W杯出場へ。「世界で戦う」をキーワードに語る~折茂武彦 編~ 今夏のワールドカップ出場をかけて、男子バスケ代表は2月21日にイラン、24日にカタールとのアウェー決戦に挑む。出場が決まれば2006年の自国開催以来13年ぶりであり、自力では…

W杯出場へ。「世界で戦う」をキーワードに語る~折茂武彦 編~

 今夏のワールドカップ出場をかけて、男子バスケ代表は2月21日にイラン、24日にカタールとのアウェー決戦に挑む。出場が決まれば2006年の自国開催以来13年ぶりであり、自力では1998年以来、21年ぶりとなる。その両大会に出場しているのが、48歳で今もBリーグの第一線で走り続ける折茂武彦(レバンガ北海道)だ。

 今年の1月5日に国内トップリーグ通算1万点を達成したレジェンドは、ワールドカップ出場を目指す日本代表にエールを送ると同時に、自身が経験した「バスケ界が一丸となっていなかった時代を繰り返すな」と訴える。『世界で戦う』をキーワードに、3人の選手にワールドカップへの思い、世界舞台に出ることの重要性、これからのバスケ界について聞いた。インタビューのトップは折茂武彦。現役選手で唯一、二度も世界に打ちのめされた経験を持つ折茂だからこそ、今に伝えられることがある。



レバンガ北海道の社長兼選手として現役を続ける折茂武彦

――折茂選手は大学生の頃から2009年まで日本代表の得点源として活躍してきました。どのような思いで代表戦を戦っていましたか。

 僕にとって日本代表は特別な場所でした。日本にはバスケットボール人口が男女で60万人以上いますが、日本代表はその中の頂点にいるチームで、代表選手は12人しかなれないので、責任と自覚を持って戦わなくてはならない。国際大会は過酷なので、技術もメンタルもきちんと準備できる選手が出るべきで、そういうトップの12人が戦うのが日本代表です。

――1998年にはアジア2位で出場権をつかみ、2006年は開催国枠でワールドカップ(当時は「世界選手権」の名称のため、インタビューの答えは世界選手権のまま表記)に出場しました。世界に出て感じたこと、得たものとは。

 日本から出ていかなければわからない世界でした。世界選手権に出て、初めて自分たちのレベルが現実的にわかりました。それはある意味、衝撃的で「俺らって、こんなものなのか」と打ちのめされました。僕はずっと日本でプレーをして海外に出ることはなかったので、当時は得点を取ることでは自分が一番だとか、小さなプライドみたいなものに満足しちゃっていたんだなと感じました。でも世界を経験したからといって、すぐに何かを変えることは難しかったし、日本が急激にレベルアップすることは厳しいということもわかりました。98年は特にそう思いましたね。

――以前の日本は強化に継続性がなかったことで、98年と2006年以外はワールドカップにもオリンピックにも出場できていません。ただ2006年に関しては、ジェリコ・パブリセヴィッチHC(ヘッドコーチ)のもと、4年かけて若手を強化と海外遠征を行い、これまでにない強化を図りました。決勝トーナメントには進出できませんでしたが、2006年も同じ感想でしたか?

 2006年は98年と違った手応えもありました。通用しないことも多かったし、決して結果には満足していないけれど、少しは世界の強豪に近づける可能性は見えたんじゃないかと思います。それは、自分がジェリコに呼ばれて代表に復帰したということもあり、多少なりとも国際大会への考え方やメンタルの持っていき方に経験があった。強化の力の入れ方も98年とは違ったので、一丸となって戦えた手応えはありました。ただ、やはり世界との差は大きかったです。

――世界との差はどこに感じたのでしょうか。

 言ってしまえば、それまで僕らの世代がやってきたことで、世界に通用するものは間違いなくありませんでした。2006年には2メートルを超えて動ける竹内兄弟(現在・公輔=栃木ブレックス、譲次=アルバルク東京)のような選手が出てきて希望が出てきたけれど、世界選手権が終わったときに感じたのは、「このメンバーが世界と対等に戦えるようになるのは難しいし、自分に至ってはもう間に合わない。けれどこの強化を続ければ、将来はしっかりと戦えるようになるかもしれない」ということでした。だからこそ、これからの日本がやるべきことは普及と育成、強化なんです。特に育成については、時間をかけてやらなければ世界との差は埋まりません。

