悔しさを原動力に 1956年創部の早大ウエイトリフティング部。60年以上の歴史がある早大ウエイトリフティング部で、今年度、選手全員を気に掛け、支えた男がいる。その男の名は神田悠斗(社=岐阜・海津明誠)。この一年間、「常にみんなのそばにいる」…

悔しさを原動力に

 1956年創部の早大ウエイトリフティング部。60年以上の歴史がある早大ウエイトリフティング部で、今年度、選手全員を気に掛け、支えた男がいる。その男の名は神田悠斗(社=岐阜・海津明誠)。この一年間、「常にみんなのそばにいる」という意識で主将として早大ウエイトリフティング部を支え続けてきた。神田のウエイトリフティング人生を振り返る。

 幼少期からスポーツが好きだった神田。中学時代、バレーボール部に所属していた。しかし、中学時代の部活は厳しく、高校では軽いスポーツを始めようと考えていた。何のスポーツを始めようか悩んでいた時、昔から有名大学に行きたいという思いと個人でやりたいという思いから、全国に出やすい個人スポーツを選ぶことに決めた。そこで、高校の先生の勧めもありウエイトリフティングに出会った。高校3年生の時、ついに総体で入賞を果たす。そして、ウエイトリフティングを始めるきっかけとなった思いが現実となる。顧問の先生が早大卒だったこともあり、早大への進学が決まる。ここから早大ウエイトリフティング部での四年間が始まる。


成功させて喜ぶ神田

 早大ウエイトリフティング部に入部後、印象的な出来事が起こる。それは4年生の先輩に「なんでおまえそんなに弱いのにウエイトリフティング続けてるんだよ」と言われたことだ。入部前は、大学でもできると過信していた。だが実際入部すると、国際大会に出場、または全国大会で上位に入賞する部員が数多く所属し、レベルの差を痛感した。さらに、普段の練習時、自身が扱う重量を自身より軽い級の選手が拳上している姿を目の当たりにした。神田は「常に悔しいなって思って練習してました」と振り返る。だが、神田にとってこの悔しさこそが競技への原動力になっている。ウエイトリフティングで一番嬉しい場面は、記録が伸びる時だ。3年生の時に出場した全日本学生ウエイトリフティング個人選手権大会で、ジャークで当時の自己新記録を出し、6本の試技のうち、5本成功した。この大会が一番良かったと振り返る。この一瞬の嬉しさのために、常に悔しさを持ち続ける。

 4年生になり、神田は主将としてチームをまとめる立場に変化する。初めは後輩と上手くコミュニケーションが取れず、チームをまとめることに日々苦悩した。さらに、後輩からこのチームで全日本大学対抗ウエイトリフティング選手権には出たくないという意見もあり、気持ちの行き違いに苦しんだ。どうすればチームがまとまるか。その時神田にとって支えとなったのは同じ4年生だった。一人ではなく、4年生全員で後輩を後ろから支え、一緒に向かっていく。「4年全員で主将というものを作り上げる」というイメージで、徐々にチームをまとめた。普段の練習時には必ず部員全員を見渡し、何でもいいから一言コミュニケーションを取ること、さらに自ら後輩に指示を与えるのではなく、一人一人が自立思考できる選手になることを意識した。そして、4年生最後の全日本大学対抗ウエイトリフティング選手権は、男子6位女子2位という結果を修めた。神田は「やっぱインカレは一番楽しくて一番悔しかった」と語る。しかし、その顔にはチームとしてできたという充実感があった。

 早大ウエイトリフティング部での四年間は、「大学生活そのもの」と語った神田。日々の練習姿勢やチームのまとめ方など、より多くのことを学んだ四年間。卒業後はウエイトリフティングからは距離を置く生活になるが、この四年間で学び、経験した全ては、必ず未来への糧となるはずだ。そして、現在の目標は、「早く社会人として一人前になる」ことだという。新たな目標と共に、神田は次のステージへ歩みだす。

(記事 西杉山亮、写真 伊東穂高)