大きなけがを経験したことがなかった香山が初めてぶつかったカベである。好調のさなかで負ったけがだけに、その失意は大きかった。それでも「怪我をマイナスにはしたくなかった」という香山は、同じようにけがに苦しめられている仲間と励まし合いながら、必死にリハビリに取り組んだ。同時に自身のウィークポイントである組手や崩しの部分を徹底的に鍛え直した。そして迎えた最終学年、怪我を乗り越え、精神的な面でも、レスリングの面でも大きく成長した香山は最後のインカレで2年ぶりの優勝を果たす——。


最後のインカレで有終の美を飾った香山

 インカレでの復活劇の裏で、香山には新たに芽生えた想いがあった。自分が勝てないことでワセダに入りたいと思う後輩たちがいなくなってしまうのではないか。自分がしっかりと結果を残してワセダに入りたいと思ってもらいたい。自分が憧れて大学に入った時、女子選手が少なく戸惑いを覚えた経験もそう思う理由の一つだった。最後のインカレは、そんな思いを抱く中で迎えた。3年時のインカレではワセダの女子選手は全員が初戦敗退という結果だった。その際、太田拓弥監督にも叱咤され、自身も強く責任を感じていた。後輩たちが憧れる大学でありたい。だからこそ、最後のインカレは負けるわけにはいかない。何としても優勝したい。そして、その決意と覚悟に違うことなく香山は見事インカレ優勝を果たした。最高の舞台で最高の結果を残した香山は、未来の世代にワセダを託し、愛する母校に、レスリングに、別れを告げる。

 「ワセダに入ってよかったですか」。その質問に、香山は憂いなく「よかった」と答えてくれた。今の充実感に満ちた彼女の表情を見て、「他の大学に行くべきだった」という人が果たして存在するだろうか。卒業後は一般企業に進む香山。「スポーツのプロセスと他のプロセスはほとんど同じ。場所が変わっても常に1番を目指していきたい」。そう考える彼女の夢はその企業を業界一の企業にすること。そしてもう一つ、香山とワセダの出会いのきっかけとなったワクワクレスリング教室を通じて、教える立場としてレスリングをもっと世に広めることだ。常にトップを追い求めてきた不屈の女戦士は、彼女の原点であるワセダとレスリングを胸に抱き、次の舞台でもまた、頂点を目指す。

(記事 林大貴、写真 皆川真仁)