――育成について、具体的な考えを聞かせていただけますか。

 組織ぐるみで時間をかけてやっていくことに尽きます。日本代表だけを強化しても間に合わないことを、僕は世界選手権に出て痛感しました。今、BリーグではU15世代を強化して上につなげようとユースチームを作ったところですが、育成は日本協会、Bリーグ、都道府県協会、学校も含めて組織が一丸となって、やっていかなければなりません。僕はレバンガのU15ユースのトライアウトも見ていますが、彼らは僕が中学生の頃に比べてはるかにうまいです。可能性しかありません。これからどう化けるかわからない子どもたちを、大人がつぶしちゃダメですよ。今から育成をすれば、将来への期待が見えてきます。

――今の日本代表は、ワールドカップ予選を突破して、これまで遠ざかっていた世界舞台を経験し、オリンピックへつなげることを目指しています。ワールドカップ出場への期待はありますか。

 昔は日本代表のことに関心を持つ人がとても少なかったけれど、今はBリーグができて注目されている分、バスケ界がとても期待されています。当然、今度のワールドカップも注目が集まっています。世界に出ることは大切なことなので出てほしいし、出場できると思います。ただ、ここで伝えたいことがあります。

 僕にとってオリンピックは、出ることはできなかったけれど、とても思い入れのある大会でした。アスリートにしてみれば、誰もが出たい大会でしょう。だから、そこに固執することは当たり前なのですが、ある意味、目先の大きな大会だけに固執してしまうと、また日本のバスケが遅れてしまうとも感じています。

 その現状が日本人選手だけでは勝てず、帰化選手を入れて浮上した今回の予選です。ニック・ファジーカス(川崎ブレイブサンダース)を急いで帰化させてチームを浮上させたことに対し、そこに頼ってしまっていいのだろうかという思いもあります。もちろん、ニックには感謝しなければなりませんし、帰化選手を入れて出場権を獲得するのもひとつの手段です。オリンピックに出て、日本のバスケを知ってもらうことが大切であることも理解しています。その一方で、また小手先だけの変化で大会に出て同じことを繰り返すのか、という思いもあります。僕の時代も桜木ジェイアール(シーホース三河)が帰化したけれど、大会に出るだけで終わってしまったので、同じことは繰り返してほしくないんです。

――だから結局は、若い世代から育成をしていかなければ日本のバスケは変わらない、ということですね。

 そうです。今のやり方を批判したいわけではなく、日本が一番力を入れるのは育成だということを伝えたいです。将来的には帰化選手に頼らなくても世界と戦えるようになるのが理想で、理想に近づくには10年、30年、100年かかっても育成し続けるしかない。そこは飛び越えてはいけない今後の課題です。



1万点達成記念イベントには、代表生活を共に過ごした佐古賢一氏も駆けつけた(左)

――最後に折茂選手のキャリアに関して質問します。これはずっと聞きたかったことなのですが、2006年に36歳で日本代表に復帰したとき、スロベニアの山で高地トレーニングをし、海外遠征を多くこなし、若手と同じ練習をやり切りました。そのときジェリコHCが「君がこのトレーニングをやればあと3年は現役をやれるよ」と言ったことを覚えています。今48歳になってもやれているのは、あの時のトレーニングが効いているのでしょうか。

 それはもう、めちゃめちゃ効いていますよ。凄まじいトレーニングで尋常じゃなかったですから。ジェリコには本当に感謝していて、2006年に「君が必要だ」と言ってもらい、再び代表の舞台に立つことができた。あの時に厳しいトレーニングをしなかったら、ここまでやれたかどうかはわかりません。世界選手権を戦い抜いて「まだ自分はできる」というメンタルになれましたから。その自信でスイッチが入り、プレー時間が減っていたトヨタ自動車から北海道に移籍し、ここまでやることにつながったんです。

――そんな中で、1月5日の三河戦にて、日本記録となる通算1万点を達成しました。大記録を達成した思いと今後の目標を聞かせてください。

 1万点は今まで26年間やってきた一つひとつの積み重ねだと思っています。自分は点数を取ることにこだわりがあって、それが役割だと意識してやってきたので、得点を積み重ねてこられたことはうれしいですね。

 ただ、現役である以上、1万点はひとつの区切りであって、これからも(得点を)積み重ねていくことに変わりはない。自分が引退する時に「これだけのことをやった」と褒めてあげられるのか、満足していないのかは終わってみないとわからないことです。今はコートに立った時にチームのために何ができるのかを考えながら、残り少ない競技生活を送りたいと思います。